第1話 傷痕

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女の子は顔が命だ 母や祖母は、桃子(ももこ)が顔にかすり傷を作って帰って来る度に、そう言ってたしなめた。 女の子は顔を大切にしなきゃいけない。 傷を作って痕になったら、ずっと辛い思いをするよ。 当時は、何故そこまで顔を気遣うのか、桃子にはわからなかった。 いや、顔に大きな傷痕を作った今でも、あんまりわからない。 確かに、初対面の人にはギョッとされるし、気を使って見ないようにされたり、気まずい視線を感じてしまう事は多々ある。 道行く小学生には影でコソコソと囁かれるし、買い物帰りのおばさん達には哀れみの視線を向けられるし。 そんな時はちょっと気まずくなるが、落ち込むかと言えばそうでもなく、慣れてしまえば、どうという事はない。 それでも、母や祖母、周りは桃子を気の毒そうに扱った。 そうされればされる程、自分の女の子としての価値はなくなったのだと感じる。 綺麗な果実の中から弾かれる、品物にならない傷物の果実のように。 (私はそれでも全然平気だけれど、どうして周りは気にするんだろう。特に、りっちゃんは…) 朝、洗面台の鏡に映った自分の顔をまじまじと眺めながら、桃子はふと思った。 鏡には、やけに肌の白い、覇気のない顔をした女の子が映っている。 肩上まで切り揃えた黒髪のせいだろうか、ホコリを被った日本人形のようだ。 そのホコリを被った日本人形の左頬には、赤く滲んだ大きな痕がある。 太筆でサッと書いたような切り傷が、頬下から顎にかけて、7cm程あった。 桃子は傷痕にそっと指先で触れると、小さくため息を吐いた。 (卒業して、高校生になったら、やっと解放されるのかな…。私も、りっちゃんも…) ぼんやりとそんな事を考えていると、母親が洗面所のドアを慌ただしく開けて顔を出した。 「桃子、早くしなさい!律斗(りつと)君がもう来てるわよ!」 「あ、う、うん!」 慌てて顔を洗い、廊下に準備していたコートとマフラーを身に付け、鞄を引っ掴んで玄関に手をかける。 勢い良くドアを開けたはいいが、ちゃんと履いていなかったスニーカーで足がもつれ、軽く転んでしまった。 「いててて…」 膝をついたまま顔を上げると、呆れた様子でこちらを見ている少年と目が合った。 学ランのポケットに手を突っ込み、気だるげな様子でこちらを見ている。 いつも無愛想な彼は、当然心配する素振りなど見せず、「だっせ」と呟いてため息を吐いただけだった。 「お、おはよ。今日も寒いね」 桃子が立ち上がるのも待たず、スタスタと先を歩き出した律斗の後を、慌てて追いかける。 冷たい外気で、鼻の奥がツンとした。 「ますます寒くなるね。もうすぐ受験だし、風邪ひかないように気を付けないとね。あ、この前りっちゃんに借りた参考書、とっても見やすかったよ、ありがとう。はかどったから、夜中まで起きちゃったよ」 素っ気ない背中に、一人でベラベラと話しかける。 ろくな返事がないのは分かっていても、桃子はこうして毎朝律斗に話しかけている。 彼がちゃんと聞いているのも、分かっているからだ。 「昨日ね、りっちゃんのおばさんに里芋の煮物貰ったの。美味しかったって言っておいてね。おばさんの煮物って本当に美味しいよね。私大好きなんだぁ。うちのお母さん、焼くのと揚げるのは上手なんだけど、煮るのは苦手でさ。あ、知ってるよね」 寒空の下、よく動く口元だけが温かくなる。 桃子は世間話をいつもより多めに話した後、スカートのポケットに忍ばせていた手紙を取り出した。 昨日、クラスメイトの佐山から預かって来たものだ。 桃子はいつもよりどこか緊張して、自分より少しだけ高い律斗の肩を叩いた。 「あのね、りっちゃん。これ、同じクラスの佐山さんから預かって来たんだ」 佐山、と言う名前に、律斗がピクリと反応する。 足を止めて振り返った律斗に、桃子は「えへへ」と気まずさを追い払うように笑って見せた。 「返事は、受験が終わってからでいいって」 律斗の手に、そっと手紙を渡す。 律斗は受け取ってから暫く沈黙した後、その手紙をポケットにしまって歩き出した。 彼の表情からは、なにも読み取れなかった。 「ね、りっちゃん」 「なに」 「あのね、あの…」 「……………」 「えーっと、その…」 なんと言おうか、言葉を選び過ぎて、グズグズとしてしまう。 いつだってそうだ、肝心な時はいつも緊張して言葉がうわずり、動きも鈍くなってしまう。 だから、律斗や周りにトロ子と呼ばれてしまうのだ。 そんな自分だったが、今日だけはトロ子でいてはいけない。 (そうだ、ハッキリ言わなきゃ…!今言わなきゃ、いつ言うんだ…!) 両手で拳を握り締め、キッ、と律斗の背を睨む。 苛立っていた背中にゾッとして怯みそうになりながらも、桃子は意を決して言った。
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