現在――2020年1月

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 相川と別れて、1人の部屋に帰る。出迎えてくれる人は、相変わらずいない。  だけど。  カウンターの奥に置いた白い小皿に、部屋の鍵を入れる。鍵には、真新しい熊のゆるキャラが付いている。 『あ、なにこれ? 可愛いね』  俺に取って、世界一可愛い生き物が、小さなキャラクター商品を手に、ニッコリしていた。お宝みたいな光景が蘇る。  新千歳空港に着くと、樹は売店を回って、家族に頼まれたスイーツなんかのお土産を買い、宅配便の手続きを済ませた。 『颯介さん、手、出して』  搭乗までの空き時間、航空機の離発着を眺めながら、カフェで軽食を取っていた。食後のコーヒーを飲んでいると、樹はポケットからゴソゴソと取り出して、俺の掌に乗せた。 『鍵か、どっかに付けてくれる?』  掌の中には、さっき売店で彼が見ていた熊のゆるキャラの根付け(ストラップ)だ。つぶらな瞳のゆるキャラは、胸のところに半透明のピンクのハートを抱えており、そのハートの中にアルファベットの「I(アイ)」が内包されている。 『あのさ、お揃いなんだけど……ダメ?』  いつの間にか彼のリュックのファスナーに、同じキーホルダーが付いている。ただし、熊が抱えているハートの中には「S」の文字。  互いの名前のイニシャルだと、すぐに気付いた。その場で部屋の鍵に括りつける俺を、彼は嬉しそうな笑顔で見詰めていた。  部屋に暖房を入れながら、カーテンを閉じる。背中に、ドン、という衝撃は、当たり前だがやって来ない。  振り向いて、ソファーを眺める。ダッフルコートを脱がされて果てた樹の姿態も、幻だ。カウンターにも、バスルームにも、ベッドの中にも、恋人の真新しい幻が沢山いる。  着替えると、バスルームに向かう。樹とじゃれ合ったスポンジで身体を洗い、熱いシャワーを浴びた。  バスルームを出ると、冷蔵庫から発泡酒の缶を2本取り出して、1本をカウンターに置いた。カウンターを背にして、スツールに腰掛ける。ガランと広い部屋の中は、やけに静かだけれど、孤独感はない。 『もう……俺は、必要ないかなぁ』  少し寂しげで、なのにどこか嬉しそうな愚痴が、すぐ近くから聞こえた。  パキッとプルトップの小気味良い音を立てて、キリリと冷えた発泡酒を喉に流してから、ゆっくりと息を吐く。 「そんなことないよ。お前は、この先もずっと――大切な『最後から2番目の(こいびと)』なんだから」  空耳に呟いて。飲みかけの缶を、カウンターの未開封の缶に、カツンと合わせた。 【了】
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