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「あのね、りっちゃん。もう、気にしなくていいよ…!」
冷たく刺すような風が吹く通学路に、桃子の甲高い叫び声が響き渡る。
足を止めた律斗は、怪訝な顔で桃子に振り返った。
「なにを?」
「だから、その…っ、その、私の事、もう、負い目に思わなくていいから、だから、私の事は気にしないで、その、佐山さんと、付き合って、欲しい、と、思う…!」
吐き出した息が、真っ白な蒸気を生み出していく。
白いモヤの向こうにいる律斗は、怒っているのか、呆れているのか、それとも安堵しているのか、全くわからない無表情さだった。
桃子の必死な訴えに、律斗は暫く沈黙した後、ため息混じりに言った。
「なんでそんな事、トロ子が決めるんだよ」
「え…」
「佐山と付き合うか付き合わないかは、俺が決める。トロ子には関係ない」
「で、でも…」
「関係ない」
釘をさすように短く言うと、律斗は何事も無かったかのようにスタスタと歩き始めた。
桃子の決意が、吐き出した白い息のように、消えてなくなる。
(言い方、間違ったのかな…。どう言えば、伝わったのかな。…もう、朝のお迎えもいいよって言えば、伝わったのかな…)
頬の傷痕が、もう痛くないはずなのに、ズキズキと痛む気がした。
律斗は、家族ぐるみで付き合いのある、桃子の幼馴染みの男の子だ。
家が近所で、物心着いた時から一緒だった。
幼稚園も小学校もずっと一緒で、まだ無邪気な頃は仲良く遊んでいたが、高学年になる頃には、思春期特有の妙な距離感は生まれて。でもこうして、律斗は毎朝迎えに来る。
本当は嫌だっただろう。
今でも嫌だと思う。
それでも律斗が迎えに来るのは、この傷痕の「負い目」があるからだ。
律斗の「俺のせいだ」と言う落胆した声を、今でも鮮明に思い出す事が出来る。
(りっちゃんのせいじゃ、ないのに…)
小学一年生になった頃だった。
大きなピカピカのランドセルを背負って、毎朝律斗と一緒に元気に登校していた。
ある日、律斗が新しく出来た友達と一緒に先に走って学校へ行ってしまった。
悲しくて寂しくて、二人を必死に追いかけた。
近道をする為に、空き地の塀をよじ登って降りる彼等と同じように、桃子も必死に塀をよじ登った。
先に降り立った二人は、怖がる桃子をケラケラと笑ってからかった。
「トロ子、俺達に着いてくるなんて100年早いんだよ!」
律斗の声に、悔しくなった桃子は意を決して飛び降りた。
だが、運動音痴の桃子が上手く降り立てるはずもなく。
すっ転んだ先に待っていたのは、割れたビンの鋭利な刃だった。
(私が悪いのに。りっちゃんのせいじゃない…)
桃子の頬に出来た傷痕を見て、祖母は落胆した。
「嫁の貰い手が…」と言って酷く嘆いた。
それを聞いていた律斗が言った。
「俺が責任をとる。俺が一生桃子の面倒を見る」
と。
その日から、律斗は桃子を毎朝迎えに来ては、一緒に登校した。帰りもずっと一緒だった。
だから、律斗は運動神経がいいのに部活はしなかった。
何かあれば、よく世話をやいてくれたし、思春期に入って距離があいても、桃子をからかう男子からさり気なく守ってくれた。
律斗の気遣いはありがたかったが、桃子にはそれが申し訳なくて仕方がなかった。
幾度となく、「もう大丈夫だよ」と言っても、律斗は聞く耳を持たなかった。
ずっと、自分の傷に捕らわれる律斗が不憫で、可哀想で、どうにかしたいのに、出来ない。
それがもどかしくて、苦しい。
(高校生になったら…、私の顔を見なくてよくなったら、りっちゃんは解放されるのかな。好きな佐山さんと、付き合えるのかな…)
佐山へ対する、律斗の恋心は、鈍い桃子でも知る所だった。
佐山は、校内一、綺麗でみんなに人気のある素敵な女の子だ。男子達の憧れの存在であり、律斗もその内の一人だった。
彼女と話す律斗の目は、穏やかで熱を帯び、恋をする男の子そのものだった。
あの目を向けられた事は、桃子には一度としてない。
二人は、見るからに両想いだった。
それでも律斗が佐山に告白しないのは、間違いなく自分のせいであるだろう。
(何とかしなくちゃ…。これ以上、りっちゃんの人生が私のせいで滅茶苦茶にならないように…)
立ち止まっている桃子に気付いた律斗が、「遅せぇよ」と振り返ってたしなめてくる。
桃子は「ごめん!」と駆け寄りながら、必死に自分に言い聞かせた。
(絶対、絶対、りっちゃんと違う高校へ行く…!その為には、死ぬほど勉強して、死ぬ程遠い高校へ行くんだ…!!)
そう決意した、中学三年生の冬だった。
◇ ◇ ◇
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