ヒメユリ〈15〉(総会編9)

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ヒメユリ〈15〉(総会編9)

「Why are you apologizing for having the sickness? ……なぜあなたは病気になったことを謝るの? 私が留学先でインフルエンザに罹ったとき言われたセリフです。  若かったからでしょう、私は同じ制服着て同じ授業受けてなんのためにあるのかよくわからない校則を守る。そんな学校生活は苦痛でした。私の夢が海外へ向きはじめたのはみなさんと同じ年頃のときです。  大学2年のとき、念願叶って私はアメリカに留学しました。自由の国と謳われるアメリカに漠然とした憧れがあったので。場所はワシントン州のシアトル、西海岸で気質のおおらかな所です。ちなみに首都ワシントンDCとは違いますからね。あっちは東海岸のニューヨーク付近なので。  私がインフルに罹ったのは2月、アメフトの優勝決定戦スーパーボウルが開催されるちょうどその時期でした。その日はホームステイ先で友人を招いてホームパーティーを開くことになってたのです。その矢先に。申し訳なかったですよ。けれどホストファミリーのみんなは笑って許してくれた。いや許したという感覚じゃなかったのかもしれない。そんなの運が悪かっただけだよ~って言われましたから。「体調管理も仕事のうち」って教師になってからしきりに言われるようになったけど、これが文化の違いということです。  あっちの人たちにはキリスト教に根ざした隣人愛がある。だから病気に罹った人を責めたり自己責任なんて切り捨てたりはしない。重い荷物を持ってバスに乗ろうとするお年寄りとか迷わず手助けしてあげたりする。もちろん褒められたことばかりじゃないよ。みんな水の代わりにコーラ飲むしハンバーガーもポテトも特大サイズだしなぜか学校にスナック菓子の自販機があったりするしホームパーティーでは大麻吸うしマリファナ気持ちいーよとかわざわざ日本語で勧めてくるしもうメチャクチャ! もちろん断ったけどね。おまけに留学してた時期によその州で銃乱射事件は起きるし、さすがに自由すぎるのも考えものだって思ったわ。  でもあっちの自由な気質は私に少しだけ勇気を与えてくれた。みんなと違うことは恥ずかしいことじゃないってね。私は1月に一時帰国して成人式に出ました。女子はみんな華やかな振袖姿、なのに私だけ黒のリクルートスーツで。だって留学にはお金がかかるからぜいたくなんて言ってられなかった。少しみじめな思いはしたけど、語学留学してること話したらみんな「すごい」って。だから出てよかったと思ってます。  で結局、私は日本で教師になる道を選んだ。アメリカでの経験は日本のよさを見直すきっかけにもなったから。もし別の道を選んでいたらって思うことはあるけど、どんな道を選んでもそれは同じこと。後悔はありません。  私からみなさんに伝えたいこと。環境の異なる場所へ飛び込むことを恐れないで。異文化に触れることは必ず人生を豊かにしてくれる。一方で日本にもいいところはたくさんある。たしかに全体主義で窮屈なところもあると思うけど、四季と豊かな自然、人々の心に慈悲があって争いごとを好まない気質。留学しなければこれらのよさに気づくことはなかったでしょう。視野を広げることはだいじ。というわけでみなさん、英語がんばりましょう!」先生がふと後ろを向いた。「ね、榊くん」  検討します、とだけ彼は言った。  そのとき、観覧席から手が挙がった。肘のまっすぐ伸びた迷いのない挙手だ。 「松岡さんどうぞ」西原くんが言う。  松岡さんは立ち上がるとマイクの前へ向かう。あ~うっとうしい! 大屋先生からマイクを受け取る際、彼女は無造作にマスクをはずしポケットに突っ込んだ。 「合唱部部長の松岡莉奈です。私がここに来たのは榊さんを応援するためです。榊さんとはあまり話したことはないけど、校則について粘り強く交渉したりとか生徒ファーストの姿勢をずっと支持してきました。声も綺麗だしいまさらだけど合唱部に勧誘したいくらい。とにかくこんなことで会長辞めてほしくないんです。コロナに対する恐怖も坪井先生と榊さんのお兄さんの話でぜんぶ吹き飛びました。それだけにいろんなイベントが中止になったのがくやしいです。  私たち合唱部も吹奏楽部も室内で蜜になって息づかいも荒くなりがちだから、こんな状況が続けば活動再開できない。世界中に広まったウイルスをいまさら根絶なんてできるわけないし、いい意味で諦めるしかない。むだに騒ぎ立てるのはもうやめてほしい。  吹奏楽部の副部長さんと最近話したんですけど、やっぱ9月入学実現してほしいなって。来年になればこの騒ぎも収まってるかもしれないし、イベントも少しはできるかもしれないから。私は早く高校生になりたいけど、かといってこのまま不完全燃焼で中学終わりたくない。大屋先生みたいに留学する人にも都合いいと思うし、ぜひ実現してほしいです」  松岡さんがマイクをスタンドに戻し一礼した。  大屋先生がいま一度マイクに向かう。 「……松岡さんの思い、私もしっかり受け止めておきます。ただ9月入学についてはいま議論が盛んになってるけど、現場の教師としては拙速な導入はむずかしいと思う。留学を促進するために9月入学をって声が政治家や評論家から上がってるのもちょっとね、便乗っぽいし誤解を招いてる印象なんです。というのは入学時期にグローバルスタンダードなんてのはなくて、それぞれの国の気候や風習に合わせたローカルスタンダードがあるだけなんです。日本で4月入学が定着してるのは結局これが日本に合ってるから。そもそも国際交流というのは制度や文化・風習が違うことを前提に行なうもので、そのために制度を変えようというのは本末転倒でしかありません。それに、たとえばアメリカは9月入学ですけど日本がこれに合わせたところで留学が促進されるとはちょっと考えられない。留学を促進するなら高すぎる費用をなんとかすべきでしょう」  いつのまにか席を立っていた坪井先生が大屋先生にてのひらを差し出している。 「グッジョブ!」マイクを手にした坪井先生が親指立てて呼びかける。「それでいんだよ松岡さん。年度延長もイベント開催も、要望があるならドンドン主張していい。君たちにはその権利がある。グローバル化する社会でいちばんだいじなのは英語でも制度を海外に合わせることでもない。自己主張できることだよ。ただお上の指示待ってるだけのいまの日本人が海外で通用するはずないもんな。さらに言うなら、そういう有能な人材を海外へ流出させることはない。だから榊兄妹にはぜひとも日本で活躍してほしいなぁ。  自分の意見を堂々と言える。そういう人をいっぱい育てて日本をよくする。それが俺の夢です」  大屋先生が呆気に取られた様子で彼を見ている。 「坪井先生はなんだかんだで私の話聞いてくれましたもんね」ミコちゃんが言う。「大屋先生、いい人いないなら坪井先生で手を打ってもいいんじゃないですか?」 「おいおいお前兄ちゃんを差し置いて……」 「お兄ちゃんは年下すぎるよ~」 「せっかく勧めてくれたのに悪いけど」大屋先生が言う。「坪井先生も榊くんも私とは考え方が違いすぎる。私だってコロナはこわい。インフルほどの被害が出てないのはわかってる。でもこわいの、これは理屈じゃない」 「大屋先生──」坪井先生が言いかける。 「私がそばにいてほしいと思うのは、この不安を否定する人じゃなくて不安に寄り添ってくれる人。だから、ごめんなさい」 「……」 「……でも坪井先生の夢には乗ってあげる。もし榊さんや榊くんみたいな人が社会にいっぱいいたなら、私もこんなにコロナこわがらずに済んだかもしれないから」  私からは以上です。告げると、大屋先生は観覧席へ戻る。 「では続きまして──」 「西原くん!」  わたしは立ち上がり、叫んだ。それから観覧席を指さした。  小さな手が遠慮がちに挙がっている。 「あ……。どうぞ」  胸がひどく高鳴っている。元々ミコちゃんのお兄さんの次の発言者はわたしである。けれど予定外の発言が相次いだことによって順番は先延ばしにされてきた。そのたび、安堵ともどかしい気持ちが交錯する。わたしは立ち上がった女子に注目していた。緊張のためかひどく動作が遅い。わたしが西原くんに伝えなければ彼女の存在は無視されたかもしれない。もしかすると、そのほうがよかっただろうか? マイクへ向かって歩む彼女はいまにも腰を抜かしそうである。  彼女はわたしだ。そんな気がした。 「2年3組中村あおいです」  絞り出すようなか細い声が響く。全身を強張らせながらも、彼女の視線はまっすぐミコちゃんへ向けられていた。 「先月、私の母親が体調を崩して家で休んでました。38 ℃以上の熱が1週間近く続いたので保健所に連絡し」 「中村さんっ!」悲鳴のような大屋先生の声が被る。 「PCR検査を受けました。結果は陽性でした」
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