幸せの裏側に

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幸せの裏側に

 夕暮れ時のとある学校の屋上。同じ制服を着ている二人の男が座りこみ、和気藹々(わきあいあい)と話していた。 「こないだ彼女とデートしたんだけどさー、あいつマジ可愛いよなー」 「……うん。そうだね」 「あ、そうそう! あいつ、お前のこと話してたぜ?」 「へぇー……なんて言ってたの?」 「なんだっけなぁ。あんま詳しいこと覚えてねーけど、褒めてた気がするよ」 「あはは、そうなんだ?」 下校時刻はとうに過ぎている。そのせいか、グラウンドにも教室にも他の生徒の影は見当たらなかった。しん、とした空間に二人の話し声が響いている。  気まずさも沈黙も二人の間にはない。何気ない会話が滞りなく続いている。  ふと、聞き役だった男が鞄に目を向けた。どこにでも売っているような黒い肩掛け鞄には小さなチャームが付いていた。薄緑色のハート型の葉が四枚ある、特徴的な形のもの。 「ねぇ、四つ葉のクローバーの花言葉って……知ってる?」  軽い印象を感じさせる茶髪の男に質問を投げかけたのは、長い前髪で両目が隠れてしまっている陰気な黒髪の男。制服をだらしなく着崩している茶髪の男とは反対に、きっちり第一ボタンまで留めている。雰囲気も着こなしも対称的な二人である。 「クローバーの花言葉? それがなんだよ」  話題が突然変わったのを疑問に思ってか、茶髪の男は隣にいる黒髪の男を見て、怪訝そうに聞き返す。話を振った黒髪の男は、さして興味もなさげに沈んでいく太陽をぼんやりと眺めている。  そして、視線を動かすことなく返された問に応ずべく口を開いた。 「クローバー……まぁ、シロツメクサのことだけど。なんとなく、優輝(ゆうき)は知ってるのかなーって」  優輝と呼ばれた茶髪の男は、わざわざさっきまでの話題を変えてまでする話なのかと苛立ちを露わにする。その不機嫌さを隠そうともせず、荒い口調で雑に答える。 「はぁ? なんだよ急に……。つーかクローバーの花言葉? なんて幸運とか幸せとかそんなんじゃねぇの?」 「うん。その通りだよ。でも実は、他の意味もあるんだ」 「は? 別の意味?」  遠くを見ていた黒髪の男は、訝しんでいる優輝を見た。黒髪の男の表情は完璧なまでの笑顔だ。唇は綺麗に弧を描き、密かに見える黒い両目も三日月型である。それにも関わらず、何故かその笑顔からは好意的な印象はまるで見受けられない。それどころか、どこか冷たいようにも感じられる。不自然な笑みを崩さないまま、黒髪の男は優輝に告げる。 「……復讐、っていうのがあるんだって」 「え、フクシュウ?」 「そう」  出てきた言葉が予想外だったのか、優輝は豆鉄砲を食らった鳩のような間抜けな顔をする。黒髪の男はそんな優輝を見て、得意げな顔をしていた。弾んだ声で饒舌に語り出すその姿は、愉快なものを見て楽しんでいるようであった。 「まぁ、どうしてそんな意味になったかまでは知らないんだけど。でもね、僕はその言葉の意味って四葉の出来方にあると思うんだ」  優輝は戸惑っていた。黒髪の男が突如饒舌に語り出したことについていけてないのだろう。困惑を浮かべたまま、相槌なのか簡単なのか、よく分からない声を洩らしている。そんな優輝にお構い無しに、黒髪の男はべらべらと淀みなく話し続ける。 「四葉ってさ、遺伝的になるっていうよりも踏まれたり潰れたり……傷つけられて出来る方が圧倒的に多いらしいよ」  話しながら興奮してきたのか、黒髪の男は時折くつくつと曇った笑い声を発している。優輝はその不審な様子に驚き、目を丸くした。動揺を隠せないまま、咄嗟に距離を置こうと後退る。 「踏んでおいてさぁ……後から〝幸せの象徴〟として摘まれるとか……笑い話でしかないよねぇ?」  断続的に狂気じみた笑い声を上げながら、黒髪の男は優輝に詰め寄る。日が落ちきる寸前の仄暗さと赤紫の空が、その異様さをより一層不気味に際立たせていた。 「お、おいっ! なんだよっ……掴むんじゃねぇよっ!」  立ち上がり、どこかへ行こうとした優輝を黒髪の男は両肩を掴んで阻止した。肩を掴まれた優輝は勢いよく、さっきまで寄りかかっていた低いフェンスに押し付けられる。強い力で押さえつけられ、身の危機を感じた優輝は表情が強ばった。 「な、なぁ、急にどうしたんだよお前!? お、俺達……親友だろっ!?」  〝親友〟という言葉を聞いて、黒髪の男は狂ったようにケタケタと笑い出す。攻撃的な嘲笑が遠慮もなく吐き出され、二人以外誰も居ない空間に笑い声が木霊する。 「親友、とか……笑わせないでよ。ばっかじゃないのお前! まだ気づいてないわけ!?」  楽しそうな様子とは打って変わって、地鳴りを思わせる低い唸り声とともに黒髪の男は吼える。風でなびいた前髪の隙間から見える双眼は血走っていて、そこに〝親友〟などというものは映っていなかった。 「小学校の時、僕を虐めてたことも忘れてるしさぁ……それに高校で初めて出来た彼女もお前が寝取って……。それなのに、それなのにお前は! 僕にしたことを何一つ悪びれずあまつさえ親友とか言いやがって……っ!」  怒号を浴びせる黒髪の男に、怖気づいた優輝はひたすらに謝罪を口にする。だが、涙ながらの懸命の謝罪も、黒髪の男には聞こえていない。激高するにつれて、優輝を支えているフェンスに思い体重がのしかかる。組み伏せられ、仰け反っている優輝は今にも落ちてしまいそうだ。 「他人を踏み(にじ)っておいて何がお前のおかげだ!? 親友だ!? ふざけるのも大概にしろよ……っ!」 「わ、悪かった……悪かったから、頼むっ、止めてくれっ!」  優輝の声は上擦っている。震えた声で必死に懇願しているが、それを聞く気は黒髪の男には毛頭無いようだった。むしろ謝罪の言葉は黒髪の男を怒らせるのに一役買ったと言ってもいいだろう。 「僕はずっと、ずっっとお前に復讐したいと思ってたんだ!」 「……や、止めろっ……!」 「死ねばいいと、殺してやりたいと思ってたんだっ!」  二人分の体重を支えている錆び付いたフェンスが嫌な音を立てている。優輝は黒髪の男を押し退けようと抵抗する。揉み合いになり暴れる度、身を守っているフェンスはギィギィと悲鳴を上げて限界を伝えてくる。だが、どれほど力を込めようとも、自分より背の高い黒髪の男に押さえつけられては分が悪い。 「……っ、あっ……!?」  無理やり宙へ押しやられた優輝は、間の抜けた声を上げる。突然の浮遊感を理解する間もなく、その体は落下を始めた。  落下し始めて、ようやく自分の置かれた状況を理解した優輝は目を見開いた。瞳には恐怖と怯えの色が見て取れる。優輝は唯一、陸へ引き上げられる存在の黒髪の男へ助けを求め、手を伸ばす。だが、その手は当然取られることはなかった。  数十秒後、ドシャッと地面に重たいものが打ち付けられる音が響く。がらんとしたグラウンドには一つの人の形をした肉塊があった。その遥か上、一人きりになった屋上で、目的を成し遂げた黒髪の男は高らかに笑っていた。
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