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 席についた瞬間、ぴりりと胸がざわついた。 (ここって……)  ワンフロアの広い喫茶店は、駅からほど近く格安。早朝から深夜まで営業している。待ち合わせ、雑談、勉強。勧誘、打ち合わせ、英会話個人レッスンまで様々な目的で使われていた。  俺は思い出した。  中2の時、初めてできた彼女と最後のデートはこの喫茶店で、今日と同じ小雨だった。  彼女が不機嫌なのは前日から分かっていたから、その日でなんとか挽回できないか必死で、でも嫌な予感は当たった。紅茶と焼き菓子を奢って、合算し支払ったレシートの数字をはっきり覚えている。  『奢られたって全然嬉しくないよ』。店を出た途端に涙目でそう言われて、地面が崩れ去っていくような感覚だった。彼女には本当に悪いと思っていて、せめて出来ることはないかって考えた結果の行動だった。それを否定され、じゃあどうすればよかったのかって、だいぶ長いこと引きずった。 ”駅につきました あと5分ぐらいです”  木目調の机上に置いたスマホに、通知が光る。すぐに返信する。席と、俺の服装や髪型は既に伝えてあったのであとは待つだけだ。  少し緊張してきた。 (大丈夫、……うまくいく)  俺は深呼吸をしながら椅子の背にもたれかかる。落ち着かなくて親指の爪を擦った。  いままで付き合ったのは全員、学校で知り合った子だ。俺はもしかするとそこに問題があるんじゃないかと思ってた。  学校生活での俺は、あまりにも気負いすぎてる。だから……、その姿を見て俺と付き合おうなんて子は、俺に多大な理想を抱いてる。成績優秀、格好良くて爽やか、親切で友達も多い俺。  これからここに来るのは、一時オンラインゲーム上で濃密な時期を過ごしたものの、顔も知らない同い年の女子だった。趣味はクッキー作りと編み物。彼女は通話が苦手で、ボイチャすらしたことがなかった。けれど、俺達はすごく気があった  だから……もしこの先、仲が発展して付き合うことになっても、きっとジンクスは破れる。失望されることはない。  俺はいつのまにか何度もマグカップに口をつけ、カフェラテを飲み干してしまった。  スマホを確認し、店の出入り口を眺める。もうそろそろ着いても良いころだ。 「あの……すみません、紺碧さんですか?」  顔を向けていたのと、逆方向からかけられた声。俺は反射で振り返りながら、その瞬間に思う。変だな……男の声だ。  席のすぐ脇に立っていたのは、スマホを手に持った大柄な男だ。格闘技でもやってるのかってくらいに筋肉がついていた。銀行強盗を撃退できそうな迫力があった。ボクシングやフィットネスジムの広告にぴったりだ。  俺は混乱したまま立ち上がる。 「ええと、はい。紺碧です! あなたって……」  あまりのことに言葉が続かない。息を呑む。 「白あんです」  彼はそう言って頭を下げた。申し訳無さそうな顔で。 「とっ……、とりあえず、座って。あっ、注文はあそこのカウンターで」 「驚きましたよね。今まで騙していて、本当にすみません!」  彼はもう一度深々と頭を下げる。身体が大きいので、何をしても目立つ。  右席のカップルが俺たちを見ていた。左で本を読んでいた女性も顔を上げる。  俺は軽く彼の肩を叩いて言った。 「いや、大丈夫!! よくあることでしょ! 座って、何が良い? コーヒー?カフェラテ? 俺ももう一杯注文してこようと思ってて」 「あの、遅刻の件も本当にすみませんでした」 「電車の遅延なんて日常だし、全然遅刻じゃないよ」  恐縮する彼の緊張を解きたくて、俺は過剰に明るく振る舞った。 「とりあえず、座って。急いで来たから疲れただろ?」  彼の首筋にはうっすらとだが汗が滲んでいる。駅から走ってきたらしく前髪もボサボサだった。  俺はやや強引に注文をとり、カウンターに向かった。この隙に頭を整理しようと思っていたのに、呆然としたまま時間が過ぎてしまう。動揺しているのか、ショーケースにあったケーキまで注文してしまった。
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