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「ただいま」
「お帰り、晋」
結局その日も基礎体力作りに専念しただけで終わってしまった放課後の練習を終え、僕がアパートに帰ると、父さんが奥のアトリエからパレットを手にしたまま顔を出してきた。
そして僕の顔を見るなり、嬉しそうにこう言った。
「ちょうど良かった。今日は少し奮発して外食をしようかと思うんだが、何が食べたい?」
「……えっ?」
僕は表情を硬くして、一歩後退さった。
「か……完成したの? 絵」
「ああ」
いつも父さんは絵が完成した日、お祝いを兼ねて僕を外食へ連れ出そうとする。
「お……おめでとう」
少し不自然な僕の笑顔に気付くふうもなく、父さんはそのまま流し台の方へと姿を消した。
完成……してしまった。
とうとう。
僕は無意識に、床に転がっていた赤い絵の具がついたままの絵筆を拾い上げた。
手の中の絵筆とキャンパスの雪景色を見比べる。
完成した雪景色。
「ああ、早く春が来ないかなあ」
みんなの声が、僕の頭の中に響く。
絵が完成する。
雪が止む。
雪割草が咲いて春が来る。
僕は春なんて嫌いだ。
僕は雪割草になんかなりたくない。
みんなに春を告げる役目なんかごめんだ。
僕は……。
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