ヒメユリ〈14〉(総会編8)

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ヒメユリ〈14〉(総会編8)

「それでは」大屋先生はマイクの前に立つと調子を整えるように述べた。「榊の担任の大屋です。はぁ。なんか緊張しますね。私ほんとは人前で話すの苦手なんですよ。教師になれたのがふしぎなくらい。でもこうして発言の機会を得られたこと、嬉しく思います。  ところでみなさん。将来の夢ってありますか? ある人はちょっと手挙げてみてください。……はいっ。見事なまでの無反応ですね。いやいやいいんですよ、私たちは日本人ですから。では後ろに並んでる人たちに聞いてみましょう」  振り返った彼女が最初に目を向けたのはわたしだった。「理瀬さん」  ドクッといきなり心拍が跳ね上がる。まさかいきなり発言の機会を与えられるとは……。  大屋先生が近寄ってきてマイクを向けてくる。 「将来の夢ですか?」 「むずかしく考えなくていいよ」  いやいやその問いがむずかしんだって。「そうですね……学校の先生になりたいって小学校の作文に書いたことはあります」 「いまもそう?」 「選択肢の1つだとは思ってます」 「教職ってブラックだよ?」 「大屋先生が言うと説得力ありますね」 「そお?」 「だって先生、苦労してそうだから」 「たしかに……」先生がけっこーあからさまにミコちゃんを見やる。 「いえいえ、毎日教室の消毒に追われてるでしょう? そこまでやってわたしたちから感染者が出たら吊し上げに遭う。神経のすり減る毎日だと思います」 「まあね。でもこんなのがいつまでも続くわけじゃないから。もしあなたが本気で教師目指すなら、この話はまたしようね」  はい、とわたしはうなずいた。教師になりたいなんて嘘だった。漫画家になりたいなんてそれこそ夢のような話、こんな公の場でできるわけない。 「じゃあ次。榊くん」先生がお兄さんに目を向ける。 「俺はドラえもんの開発技術者になることです」 「私はどこでもドアがほしいな~。  篠本くん」 「俺は貧乏から抜け出したいです。それだけです」 「どうせならジェフ・ベゾスやビル・ゲイツクラスのお金持ちを目指しなさい。  榊さん」 「私は……とくにないです」 「またまた。政治家とかアイドルとかあなたに向いてるのがあるでしょう」 「いえいえ。児童会生徒会といままでやってきましたけど、結局自分には向いてなかったなと。私って体も声もでかくてただそれだけでリーダーシップがあるみたいに思われてたけどほんとはぜんぜん。生徒会の舵取りだってほんとは迷ってばっかだったし、その迷いを見せないことにだけ腐心してたくらい。自己主張が強いのも学校みたいな閉じた社会ではマイナスにしかならないってのもわかってる。だから高校ではフツーになりたい。内申点なんていらない。生徒会とか入らないで友達と気楽に楽しくやりたいです」  場がしんと静まった。大屋先生がなにか言いかけた。  しかしミコちゃんが先に続ける。「それで……将来なにになりたいかはまだわからないですけど、ただ日本を出て多様な価値観に触れてみたいとは思ってます」 「……たしかに榊さんに日本の環境は合わないかもね。いいじゃない応援する。あなたみたいな人がグローバルに活躍できると思うから」大屋先生が観覧席に向き直る。「では本題に──」 「ちょっとちょっと!」と坪井先生の声が上がる。「俺はスルーですか?」 「あなたの歳で将来の夢もクソもないでしょう?」 「いやいや僕も先生もまだ三十代じゃないですか」 「なに」大屋先生が彼に寄ってゆく。「私と子づくりすることとか言ったらぶっ殺すよ?」 「なんでわかったんすか!」 「はぁ? マジ? あんだけこっぴどく振ったのにまだわかんないの?」 「大屋先生っ」強く咎めるように西原くんが声を上げた。「……どんなふうに振ったんですか」 「ムーリー」大屋先生は左右の人差し指を交差させる。 「岡村か俺は……」 「では本題に入ります」大屋先生が観覧席に向き直る。「こう言ってはあれですけど、私は元々教師になりたかったわけではありません。いまでも思います、こんなはずじゃなかったって。授業の進行に学級運営、部活の顧問、進路指導、保護者対応に追われて残業代はほとんど付かない。給食指導で昼休みもほとんどない。さらにいまはコロナ対策が加わるので泣きっ面に蜂です。  私はみなさんが好きです。その気持ちだけでいままで続けてこれた。でも無償の愛は永遠には続かない。そろそろ限界だろうとも感じています」 「先生っ」ミコちゃんが声を上げた。先生が振り返る。「先生方の負担軽減は生徒会でも議題にしてます。部活の時間は短縮してもいいし、朝の立哨も生徒会だけで引き受けていいと考えてます。教室の消毒もそれぞれの学級の生徒がすべきでしょう」 「ありがとう榊さん。でもこれは学校運営の問題だから」 「先生の夢はなんですか?」 「夢? いまの?」  ミコちゃんがうなずく。 「言ったでしょう? 私の歳でいまさら夢もなにもない。ただ目標ならあるよ。それはあなたたちを無事に卒業させること。コロナで先行きは見えないけど」 「先生」と今度はお兄さんが口を開く。「もし新型コロナがただのカゼなら冬に再流行すると考えたほうがいいです。次の冬はコロナ、カゼ、インフルの複合的な流行で社会がパニックになる可能性があります。もちろんこのコロナ不安がいつまでも続くわけではありません。コロナはもういいと飽きるときは必ず来ます。こうした世論を見計らって政府はコロナを指定感染症からはずすはずです。ただし不安の収束には最短でもあと1年近くかかるでしょう。コロナは強毒化しない、ただのカゼであるかは次の冬を越さなければ完全には証明されないからです」 「でもワクチンできるかもしんないじゃん」とミコちゃんが言う。 「あ……それまだ言ってなかったな」お兄さんが立ち上がる。「みなさんに言っとくけどワクチンが出来ても絶対打たないでください。ワクチンってのは普通10年以上の歳月をかけて治験を繰り返して開発するものなんです。突貫工事で作られたワクチンに安全の保証はありません」  大屋先生どうぞ、と彼が腰を下ろす。  ワクチンの話、肝に銘じとくよ。大屋先生がマイクに向かう。 「私には夢がありました。それは英語を武器に海外で活躍できる人になることでした……」
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