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Scene05
俺が七砂を抱え上げ、森に戻った時、中々獲物が見つからず殺気だっていた男たちから、うなるような歓声があがった。
嫌な熱の籠った視線と拍手。
そんなものに迎えられ、俺は吐き気さえ感じた。
いつも七砂は、こんな下卑た欲望の中心にいる。視線に晒されている。
それは、どれ程の苦痛だろう。
七砂が目を覚まさないように、そっとその耳に手を当てた。
やがて、観衆の中から父が現れた。
横に執事の高野を従え、舌舐めずりさえしそうな様子で。
まるでヒキガエルのような肥えた躰と濁った瞳に、俺は知らず眉根を寄せる。
「紫乃、今日の勝者はオマエのようだの。どんな趣向を、こらしてくれるか楽しみだぞ。」
きひひ、と奇怪な笑みを浮かべる、ヒキガエル。
そして高野に視線を送って、先ほど俺が書いた白い紙を、開く様に指示する。
と、促された高野は無表情で紙を開き、一瞬戸惑ったように瞳を泳がせた。
そんな高野をこづいて、早く読め、と命ずる男。
仕方なく、高野が口を開く。
「今日の勝者は、この屋敷の御当主であらせられる一条様の御子息、紫乃様です。そして、紫乃様のご要望は…」
そこで一旦言葉を切ると、一瞬俺を伺った高野は、意を決したように言った。
「七砂様へのご要望は、今日一日、24時間、紫乃様だけのものになること。他の何人たりとも、指一本触れさせないこと、だそうです。」
瞬間、巻き上がるざわめき。
誰もが、不満を露わにした。
話が違う、それでは七砂を犯せないではないか。
皆が、そんな怒りを抱いていたのは明白だった。
中でも、一番あからさまに怒りを示したのは、父だ。
彼は、顔を紅潮させ、口を真一文字にして、醜い形相で俺を睨みつけた。
そして怒声をあげる。
「紫乃、これはどういうことだ。珍しくゲームに参加したいなどというから何かと思えば……こんな姑息な……」
「何が姑息ですか、お父さん。これは正当な勝負です。ゲームに参加して、俺が勝った。勝者には勝者の権限がある。それがルールだったはず。それとも……貴方はこれだけのお客様の前で、ご自分で決定したルールを覆すおつもりですか。」
言い切ると、ヒキガエルは赤くなって、青くなってを繰り返し。
何か、言おうとする言葉を遮る。
「紳士的な対応を。それが、一条の家名を裏切らない、唯一つの方法です。」
宣言でもするように、高らかに告げる。
多少芝居じみてしまうのは仕方ない。
これが、今俺にできる精一杯。
思い切り、堂々と振る舞わなければ。
それが例え、虚勢でも。
俺が正しいと、従わなければと、この大人たちに思わせなければ。
胸を張り、真っ直ぐ父親を見据えて。
相手が折れるのを待つ。
と、高野が緊迫した空気を破った。
「旦那様、今日は紫乃様のしたいように。後日、いくらでもお楽しみはございます。」
側近中の側近に、そんな風に言われて、父は従うしかないと悟ったようだった。
「きっかり24時間だ。そうしたら七砂は返してもらおう。この後、七砂がどんな目にあうか、せいぜい憂うがいい。オマエのしたことを、必ず後悔させてやる。」
父は、吐き捨てるように言うと、足早に去っていく。
観衆たちは興醒めしたように、父の後をぞろぞろついて行った。
真昼の森で。
真昼の月の浮かぶ青い空の下。
七砂とふたり、残された。
計画がうまくいって、とりあえず安堵した俺は、七砂を草の上におろした。
緑の上で眠る七砂は。人魚は。
今だけは幸福しか知らない存在のように、安らかに、眠っていた。
その頬に、そっと手を当てて、俺は長い長い、溜息をもらすのだった。
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