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春。
山の葉がキラキラと艷めき、心地よい風が吹く季節になる頃、桃子の初めての電車通学が始まった。
死に物狂いで勉強し、家から高校まで恐ろしく遠い進学校に無事、合格したのだ。
家から駅まで自転車で20分、そこから1時間以上電車に揺られ、高校に着くまではおよそ2時間はかかる。
これも全て、律斗に健やかな人生を送って貰う為だ。
お互い別の高校に進学し、心機一転、新しい毎日を送る。
そんな桃子の作戦は間違いなく完璧だった。
はずだった。
(な、なんと言うことでしょう…)
電車の隣の座席で、欠伸をかいている律斗をチラリと見て、桃子はガックリと肩を落とした。
何となく機嫌が悪そうな律斗に、呻くように「ごめん」と謝る。
「りっちゃん、本当にごめん」
「なにが」
冷たい目でジロリと見られ、うっ、と肩をすくめる。
彼は元々目付きが悪いので、これでも特別怒っていないのは分かるのだが、それでも桃子はいたたまれなくなって唇を噛んだ。
暫く「うぐぐ…」と堪えた後、吐き出すように言う。
「私、りっちゃんって見た目が真面目じゃないから、りっちゃんが実は凄く頭が良いの、すっかり忘れてたんだよ…」
「は?」
「だからまさか、同じ高校を目指してたなんて思ってなくて…。受験の日まで全然気付かなかった。ほんと、間抜けすぎるよね…」
律斗は小さく嘆息すると、座席の向かいにある車窓の外へ視線を投げた。
「俺は知ってたよ。お前が俺と同じ高校受けるの」
「し、知ってたなら、なんで教えてくれなかったの?」
「聞かれてないし。それにトロ子が受かるとも思ってなかったし」
桃子はますます項垂れると、頭を抱えた。
「本当にごめんなさい。私、りっちゃんを追いかける為に同じ高校受けた訳じゃないんだよ。むしろその逆で…。だから本当にごめんなさい」
「なんかよく分かんねぇけど、別にそんなに謝らなくてもいいし」
「怒ってない?」
「別に」
「でもやっぱり機嫌悪いよ…?」
律斗はムッと唇を引き結んだ後、苦々しく言った。
「成長痛。最近体の関節がビキビキしてて痛いんだよ」
「成長痛…」
目を丸くしながら、隣にある律斗の足を見る。
身長は桃子とさほど変わらないのに、やはり男の子だ、履いている靴は桃子の一回りも二回りも大きい。
これからもっと、この足は伸びて行くのだろう。
「りっちゃん、身長伸びないの気にしてたもんね」
微笑ましい思いで言うと、律斗はあからさまにムッとした。
「してねぇよ、別に」
「私はそのままでもいいのにって思ってるよ」
「なんでだよ。お前と同じ身長とか、絶対嫌だ」
「ほら、気にしてる…」
「あのな…」
電車が駅に停車し、人がドッと乗り込んで来る。
学生の姿が増えた車内に、苛立ちを削がれた律斗は、仕方なく口をつぐんだようだった。
(良かった、ナイスタイミングだ…)
ホッとしながら、暫くぼんやりと車窓を眺める。
すると、向かいの座席に座った数人の女子高生が、こちらを見てコソコソと耳打ちするのが目に入った。
(あ、私の事だ…)
そのような視線や態度は慣れっこで、桃子も一々傷付くことは無かった。
好きに見て、好きに哀れんでくれたらいい、とさえ思う。
それでも、律斗は違うのだ。
いつの間にか座席から立ち上がって桃子の前に立ち、無言で吊革を握っている。
彼女達の壁になってくれている律斗に、ありがたく思う反面、申し訳ない気持ちの方が募るのだった。
(やっぱり私がそばにいたら、りっちゃん、いつまでもこんな風に気を使わなきゃいけないんだ…)
目の前に立つ律斗の顔を見上げる。
目付きの悪い仏頂面の少年は、まだ着慣れないブレザーに身を包んで、車窓の外をぼんやりと眺めていた。
桃子にとって、特別で大切な幼馴染みの男の子。
大好きだからこそ、離れなくてはいけないのだと、しみじみと思うのだった。
建て替えられたばかりの美しい校舎の庭で、クラスの割り当てが張り出されていた。
流石の進学校、制服を着崩している者はおらず、皆背筋を伸ばして颯爽と校舎へ入っていく。
その光景は、片田舎の中学生だった桃子をいくらか躊躇わせた。
(わ、私、やっぱり色々間違ったよ…)
律斗の為に仕方なくこの学校を目指したが(その学校でないと、遠くの高校へは通わせないと両親が言ったので)、そもそも元の計画が破綻している上、特にこの学校で勉強を頑張りたかった訳でもない桃子は、ここに来て自分の選択が大いに間違ってしまった事に気付いて後悔していた。
よくよく考えれば、いや、よく考えずとも、当然気心の知れた友達は一人もいない訳で。
中学の友達の大半は、地元の高校へのんびりと進学した。
今頃楽しくやっているだろう。
(一から、人間関係を構築しなきゃ、いけないんだよね…)
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