向日葵

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 今年の夏は例年よりも早くやってきた。  まだ準備が十分じゃないんだけどな、なんて思いながらも渋々光の中へと顔を出す。 「おはよう」  ふとかけられた声に思わずどきりとする。でもそんな動揺なんて微塵もしていませんよという間を十分にとってゆっくりと振り向く。 「あ、おはよう」  ここでもポーズ。振り向いて、顔を見て初めてあなたを認識したんです。声だけでわかっちゃうなんてことはないんです――。 「久しぶり~」 「ちょっと痩せた?」 「えーそうかなあ」  そんなことを久しぶりに再会した友人と話せることが何より嬉しい。 「あれ、お姉さんは?」 「あ、お姉ちゃんは今年は向こうなんだって」  そう言って視線を投げた姉の姿。  人見知り気味の姉なので新しい仲間たちと上手くやっていけるか少々心配していたのだが、周りの子たちと仲良さそうにお喋りしていたので安心する。 「今年は来週からなんだっけ」 「そうそう。私たちが頑張ったから少し早めに始まるらしいよ」  来週からはきっと多くの観光客が夏を求めてやってくるだろう。そんな観光客に精一杯の笑顔を振りまくのが彼女たちの仕事だ。 「今年も彼、来るといいね」  小声でそう言われた。  うふふ、と笑う友人に「ちょっと、やめてよ。そんなんじゃないから」と言い訳しつつも一瞬にして頬に帯びた熱はなかなか下がらない。    毎年、この時期になるとここに訪れる人がいる。  市の職員なのか、何かの団体の一員なのかはよくわからないけれど、緑色の腕章をつけて数日間観光客の誘導や警備のようなことを行っている。  よく焼けた肌に白い歯をのぞかせる笑顔はいつも眩しい。太陽の方を向いていることが常である彼女にとってもその笑顔は直視できないくらい眩しかった。   そしていつしかその笑顔を探すことが恒例になった。今年は来ないかもしれない。会えなくても仕方ない。そんな風に無駄に期待しないように彼の姿を毎年探す。 「お、今年も綺麗だなあ」  待っていた声に思わず心が弾む。  うんうん、と嬉しそうに彼女たちを見渡した彼は同僚に呼ばれて向こうへと小走りで駆けて行った。  ふーっと息をつくとそれを隣の友人が目ざとく指摘する。 「会えてよかったね」 「そ、そんなんじゃ……」 「まあまあ。いいじゃない」  何がいいのかよくわからなかったけれど今年も彼の笑顔を見ることが出来てよかったことは確かだ。  駆けていく後姿さえも眩しい。  彼が現れたその日から今週末に行われるお祭りに向けての準備が始まった。これも毎年のことだ。  この期間は彼に会えることを抜いたとしたも賑やかで、準備期間も含めてお祭りの雰囲気が立ち込めていて好きだった。当日は人がごった返して笑顔を保つのが大変だと感じることもあるけれど、彼女たちの笑顔を見た人たちが笑顔になるのを見るとそんな疲れも吹っ飛ぶ。このために今年もここに来たんだなあと幸せな気持ちにさえなれる。 「それ、そっちで組み立てて!」 「はい!」  今日も太陽は高く高く昇り、容赦なく気温を上げている。そんな屋外での作業はきついはずなのに彼はそんな素振りは全く見せずにテキパキと動いている。そして時折こっちを見ては微笑むのだった。  どうか今年も無事にお祭りの日を迎えられますように。そう祈りつつもその日が来てしまうとまた彼と長い間会えなくなるのかと思って彼女の胸は締め付けられた。今年こそ、想いを伝えられたらいいのに……。  彼女が彼に想いを伝える決心が出来ないまま、お祭り当日がやってきた。彼は朝早くから会場におり、彼女たちへの挨拶も忘れなかった。 「みんな、今日はよろしくな!」  開場時間になると多くの人がやってきた。彼の期待に応えるためにも精一杯の笑顔でお客さんをお迎えしよう。友人たちも頑張っている。彼女はしばし彼への複雑な気持ちを置いて、お客さんへの対応に専念した。  お客さんもひとしきり途絶え、彼女が一息ついたとき、後ろからよく聞きなれた声が近づいてきた。  このお祭りの後、話したいことがあるんです――。その言葉を胸に抱えて顔を上げた彼女は思わずその言葉を落としてしまった。 「ほら、綺麗だろう?」  そう言って彼女の大好きな笑顔をした彼の腕の中には、まるで天使のような白くて小さな赤ん坊。そして隣には小柄で白いワンピースがよく似合う可愛らしい女性。  赤ん坊が彼女に手を伸ばした。周りの友人が心配そうに彼女を見つめていたが、彼女は優しく、今までで一番飛びっきりの笑顔で赤ん坊に微笑みかけた。赤ん坊が笑う。彼も、彼の奥さんもとても幸せそうに笑った。それだけで彼女はもう十分だった。それでもその幸せを眺めるのがつらくて思わず目を伏せる。そよそよと生温かい風がもったいぶるように通り過ぎていく。 「俺さ、ここから見るのが一番好きなんだ」  そんな彼の言葉にハッとして目を上げて彼を見た。彼も真っ直ぐに彼女を見ている。 「どこも綺麗だけど、なんていうかここが一番優しい気がして、好き」  届いてた、なんてそこまでおこがましいことは言わない。でもせめて、その言葉が自分に向けられたものだと、それくらいには自惚れさせてほしい。 「だからさ」彼は赤ん坊を高い高いした。きゃっきゃ、と赤ん坊は手足をばたばたさせた。 「こんな風に元気で優しい子になってほしいと思ってこの名前にしたんだ」  彼はもう一度彼女の方に赤ん坊を向ける。彼女と赤ん坊の目が合った。  彼女の瞳から一滴の涙が零れ落ちた。その涙を優しく拭うように赤ん坊は彼女の頬に触れた。 「だからさ、来年も、その先も、三人でここに来れたらいいなって」  ちょっと照れくさそうに言った彼に、彼女は微笑みかけた。 「うん。来年も、ここで待ってるよ」 「まあ準備は暑いし大変なんだけどな」 「本当に頑張っているよね」 「それでもここからの景色を見ると応援されてる気分になるんだ」 「いつだって君のこと、応援しているよ」  あなたは私の憧れ。憧れ、なんてたいそうな花言葉を背負わされたなあ、なんて思ったこともあったけど、誰かに憧れる気持ち、それはとてもとても尊い。  彼は赤ん坊を胸に抱きしめた。 「きっとこうやって誰かに元気をあげることのできる子になるよ」  赤ん坊も微笑む。 「なあ、向日葵――」  今年も夏が終わる。  来年自分がこの場所に戻ってこれるのか、まだ彼女にはわからない。  でも、だからこそ大好きな人には笑顔でこう伝えたい。 「また、来年」  
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