South Of Heaven

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South Of Heaven

1976年 10月某日ー 「ベルネマン少尉、軍の方がNASAに来られるのは何年ぶりになりますやら……あなたのような懐の深い方に我々、言ってしまえば虚業従事者は感謝の表しようもございませんよ」 テキサス州ヒューストンへ向かうカナダ製リージョナブルジェット機DHC-6の中で、若かりし頃のベルネマンは無視しようかとも思ったがうなずいた。除隊してから太った体にはいささかきつい軍事礼服の胸にはベトナム戦争で得た数々の勲章をぶら下げ、社会的地位の高さを表すがその表情は暗い。これしか礼服と言えるものを持っていなかったが、この勲章をつけているからとはいえそれらによって生じる自信があったとしても不安を覆せないと自覚しながら。だからこそ彼は万が一現在の地位を追われたところで、拾ってもらえる場所を確保もしてある。勲章は使いよう、逆に言えばベルネマンにとってそれは自らのセーフティネットを確保するための道具でしかない。 「変に敬わないでくれ、“元”少尉だ……アポロの成功で宇宙開発もそんな不確かな話じゃなくなっただろ?今に、スターウォーズの影響で殺人衛星を作ろうなんて言い出すやつも出てくるさ……」 7年後、ロナルド・レーガン大統領がSDI計画を発表することを何気なく予言していたが、この時点で十分、実現可能な内容でもあった。そもそもそれは、彼が国粋主義軍人官僚からの受け売りをそのまま話しただけなのだから……かつての同僚から、ホワイトハウス入りした少々頭がおかしいがわけのわからないレベルで要領のいい男がそんなことをうそぶいてると聞いたことがあった。ともかく、飛行機はNASAのヘリポートに着陸する。ベルネマンは外に出て、強い日差しにうんざりしながら出迎えの科学者や誘導員を押し退けて自分に近づいてくる旧友の姿を確認した。 「フリッツ!」 まるでリンゴのようにつやつやとして、希望に満ちたはつらつとした表情、痩せて背の高い、手入れのされた黒髪の男が近づいてくる。彼こそがベルネマンの旧友にして、現在の生活の原因となった男。 しかし、この当時はそのようなことになるとは微塵も考えていない。ベルネマンは相手を抱擁し、120%の笑顔で再会を祝福する。 「フリッツ・ベルネマン!!ずいぶん久しぶりだな!戦争から帰ってきて、少し太ったんじゃないのか?」 「開幕悪口かよ、レオン・フィッツジェラルド……ちっともかわんねえな、そのもの隠さねえところは」 「へっ、さっさと仕事を済ませて、飲みに行こうよ……こいつも一緒にな」 よく見ると、旧友の後を追って来ていた女性がいることに気づいた。しかも、同じ銀のリングを指にはめている。小柄で眼鏡をかけた、しかし目の奥はダイヤモンドのように輝くまるで絵画に書かれるような美人。 「改めて驚いたな、結婚したとは聞いていたが……」 「アネット・フィッツジェラルドです、よしなに……」 「ああ、よろしく。おれはフリードリヒ・ベルネマン。ご主人の古い親友さ……」 「はい、主人からいつも聞かされていますわ」 「えっ」 「ふふっ、驚いたって顔ですね……主人はずうっと反戦を主張して、テレビであの戦争のことが映される度に憤っていたのにつどつど、あなたが戦地で栄光をつかむことを祈っていると話してくださるのよ……ふふ、ひどい矛盾ね。フラワーチルドレン(反ベトナム戦争のヒッピーたち)に怒られちゃうわ」 妻の話を亭主はやや赤い顔ではにかみながら遮る。 「さあさあ、旧友との再会を喜ぶ暇もなく仕事ってのは嫌になるから……行こうか」 小柄で黒髪の美女がベルネマンと握手する。軽くはにかんで、彼らはNASAへと入っていった。 ・・・ 「……以上、セルジオ・マリン博士の発表でした」 広い会議室で繰り広げられる喝采。それでようやくベルネマンは自分が居眠りをしていたことに気がついた。ハッとして横を見るとやたらにやついた表情を見せる旧友がいてバツが悪くなる。確かに、事前に「内輪の合同プレゼンだから気楽にしていてかまわない」と言われていたとはいえ、さすがにやらかしたという感情はぬぐえない。一部の意地の悪そうなギークたちから嫌な目線を浴びる。正直、ハノイで向けられたAK-47の銃口よりもたちが悪い気もする。もじもじしていると「ほら、立ちなよ」とレオンにささやかれて、あわてて持ってきたアタッシュケースを抱えて立ち上がった。 「次は……フィッツジェラルド君の発表です。どうやら今回はお友だちもおられるようですな……いや、すまない。暖房が強すぎたか?ろくに運動もしてこなかったんで寒がりが多くてね」 嘲笑めいたものを受けながら、ベルネマンは怒りつつ横のレオンを見る。彼が口角をつり上げて笑うときは大抵、勝利を確信しているのだが…… 「どうも、発表をさせていただきましょうかね……ゴールドバーグ教授、まだ新入りの身であまり経験がないので確認させていただきたいのですが、このプレゼンが皆さんに指示されれば正式に上で検討をされるのですね?」 ベルネマンに噛みついたゴールドバーグ教授は少しムッとする。どうやら、旧友は生意気なやつと思われていると職業軍人は考えた。 「そうだ、もったいぶらないで聞かせてもらおうか……新入りとJock君」 出鼻をくじいてやれ、とレオンにささやかれる。素人目にどう見ても彼は好かれていないようだ。今回は自分がいるから代わりに目を向けられているが、それは元々レオンの話など誰も真面目に聞きたくないことの現れなのかもしれない。しかしレオンは自信たっぷりに、ネクタイを軽く緩めて話始めた。 「どうします?前置きはほしいですか?」 「は?」 「あんたらここに引き込もって、ぬくぬくした生活を楽しんでるんだ……国から出てる金でな。ここにいる半分以上はアメリカがベトナム戦争から手を引いたことを知らんでしょう」 この発言にはさまざまなヤジがとんだ。なんだそれは、ふざけるな!新聞ぐらい読んでいる!俺の知能指数は130だ! 「はいはい……町内会の集まりか?ここは?」 飄々と毒を吐くレオンを見て、ベルネマンはおろおろする。これじゃあ、仕事を失っちまうぞ!確かに学者連中は嫌いだが…… 「彼は私の旧友、フリードリヒ・ベルネマン。ここの半分がナニ人かを考えたらあまり気分のいい相手ではないだろうがまあそれは置いといて、話は彼が1972年のカンボジア国境において発見したものについてです。フリッツ、出して」 あ、ああ。とうなずくとアタッシュケースを開ける。中には、立方体の10センチ辺程度の石のようなものが入っていた。銀色に鈍く輝き、露になったとたん、科学者連中もベルネマン自身も見ている心臓に違和感を感じるほどだった。なんだ?この石ころは。 「こいつを見つけた経緯を頼む、親友」 「ああ……皆さん、初めまして。フリードリヒ・ベルネマン元海兵隊少尉です。このような場で話すのはなにぶん初めてのことで、どうかよろしく」 こいつらはずうっと、自分の頭でのしあがってきたのだなと痛感する。正直、銃を撃ち合ったベトコンや体罰好きの歴戦の鬼士官よりもある意味恐ろしい……自分の考えていることなどすべて見透かされているようにも感じる。新入りの無礼な態度を以てしても、彼らが眉の辺りをピクピク動かすのを見てある種の恐怖すら感じた。 「1972年6月、私はカンボジア国境にて一個小隊の曹長を勤めておりました。お決まりの巡回パトロールに出ていたのです。そんなある日、小隊長であったスティーブ・マロニー少尉が先頭を勤めたさいに狙撃を受けたのです。私たちは恐怖しました。ジャングルには逃げ場はなく、隠れ場所は無数にある……銃弾をほじくりだせば、それがAK-47による襲撃だと判明、司令に指示をあおぐと、私を緊急の代理小隊長に任じ付近に村があり、裏でベトコンを匿っているのではないか、と言われました。徹底的な調査を命じられたのです……」 ソンミ村の再現か?という横槍発言をどうにかやり過ごす。戦場での恐怖を知らない者の戯言を暴力なしでやり過ごせるようになるまで、実際に時間がかかった。 「私たちは村に入り、村長に尋問しました。もちろん、何も知らない、あなたたちの同胞だ、ただ暮らしているだけだから、お願いだから出ていってくれ……なんとなく、それが嘘ではないことが見てとれました。中国の泣き女はご存じですか……あのような嘘臭さが感じられず、みな淡々としていました。しかし、仲間が死んだ直後の兵隊たちのやりきれない怒りをうまく処理しなければ……それこそ、またソンミ村のような悲劇が起きてしまう……私と、私に忠誠を誓う数人の兵士で村人全員を監視する代わりに血の気の多い連中に捜索をさせました。もちろん、全員歴戦のいわゆる……乱暴な言い方をすれば“ベトナム野郎”です。お決まりの物資の隠し方は熟知していますから……納得するまで探させました。そして実際に、ベトコンに供給されているような武器や食料などは一切見つからなかった……」 この発言と共に、ベルネマンの顔に汗が垂れる。何となく、手が震える。それをぎゅっと握り、喫煙の許可を求める。レオンがキャメル・シガレットを与え、火をつけてやる。 「しかし、熟練兵士の一人が隠し通路に奇妙なものかあった、見たところ我々が求めているものではないがとにかく、見てみてくれ、と。こんなものは他に見たこともない、判断を頼む、といわれたのです……彼らはよく、家の中に塹壕を掘り、家具等で巧みに隠すのですが……とにかく、その中に熟練兵の見つけたものがありました。そこは塹壕というより……一種の礼拝堂のようなものでもありました。高さ2メートル、横幅は3メートルもあり崩れないように竹でシールドを張っていたのですが……とても奥行きが深く、そして恐らくは村人のものと思われる墓標、そして遺骨が立ち並んでいました。恐らく、カタコンベをも兼ねていたのでしょうが……彼らはフランス文化を取り入れていますからね。とにかく、私は信用する部下に監視と略奪や暴行の牽制を任せ、一人地下に進んでいったのです。そのとたんのことでした」 彼は話すのに夢中で、長い煙草の灰が靴に落ちたことにも気がつかない。しかし科学者連中はあまり興味がなさげだ。 「続けます、大人しかった村民たちが急にわめきだしたのです。それも、ベトナム語ではなく流暢な英語で。入るな、そこだけは立ち入らないでくれ、よそ者が入っていい場所ではない、と……若い南部出身の兵士が蹴りを入れて黙らせていましたがその事は黙認しました。何かは知らぬが、私はその奥に進まねばならぬ義務感に駈られていました。どうにも、彼らのお決まりのジャングル内に通じるトンネルとはまた違った雰囲気で……進むと、そのキューブが安置されていたのです」 ちらり、と戦利品を見る。いまだに輝きを失わず、まるでそこにいる人々を嘲るかのように君臨している。「新鮮な何かの動物が、捧げられていました。経験上の話ですがジャングルではあまり獲れないもの大型の獲物です……まるで、我らが主、Jesusにそうするかのように……彼らの崇拝の対象だったのでしょう……あなたたちにも感じられませんか?何か、このキューブから発せられる異様な気配……心がざわつくような、非科学的な何かが」 このときばかりは誰もヤジを飛ばさなかった。数人は真面目に聞き入っている。残るものも、必死に動揺を隠しているようにも見えた。 「私はそれだけは接収……いや、もう隠す必要もない。奪うことに決めました。彼らは戦争には興味のない、土着民のようでしたが……私はG.I.シャツを脱ぐとそれを包み、ズボンのサイドポケットに突っ込んで逃げるように礼拝堂から出ました……外の兵士たちに、すぐに撤退すると伝えたのです。キューブを発見した兵士は怯えていて、いや、あんたも見ただろう、そいつがなにか説明させないと……と言います。しかし、私は一刻も早くその場を離れたかったのです。どうやら村民たちはすぐに、私がキューブをくすねたことに気づき、ベトナム語でなにやらざわつき始めたのですから……司令からの無線が頻繁に届いていることを通信兵が言ってきますが、無能な戦場に出てこない木っ端役人のことなど構っていられません。私は部下たちに軍刑法17条、抗命罪を以てひどい目に遭わせると脅し、強引に村から出ました……とにかく、そこから逃げ出したかったのです」 どんどん、表情は暗く。 「近くに撤退中の別小隊がいたので、私たちもそこに混ざってアパッチに乗り込み、さあ基地へ戻ろう……というところで、一人のベトナム人が走ってきてわめくのです。部下が射殺しようとしましたが止めました。訛りの強い英語で……あんたは、呪われたと」 呪い。唯物論と物理学を信条とする学者には無縁の長物にして侮蔑の対象とも言える、不確かなものへの不安。しかしこの場で反論するものはいない。否、できない。 「アパッチが高く飛び上がってからも彼はたどたどしい英語で叫び続けました。You Cursed、Cursed……と。私は必死に耳を塞ぎました……静かになるまで。業を煮やした隣のヘリの兵士が、威嚇射撃で黙らせたのです……しかし……このキューブを持ち帰ってからというもの私は……呪われたどころか、次々と幸運が続くようになったのです」 幸運?例えば? 「私は恐ろしくも素晴らしい戦利品と思い、ボックスに鍵を何重にもかけて隠 しました。さすがに、持ち歩きたくはなかった……もし自分が死んでしまえば、誰かに同じように奪われるのではないかとも思いました。しかし……ここにいるわけですから、お分かりかと思いますが米国へ帰還する75年まで三年間、何度も死に直面したのに助かったのです。あるときは、私の軌道上にあったブービートラップに未熟な敵兵士がはまり、またあるときは部下を全滅させられ孤立しあわや、という場面で援軍が到着しました。またあるときは、敵の拠点の機密書類をいくつも発見して、この勲章に繋がりました」 ベルネマンの胸で輝くいくつものメダルの中にはしかし、ベトナム戦争で最も一兵卒にも手が届くパープルハート章のみがなかった。彼は、少なくとも兵士ならぬ戦争屋の中ではベトナム戦争を戦い抜いた、歴戦の兵士と映ったのだ。負傷もなく、いくつも手柄を挙げた者。本人からすればすべて、幸運に過ぎなかったのに。 「私は……このキューブがもしかすると、持ち主の願いを叶える力を持っているのではないのか?とも思いました。元々私は、大学進学のための奨学金欲しさにベトナムへ行ったのです。もう隠す必要もないでしょうが、二次対戦でSSを務めていた父が56年に過激派ユダヤ人に殺されたため生家が貧しかったのです……そもそも、人を殺す度胸など最初からなかったのです。あわよくば、逃げ切れればと……しかし、私がキューブを得てからは一発の銃弾も必要なく窮地を乗りきれるようになりました。また、数々の勲章や出世により生き延びたい、人を殺したくない、お金が欲しい……それはすべて叶いました。それもすべて、このキューブを得てから!」 一同、沈黙。 「……私はそして、75年に軍を除隊して米国に帰ってきました。数々の名誉、そしてお金も……しかし享受していた幸せへの疑問を、平和がもたらしたのです。殺される恐怖、貧しいことへの絶望がなくなったことで、なぜ自分がこのキューブを手に入れたかをだんだんと鮮明に思い出すようになったのです……そう、このキューブはベトナムの民から奪ったもの……彼らはこのキューブに選ばれていたからこそ、あのように崇めていたのではないか?そして、あの男の言葉……あれは恨み節などではなく、警告だったのでは?という疑問……いずれ、しっぺ返しがきて築き上げたものをすべて、またこのキューブにより召されるのではないかという恐怖……私はあれほど切望した大学をやめてしまいました。それどころか、家から出ることもままなりませんでした……家族といさかいごとを起こし、見えないぼんやりとした不安が恐ろしくて部屋から出られない毎日……ベトナムで見た血や死体、向けられる銃口……そんなものよりもこのキューブに関連することすべてが恐ろしかったのです……そんな折……」 「戦争が終わってからというもの、変わってしまった彼を心配した母君から、私が相談を受けたのです。彼とは幼なじみ故……そして……」 ここでようやく、レオンが口を開いた。震えが止まらないベルネマンの肩を優しくさすり、そして周りの学者連中をじろりと見渡す。 「恐ろしくも好奇心をそそる、キューブに私はすっかり惹かれてしまったのですよ。これを見てください」 しげしげ、と科学者連中は普段見ないような写真を見る。なんだこりゃ?岩壁を削ったような…… 「これ、インディアンの壁画かね?」 ベルネマン・フィッツジェラルドのコンビの前に発表していたマリン博士が押し黙る一同の中唯一まともな意見を言う。レオンはうなずく。 「モハーヴェ砂漠はデス・ヴァレーにて発見したものです。恐らく、プライマス(最初のアメリカ移民を乗せた船)到達以前……13世紀あたりに描かれたものですな。妻に解説していただきたい」 はい、とアネットが眼鏡をずりあげて科学者たちを見渡す。 「これはプエブロ・インディアンの壁画です。この男性が持つものを見てみてください」 小さな正立方体を掲げる男と、ひれ伏す周囲のインディアンたち。ベルネマンはベトナムで見た崇拝の図を見いだし、ハッとする。 「キューブはベルネマン氏が発見したベトナムのみならず、世界中に点在するのではないでしょうか?そして私たち……かつてイスラム文化圏や中国に圧倒されながらも蛮性のみを求心力にして多くの文化を滅ぼした白人……私たちが壊した文化の中にも、そして今なおひっそりと暮らす各地の伝統と歴史に残された少数民族たち、彼らは……彼らはきっと……」 レオンがアネットを遮った。そした自信たっぷりにポケットに手を突っ込む。 「我々の知らない神々の寵愛を受け続けていたのでしょう、な……この素晴らしいキューブが、彼らと神々を繋いでいる……そして、私と彼は恐らく白人で初めて……現在のみに話を絞りますがね……神々と繋がることのできたのではないでしょうか?」 取り出したのは銀色に鈍く輝くキューブだった。
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