第四章「事件の概要」(日尾木一郎の記録)

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第四章「事件の概要」(日尾木一郎の記録)

    「それで、一義(かずよし)さんからは、どこまで話を聞いているのです?」 「ああ、それなんですが……」  私が正直に、緋山(ひやま)一義(かずよし)から聞いた内容を全て告げると、 「……呆れた。まるで何も知らないのと、同じじゃないですか」  木田(きだ)巡査は、いったん体を引いてから、改めて口を開く。 「では、最初から順を追って話すとしましょうか。そうですねえ、では、関係者の説明から……」  彼の話を一字一句ここに書き記すのは、冗長になるだろう。  とりあえず今は、なるべく要点だけに絞って、まとめて書いておこうと思う。  まずは、現在、緋蒼屋敷に住んでいる人々について。  緋山一義は、厳密には『現在』というより『今日これから』であるが、彼も関係者ということで含む。  緋山(ひやま)直樹(なおき)、六十二歳。現在の『緋山の御当主』であるが、病に倒れて寝込んでおり、もう長くないと言われているらしい。関連は不明だが、直樹が病床に伏したのは、ちょうど一義が陽子(ようこ)との結婚を言い出した頃である。直次(なおつぐ)良美(よしみ)の件も含めて、直樹の病気も化け猫の祟りであるという声まであるという。  緋山一義、三十歳。直樹の長男である。本来、あと二、三年は外の世界で働いてくる予定であった。それから村へ戻って陽子と結婚するつもりであったが、弟や妹が亡くなったことで、その予定が早まった。緋山家断絶の危機ということで、すぐにでも家庭を持って、子孫を残したいらしい。ただ、蒼川(そうかわ)の御当主が、一義と陽子の結婚には猛烈に反対しているのであった。  蒼川(そうかわ)信子(のぶこ)、五十七歳。現在の『蒼川の御当主』であり、『緋山の』とは異なり、まだまだ元気である。趣味の華道も立派なものであり、わざわざ他の村まで呼ばれることもあるらしい。十二年前に亡くなった夫――規夫(のりお)――は婿養子であったため、夫の在命中から、実質的には信子が御当主として扱われていた。  葉村(はむら)珠美(たまみ)、三十三歳。信子の長女。かつては信子も今ほど閉鎖的ではなく、「御当主となる者は村の外の世界についても学ぶべき」と考えていたため、珠実は十歳の時に、広島にある私立の女学校に転入させられた。以後、高校卒業まで寮生活を送り、その間ほとんど村へ帰省することもなかった。しかし、外の世界を知り過ぎたためであろうか。高校卒業後も村に戻らず、外の世界の人間に嫁いで、東京へ行ってしまった。信子のよそ者嫌いが始まったのは、珠美の結婚がきっかけとも言われている。数ヶ月前、夫を亡くしたことで、ようやく珠美も村に戻り、以後、緋蒼屋敷の住人となった。ただし、ただ出ていっただけでなく『蒼川』の姓まで捨てた以上、もしも信子が死んで最年長者になった場合でも、もはや御当主になれず、遺産をもらう権利もないらしい。蒼川家の一員でありながら、蒼川の人間として扱われない場合もあるという、微妙な立場に置かれている。  蒼川(そうかわ)華江(はなえ)、三十一歳。珠美の妹。珠美とは異なり、ずっと村の学校に通った。一見おとなしい女性であるが、誰もが口を揃えて「華江には異常性癖がある」と言う。極度の男嫌いであり、本来ならば異性に向けるべき愛情を、同性に対して向けてしまうからである。子供の頃から、嫌悪が過ぎて同年代の男の子を酷く痛めつけたり、逆に、一方的な愛情を示して女の子につきまとったり、という噂があった。具体的な内容は噂に過ぎないとしても、何かしらの問題を何度も起こしていたのは確実であろう。ただし、全て信子によって揉み消されてきたようだ。妹の陽子を異常なほどに可愛がっているのも、姉妹愛なのか、あるいは別種の愛情なのか、村の者からは疑いの目で見られているという。  蒼川陽子、二十五歳。華江の妹。明るくて陽気な、誰からも好かれる女性であり、ある意味、華江とは対照的かもしれない。その華江から向けられる愛情を、小さな頃から陽子は(けむ)たがっていたが、家族には相談しにくかったとみえて、同じ屋敷に住む緋山家の一義を頼っていた。そうした形で、陽子は昔から一義を慕っており、成長するにつれて、それが男女の愛情に変わっていったのではないかと噂されている。しかし最近では、以前ほど華江を嫌がる態度は見せなくなった。「一義と結婚するまでの間の、姉孝行ではないか」と噂されている。また、その様子から「御当主の反対を押し切ってでも、近々、一義と結婚するつもりなのだろう」という見方もあるらしい。  蒼川(そうかわ)規輝(のりてる)、二十三歳。蒼川家の末弟である。ちょうど珠美が広島へ発った日に生まれた。だから、あまり帰省もしなかった珠美とは、顔を合わせる機会も少なかったはずであるが、その割には彼女から可愛がられているらしい。規輝は、高校卒業後すぐに村を出ていってしまったが、時々、金をせびりに戻ってきた。信子に断られると、東京まで行って、今度は珠美に無心していたようである。その珠美が村に帰ってきた影響であろうか、規輝も、半月前に緋蒼屋敷へ戻ってきた。こんな規輝であるが、珠美とは違って『蒼川』の姓を捨てたわけではないので、御当主になる権利も相続権も残っている。それこそ現在の蒼川家の最年少であるため、今もしも緋山家が死に絶えれば、その財産は規輝のものとなるであろう。村では「少し不良がかった感じ」と言われることもある規輝であるが、一方「元来は気立ての優しい子である」という擁護の声もあった。擁護側の話によると、規輝は外の世界にいた頃、障害者のためのボランティア活動にも参加していたとか。  浜中(はまなか)大介(だいすけ)、五十二歳。村長であるが、この村では、緋山・蒼川両家の使用人に過ぎない。私自身、初めて会った際には「ただの運転手」と思ってしまったくらいである。彼は若くして結婚し、直後に、(きよし)という長男に恵まれた。そもそも、相手の女性を孕ませたから結婚した、という形らしい。しかし妻は病弱な女性であったため、出産の負担に体が耐えられず、我が子の顔を見ることもなく亡くなってしまった。そして長男の清が九歳になった年、大介は後妻を迎え入れた。  浜中(はまなか)朝子(あさこ)、四十二歳。そう『朝子』という名前からわかるように、先ほどまで駐在所にいた女性である。彼女こそが、現在の村長夫人であった。朝子が大介と結婚した時も、前妻と同じく、既に身ごもっていた。その出産日は、ちょうど蒼川家で規輝が生まれたのと同じ日であったが、残念ながら朝子の赤ん坊は、生まれてまもなく息を引き取った。「生きていれば同い年」ということで我が子の面影を重ねてしまうのか、朝子の規輝への態度は甘く、他の蒼川家の人間に対するものとは明らかに異なるらしい。継子(ままこ)である清と同じくらい規輝を可愛がっていたように見えたが、清の方では、それを快くは思っていなかったのであろう。清は十年前に村を飛び出したまま、消息不明となっていた。  以上が、現在の緋蒼屋敷の全住人である。  続いて、緋山直次と緋山良美の事件について。  最初の事件が起こったのは、蒼川規輝が村へ戻ってきた一週間後のことであった。  いつまでたっても起きてこない良美を朝子が起こしに行くと、布団の中には誰もいない。人が寝ていた温もりも、既に消えていた。夜中のうちに、どこかへ出かけたらしい。捜索の結果、永瀬沼(ながせぬま)の近くで、首を吊っている姿で発見された。  翌日の夕方、今度は直次が行方不明となった。そして二日後、涼雲山(りょううんざん)で彼の遺体が発見された。ちなみに、涼雲山は、かつて緋山の始祖が立てこもったと伝えられる山である。  なぜ直次が涼雲山へ行ったのか、それは不明であるが、現場の状況から判断する限り、彼はその山の高い崖から足を滑らせたようであった。落下の衝撃は凄まじく、顔も判別できないほどの、ぐしゃぐしゃな死体となっていた。緋蒼村のような狭い世界でなければ、身元の特定も難しかったかもしれない。ただし、そのような状態でも、死因となった後頭部の傷だけは、はっきりと残っていた。  ……以上が、木田巡査から得られた情報をまとめたものだ。村長夫妻の説明の部分で、現時点での私見も加えたが、ごくわずかに過ぎない。そもそも木田巡査という個人の口を通した時点で、だいぶ偏っている感もあるが、まあ仕方ないだろう。  ただ、これくらいの話ならば、わざわざ駐在所に立ち寄る必要はなかったのではないか。緋蒼屋敷へ直行して、そこで住人から直接聞いても良かったのではないか。そんなことも感じてしまう。  特に、住人に関する説明は、実際に目で見てからの方がわかりやすいだろう。先ほど列挙した九人のうち、私が緋蒼村に来て会ったのは、緋山一義、蒼川信子、浜中大介、浜中朝子の四人だけ。残りの五人――緋山直樹、葉村珠美、蒼川華江、蒼川陽子、蒼川規輝――に関しては……。全部が全部ではないが、まるで探偵小説の『登場人物』のページを読まされたような感覚すらある。顔もわからぬ人物の情報を詰め込まれたところで、正直、どれだけ覚えていられるものなのか。おそらく、ここでまとめた『関係者の紹介』は、後になって――特にその人物と初めて出会った直後に――何度も読み返すことになるだろう。  いや、否定的に考えるのも、あまり良くないかもしれない。これはこれで、いちいち屋敷で話を聞くより、手間が省けたと思っておこう。 「周囲の意向はともかく……。別に私は、探偵をしに来たわけではない。小説のネタが拾えるだけで構わないのだ」  誰もいない道を進みながら、自分に言い聞かせるように、敢えて私は声に出してみた。  木田巡査から教えられた通りの道を、緋蒼屋敷に向かって、ひたすら一人で歩く。  こうして歩いていると、ただの閑散とした田舎村だ。車の中でも感じたことだが、やはり、連続殺人の舞台とは思えない。  ふと見上げると、空は赤くなってきていた。これも、緋蒼村の『緋』なのかもしれない。そんな夕焼け空を背景に、一羽のカラスが飛んでいく。濡羽色(ぬればいろ)という表現があるように、本来カラスの羽は、わずかに青みや緑みを帯びていると聞くが、遠くから眺めても、カラスに『蒼』の要素を見出(みいだ)すことは出来なかった。『緋』でも『蒼』でもない、漆黒のカラス。暗黒を思わせる、不吉な色だった。    
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