4月29日

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4月29日

新型ウイルスの影響により、今日もひなたは仕事は休みで、家でだらだらしている。 やる事がない。やり切ってしまった。 たった週一回の出勤でそれ以外は自宅待機である。部屋の掃除もやり切ってしまった。 やり切ってしまったと言っているが、さほど綺麗ではない。 部屋の奥の収納スペースには小学生の時の図工の作品などが無造作にしまってある。そしてひなたはそれに背を向けるよう座っている。 そんな物を今更引っ張り出して恥ずかしい思いもするのも嫌なので収納スペースは掃除範囲外です。なんて謎ルールを生み出し、そこに目を向けないようにしている。 しかしやることが無い。いや、やる事はあるが、やる気分では、ない。 趣味のギターも満足するまで触り終え、自信のある演奏動画をSNSにアップするもいいねは来ず。世界は自分一人になってしまったのでは?など勝手な解釈をする。 それにしてもやる事が無い。もう自分でも聞き飽きてしまったセリフだ。 最近始めた執筆活動も、新しい話を作ろうと机に向かうも、作品に込める思いが見つからず、走らせる予定だったペンも今日は運転見合わせである。 気分転換にでも外へ行こう。 麗らかな日光を浴びせてくれるようになったこの頃。ひなたはラフな格好に着替え、家の周りをフラフラと歩く。 お昼すぎという事もあり、5歳くらいの子供たちが、公園で追いかけっこやブランコなど、青空の下に元気な声が響き渡る。 割と子供が多い団地に住んでいるので、公園の数も多いのだが、行く先ほとんどの公園で子供たちの無邪気に遊び回る姿に心を洗われるような感覚を覚え、自分自身の疲労を自覚する。 そして十分ほど住宅街を歩き回ったところで痛々しい泣き声が聞こえた。こんなにいい天気に、顔を濡らしている子はだれだろうか。声のする方へ歩いていくと、さっきまでブランコを控えめに揺らして遊んでいた三歳くらいの女の子が顔を覆って泣いている。 「ゆな、なんでブランコからおちたん?」 泣いている女の子の頭を撫でながら、少し尖った声で話している女性。 名前を知っているという事は恐らく母親だろう。女の子は何も言わず、ただただ泣き声を大きくするばかり。母親もずっと同じ質問を繰り返している。 あれ、苦手やな。 ひなたは少し心の中で苦笑してしまう。 仕事でミスをした時、上司の「なんでミスした?」という質問はひなたが一番苦手としているものだった。 もちろん、ミスの原因をはっきりさせる事は大事だが、ミスした直後にえらい剣幕で、そんな事を聞かれて答えられるくらいなら、ミスなんで起こらまい。 社会人でも困るような質問を小さな子が答えられる訳もなく、女の子は母親に痛さを伝えようと必死に泣き声をあげ、頬を濡らすだけだった。 じっとその様子を見ている訳にもいかず、そして女の子を慰めにいく勇気もないひなたは、女の子の健闘を祈りまた歩き始めた。 その直後、自転車で横並びに走りながら、騒いでいる中学生くらいの少女達とすれ違った。 そのうちの一人が、人気アニメのキャラの声を真似ていたのだが、クオリティがなかなかのものだったので、ひなたはバレないよう俯き、ぷっと吹き出す。 するとさっきまであんなに声を上げて泣いていた女の子の声がぴたっと止まり、今度はキャキャキャっと嬉しそうな声を出す。 あんな小さな子でも女だな。 さっきまでのが嘘泣きだ、とわからないほどひなたも子どもではない。きっと将来、嘘泣きで男を掴むのだろう。なんて勝手な妄想をして一人でニヤニヤ。しかし住宅街で一人、ニヤついている人間など、怪しさしか感じさせないのでまた緩んだ頬にスイッチを入れる。 いつから外の日常を感じていなかっただろう。 ふとひなたはそんな事を思った。 いつもならこの時間、会社で動き回り、怒られながらも生きるために働いている時間だ。 それがひなたの日常であり、今日のような事は非日常である。 しかし泣いていた女の子も、あのすれ違った少女にとっても、今日は普通の一日に過ぎない。これが彼女らにとって当たり前の日常だからだ。 そしてひなたも少し前まではそのような日常を過ごしていたはずだ。 大人に「慣れて」しまった。 別に今の日常に不満しかない訳では無い。 今は今で、やりがいや大人にならないとできない事など、ひなたなりに楽しんでいる。 しかし、今日のような青空の下で泣く女の子やすれ違ったものまねが上手い少女達の日常を「非日常」だと思うほど、昔の日常をわすれ、大人に慣れてしまったのだ。 もっと外の空気を感じよう。 たった半径一キロメートル未満の住宅街にも溶け込まない日常を送っていたひなたは、そう決心し、たった五分ほどの出会いに感謝するのだった。 そして家へ戻り、ペンの運転を再開。大変長らくお待たせ致しました。と心の中で呟く。 大人に慣れすぎないよう、日常をしっかり感じられるよう、そんな思いを込めて日記をつけ始めたのであった。
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