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ピンと来ていない様子の桃子に、英奈は小さく嘆息した。
「修学旅行、一緒に過ごしたいって思わないの?」
「だって、スキーでしょ?りっちゃんと過ごせるのかなぁ」
「同じクラスだし、バスの中で一緒に座るとか、宿舎でこっそり会う約束したりとか、出来るじゃない」
「な、なるほど…」
「その為には、ちゃんと話し合って、関係をハッキリさせなきゃ。じゃないと、会う約束だって出来ないじゃない」
桃子に、英奈は困ったように微笑む。
「大丈夫。キスされたって事実があるんだから。ちょっとの勇気を出せば、前に進めると思うわ」
桃子は、今更な事を言った。
「焦った方が、いいのかな?」
英奈は、今度こそ大きく肩を落として深いため息を吐く。
「矢嶋君が、見た目に似合わずとっても鈍感で、何事ものんびり構えてる人だってこと、桃ちゃんはもっと心得た方がいいと思うわ」
桃子は心底納得して、大きく頷いたのだった。
律斗に連絡すると意気込んだものの、何のアクションも起こせないまま、修学旅行の日はあっという間に訪れた。
学校指定のジャージに身を包んだ生徒達は、クラス別に分かれたバスに乗り込み、約一日かけて県外のスキー場へ向かう。
長い道のりなので、出発時こそみんな浮かれて騒がしくしていたが、昼過ぎにもなると、長距離の乗車に疲れ、車内は静まり返った。
そして、遂に根を上げたのは、隣に座っていた英奈だった。
「桃ちゃん、ごめん。限界だわ…」
うたた寝をしていた桃子は、肩を叩かれて目を覚ました。
隣の英奈を見ると、彼女は真っ青な顔をし、片手で口元を覆っている。
「英奈ちゃん、酔っちゃった?」
返事をするのもしんどいのだろう、英奈はコクリと力なく頷いた。
慌てて後方に座っていた教師に振り返り、声をかける。
「先生、新井さん、酔ったみたいです」
後方の座席にいた女性教師は慌てた様子で立ち上がると、英奈の側まで来た。
「新井さん、大丈夫?とりあえず、一番後ろの席で横になりましょうか」
教師の提案に、英奈がヨロヨロと立ち上がる。
桃子も教師と共に英奈を支えようとしたが、「大丈夫だから、あなたは座ってて」と言われ、仕方なく席に戻った。
隣の席が空いてしまい、少し寂しく思っていると、暫くして、隣に誰かが腰を下ろして来た。
英奈と席を交代した人だろう、と顔を確認すると、その瞬間、桃子は飛び退いた。
「り、りっちゃん!?」
小声でそう叫ぶと、律斗は嫌な顔をしてから、早々に目を閉じて居眠りの体制に入った。
「寝てたの叩き起こされて、席代われって言われた。新井だったんだな、体調崩したの」
桃子は、久し振りに近くで見る律斗の顔にドキドキとしながら、うん、と頷く。
「酔っちゃったみたいで。英奈ちゃん、乗り物酔いする方だから、薬も飲んでたみたいだけど、流石にこんなに長い時間だと、体調崩すよね」
「次のサービスエリアで外の空気吸えば、少しはマシになると思う。まぁ、着くまでは辛いだろうけど」
「向こうに着くのは、夜の七時くらいだっけ?」
「予定だと、そうらしいな」
「楽しみだね」
「そうか?」
律斗は目を閉じたまま、幾分げんなりした様子でぼやいた。
すべすべとした肌と、高い鼻梁が微かに歪む。
「りっちゃん、楽しみじゃないの?」
「一日中、団体行動でスキーだぞ。楽しいわけないだろ。寒いし疲れるし」
律斗は、何事もそつなくこなせる癖に、割と面倒臭がりだ。
口では嫌がるので、周りは出来ないだろうと思わされるのだが、いつもそれを覆す。
そのギャップに、女子は弱いのだ。
「もしかしてりっちゃん、スノーボード選択してる?」
「うん」
「習わなくても、既に滑れる人?」
「うん」
面倒くさそうに答える律斗に、桃子は心の中で「ほらね」と呟く。
何だかんだ言いながらスノーボードを乗りこなし、女子に騒がれる姿を想像して、なんとなく面白くない気分でいると、律斗がようやく目を開けた。
「なに。どうした?」
「え…」
「急に黙るから」
律斗の鋭くも端正な目が、真っ直ぐと桃子をとらえる。
またドキドキと高鳴り始める心臓の鼓動を聞きながら、桃子は赤くなる顔を車窓に向けた。
「りっちゃんは、ずるいなって思っただけ」
「はぁ?」
「そうやってさ、文句言いながらも、なんでも上手にこなすし。りっちゃんってさ、そう言う所あるよね。何があっても平気な顔して、全部上手にすり抜けて行くんだよ」
少し棘がある言い方だったと、自分でも自覚していた。
だが、あのキスから何も動いていない事実が、桃子の心を焦らせているのは確かで。
自業自得だが、このままなかった事にされるのではと思ってしまうのだ。
(だからって、これは八つ当たりじゃないか。傍にいられたらいい、って、新しい関係を築くんだ、って、意気込んでたくせに)
あのキスは、もっともっとと、欲深くさせてしまうものだったと、桃子は染み染み思う。
あれがなければ、期待して落ち込むことはなかった。
すっかりうつむいてしまった桃子に、律斗は目を丸くして、あっさりとした調子で言った。
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