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「……あれ? 晋くん」  僕の気配に気付いて、振り向いた少年が笑った。 「……やあ、(かける)くん」  つられて笑顔をみせながら、僕は翔くんのそばに駆け寄った。 「何してたの? こんな所で」 「うん……ちょっと」  曖昧に誤魔化しながら翔くんはいつもの笑顔を僕に向けた。 「晋くんこそ、どうしたの? あ、そうか、夕飯の買出し?」 「まあ、そんなところ」  そういえば、時間帯はすっかり夕食時だ。  今日は魚の特売日だったはずだから、この街最後の夕食は魚になるんだろうか。  すっかり頭の中は主婦だなあと多少苦笑しながら僕は翔くんの隣に腰を降ろした。 「今日の夕食は何?」  そんな僕の心を読んだかのごとく、翔くんがそう訊いてきた。  まったく。  僕ってそんなに主婦みたいな顔してるのかな。 「うん。そうだね。今日は魚かな?」 「すごいなあ、晋くんは。夕飯作ったりもできるんだもんね」 「たいしたことはしてないよ。魚焼いたり、ハンバーグ煮込んだり。出来合のものも多いし」 「それでもすごいよ。オレなんか全然駄目。いまだに火を使わせて貰えないから」 「翔くんにはお母さんがいるんだから、それでいいんだよ」  言いながら僕の胸がチクリと痛む。  まったく自分で自分を痛めつける発言をして、僕は何がしたいんだ。  お母さん。  どんな時でも、どんな所でも、その単語を口にするだけで自分の心が痛くなることを、僕はよく解ってるはずなのに。 「ねえ、晋くん」  翔くんがパッと顔をあげた。 「何?」 「出発はいつ?」 「…………!」  油断していたところに、綺麗な右ストレートが入った気分だった。  まったく突然そんなこと訊かないで欲しい。 「えっ……あの……」  おもわずどもってしまう自分が情けない。 「もうすぐなんでしょう? 昨日澤村くんがそろそろじゃないかって言ってた。この間、晋くんのお父さんが部屋の片付けしてるところを見かけたんだって」  さすがというか何というか。  いつもこういった事に一番最初に気付くのは彼だったような気がする。  そんなことを考えつつ、僕はじぃっと僕の目を覗き込んでくる翔くんの視線に奇妙な後ろめたさを感じていた。 「えっと……出発は……確か…あ……」 「………あ?」 「あ……明後日」  言ってしまった。
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