第8話 分かっているのに

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ピンと来ていない様子の桃子に、英奈は小さく嘆息した。 「修学旅行、一緒に過ごしたいって思わないの?」 「だって、スキーでしょ?りっちゃんと過ごせるのかなぁ」 「同じクラスだし、バスの中で一緒に座るとか、宿舎でこっそり会う約束したりとか、出来るじゃない」 「な、なるほど…」 「その為には、ちゃんと話し合って、関係をハッキリさせなきゃ。じゃないと、会う約束だって出来ないじゃない」 桃子に、英奈は困ったように微笑む。 「大丈夫。キスされたって事実があるんだから。ちょっとの勇気を出せば、前に進めると思うわ」 桃子は、今更な事を言った。 「焦った方が、いいのかな?」 英奈は、今度こそ大きく肩を落として深いため息を吐く。 「矢嶋君が、見た目に似合わずとっても鈍感で、何事ものんびり構えてる人だってこと、桃ちゃんはもっと心得た方がいいと思うわ」 桃子は心底納得して、大きく頷いたのだった。 律斗に連絡すると意気込んだものの、何のアクションも起こせないまま、修学旅行の日はあっという間に訪れた。 学校指定のジャージに身を包んだ生徒達は、クラス別に分かれたバスに乗り込み、約一日かけて県外のスキー場へ向かう。 長い道のりなので、出発時こそみんな浮かれて騒がしくしていたが、昼過ぎにもなると、長距離の乗車に疲れ、車内は静まり返った。 そして、遂に根を上げたのは、隣に座っていた英奈だった。 「桃ちゃん、ごめん。限界だわ…」 うたた寝をしていた桃子は、肩を叩かれて目を覚ました。 隣の英奈を見ると、彼女は真っ青な顔をし、片手で口元を覆っている。 「英奈ちゃん、酔っちゃった?」 返事をするのもしんどいのだろう、英奈はコクリと力なく頷いた。 慌てて後方に座っていた教師に振り返り、声をかける。 「先生、新井さん、酔ったみたいです」 後方の座席にいた女性教師は慌てた様子で立ち上がると、英奈の側まで来た。 「新井さん、大丈夫?とりあえず、一番後ろの席で横になりましょうか」 教師の提案に、英奈がヨロヨロと立ち上がる。 桃子も教師と共に英奈を支えようとしたが、「大丈夫だから、あなたは座ってて」と言われ、仕方なく席に戻った。 隣の席が空いてしまい、少し寂しく思っていると、暫くして、隣に誰かが腰を下ろして来た。 英奈と席を交代した人だろう、と顔を確認すると、その瞬間、桃子は飛び退いた。 「り、りっちゃん!?」 小声でそう叫ぶと、律斗は嫌な顔をしてから、早々に目を閉じて居眠りの体制に入った。 「寝てたの叩き起こされて、席代われって言われた。新井だったんだな、体調崩したの」 桃子は、久し振りに近くで見る律斗の顔にドキドキとしながら、うん、と頷く。 「酔っちゃったみたいで。英奈ちゃん、乗り物酔いする方だから、薬も飲んでたみたいだけど、流石にこんなに長い時間だと、体調崩すよね」 「次のサービスエリアで外の空気吸えば、少しはマシになると思う。まぁ、着くまでは辛いだろうけど」 「向こうに着くのは、夜の七時くらいだっけ?」 「予定だと、そうらしいな」 「楽しみだね」 「そうか?」 律斗は目を閉じたまま、幾分げんなりした様子でぼやいた。 すべすべとした肌と、高い鼻梁が微かに歪む。 「りっちゃん、楽しみじゃないの?」 「一日中、団体行動でスキーだぞ。楽しいわけないだろ。寒いし疲れるし」 律斗は、何事もそつなくこなせる癖に、割と面倒臭がりだ。 口では嫌がるので、周りは出来ないだろうと思わされるのだが、いつもそれを覆す。 そのギャップに、女子は弱いのだ。 「もしかしてりっちゃん、スノーボード選択してる?」 「うん」 「習わなくても、既に滑れる人?」 「うん」 面倒くさそうに答える律斗に、桃子は心の中で「ほらね」と呟く。 何だかんだ言いながらスノーボードを乗りこなし、女子に騒がれる姿を想像して、なんとなく面白くない気分でいると、律斗がようやく目を開けた。 「なに。どうした?」 「え…」 「急に黙るから」 律斗の鋭くも端正な目が、真っ直ぐと桃子をとらえる。 またドキドキと高鳴り始める心臓の鼓動を聞きながら、桃子は赤くなる顔を車窓に向けた。 「りっちゃんは、ずるいなって思っただけ」 「はぁ?」 「そうやってさ、文句言いながらも、なんでも上手にこなすし。りっちゃんってさ、そう言う所あるよね。何があっても平気な顔して、全部上手にすり抜けて行くんだよ」 少し棘がある言い方だったと、自分でも自覚していた。 だが、あのキスから何も動いていない事実が、桃子の心を焦らせているのは確かで。 自業自得だが、このままなかった事にされるのではと思ってしまうのだ。 (だからって、これは八つ当たりじゃないか。傍にいられたらいい、って、新しい関係を築くんだ、って、意気込んでたくせに) あのキスは、もっともっとと、欲深くさせてしまうものだったと、桃子は染み染み思う。 あれがなければ、期待して落ち込むことはなかった。 すっかりうつむいてしまった桃子に、律斗は目を丸くして、あっさりとした調子で言った。
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