1.志摩 (20歳 学生)

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「カップ麺は、居間に名前書いておいとくから。風呂のときにでも回収してくれ」 「ありがとう」 「皆ともちゃんと共有して相談しておくからな」 「はい」  杉君との通話を終え、声をこんなに長く出したのは久しぶりだったと気づく。  両親も心配して電話をくれるが、なぜだかそう長く話せなかった。 初めのころ「帰ってきてもいいよ」と言った母の声には決意がにじんでいて、その気持ちだけを汲んで「帰る」とはいえなかった。    今はやっている病気は高齢者が重症化しやすいとされていた。  新型のウィルスなので詳しいことははっきりわかっていないけれど、高齢者や持病がある人が重症になりやすいと、かなり初期から注意喚起されていた。近所には高齢の祖父母が住んでいて、母は介護施設で勤務していた。    明るい声で「ううん!」と言った。    シェアハウスの人たちもいるし、大学の友達もたくさんいる。ひと月くらいなら大丈夫。こちらの方が患者さんが多いと聞くよ。私が帰って、もし誰かに伝染すことになったら。それで、もしお母さんが仕事に行けなくなったら困るもの。  そのうち落ち着いてくるよ。大丈夫。大丈夫。  今考えてみるとおりこうさんすぎる答えだ。  そう言えば、「怖い」も「不安」も「嫌だ」も誰にも言っていなかったように思う。  映画が見られるから、本が読めるから、料理ができるから。時間がなくてできなかったこと全部するから。「大丈夫」  全部、自然に無意識に置き換えていた。  あの息もできないくらいに庭園に行きたい衝動は和らいでいて、ひとまず今日は眠れそうだ。 でもなくなったわけではないのできっとまた出てくる。 「怖いなあ」 一人きりで口に出したこの言葉は、誰にも聞かれることなく部屋の空気に溶けた。
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