けっして人格者ではなかった魔光結晶解析学の父・烏丸太洋について

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けっして人格者ではなかった魔光結晶解析学の父・烏丸太洋について

 魔光結晶解析学の父と謳われ、早逝の天才としても知られる烏丸太洋の没後五十年特集へ寄稿して欲しいと頼まれた当初、私はそれを断るつもりでいた。  烏丸が私にとって学生時代の同期であり、また卒業後も同じ鷹魔ヶ原大学付属生体高分子研究所に勤めていたという経歴だけを考えれば、確かに私のもとへ依頼がくるのも無理からぬ話ではある。  しかしながら、私と烏丸の仲は、お世辞にも良好とは言えないものであった。したがって私が烏丸について書けば、それは必然的に悪口の羅列となってしまうのだが、それは特集の趣旨にはそぐわないであろう。  そういったわけで、今回の寄稿依頼は断ろうと一度は考えていたのである。それにも関わらず結局このようなものを書いているのは、烏丸を妙に美化し、まるで高潔な人格者であったかのように扱う最近の風潮を思い出して苦々しく気分になったからだ。  死者が美化されるのは世の常ではあるし、ましてやそれが伝説的な研究成果を残しながらも若くして世を去った人間となれば尚更だろう。死んでからもう五十年も経つのだし、悪い側面は無かったことにしてあげても良いのではないかと言う人もいるかもしれない。  しかしながら、我々は科学者であり、科学者たるものは事実を何よりも重んじなくてはならない。業績ある科学者が人としても立派であったという綺麗な(・・・)ストーリーを求めるがために事実をねじ曲げてしまうような態度は、仮説に合致する綺麗な結果を求めて事実をねじ曲げる捏造行為に通じるとも言える。  したがって私は本稿にて、あえて一切の虚飾を交えず烏丸の人間性――あの男がいかに傲慢で、身勝手で、嫌な奴だったか――について述べたいと思う。
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