当日

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「じゃあ、元気で」  澤村くんがすっと僕に手を差しだした。 「翔たちにお前の出発を教えてくるよ。間に合ったら戻ってくるけど、どっちがいい?」 「…………」  本当に、澤村くんは僕のことをよく知ってる。  いや、僕だけじゃなくて人間観察が出来てるってことなのかな。 「……此処で、いい」 「うん」 「じゃあ」 「うん」  僕は差し出された澤村くんの手をそっと握り返し、うつむいた。  澤村くんは何も言わなかった。さよならも、また逢おうなも、連絡するよも何も。  ただ黙って僕の手を握りしめていた。  なんだか神聖な別れの儀式をしているような気になった。  そして、やっぱり泣きそうになった。  これ以上、別れの時間が長引けば、僕は大声を上げて泣き出しそうだった。 「なあ、晋」  最後に澤村くんがそっと僕の耳に口を寄せてささやいた。 「いつか、ここに帰ってこいよ」 「……え?」  帰る。それはいったい。  僕が再び顔を上げた時、澤村くんはもう背を向けて走り出した後だった。 「晋、なんだったら一本遅らせてもいいぞ」  父さんがそんなことを言ってきたけど、僕は首を振った。  会いたくないわけじゃない。きっと。  顔を見たくないわけでもない。きっと。  でも、僕は臆病なんだ。  確約でない約束。  それをするには僕は此処が好きになりすぎていた。  好きで好きでたまらなくなりすぎていた。  予定通りの時刻にバスは停留所の前に止まる。 「本当にいいんだな。晋」  父さんの声を合図に僕はバスに乗り込んだ。  半分残念な気持ちで、半分ほっとした気持ち。  会いたいのに、会いたくない気持ち。 「ごめんね」  そっとつぶやいた言葉は、永遠にみんなのもとには届かないだろう。  たくさんの後悔を乗せて、バスはゆっくりと走り出した。  そして、その時、神様は僕に最後の意地悪をした。  いいや、そうじゃない。神様は僕の最後の願いを聞き届けてくれたのかもしれない。
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