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ヒメユリ〈17〉(総会編11)
わたしは席に戻った。
「ご意見のある方はいらっしゃいますか」西原くんが観覧席へ呼びかけた。「……では最後に、会長・榊美琴より意見陳述をしてもらいます」
ミコちゃんがスッと立ち上がる。
観覧席の前に歩み出ると、マイクの高さを調整し彼女はおじぎした。
「……私が生徒会長になってもう1年近く経ちますが、これまで生徒会活動へのご理解とご協力をいただきあらためて感謝申し上げます。
このたびのコロナ禍は生徒会にとっても試練の時であり、また私自身としても迷うことのくり返しでした。前例のない事態だったのです。でも‘はじめてのこと’だからこそ、人が持つ真の力が試されたのだと思います。
その意味で私はまだまだ未熟であったと言わざるを得ません。
ご存じのとおり、私は最初みなさんに「家にいましょう」「友達と遊ぶのはがまんしましょう」「離れていても心は一緒」などとまるで戦時の国防婦人会のように呼びかけてました。けれどその後、兄の入れ知恵によって「コロナはこわくない」と学校の早期再開やイベント中止の撤回を求めるようになりました。こうした私の言葉の変節はみなさんを戸惑わせ、またみなさんの不安を無視することであったと反省しています。
休校期間中、私は家で勉強しながらずっと考えてました。学校ってなんのためにあるんだろうって。勉強するため? 友達と会うため? 親の留守中に面倒見てもらうため? どれも当たり前だし、どれもちょっとズレてるような気もする。そこで兄に聞いてみたんです。そしたら意外な答えが返ってきました。
学校があるのは親の干渉から子供を保護するため。
たとえば虐待です。私たちは「家族の絆」なんて軽々しく口にするけど、家庭という外から見えない、他人の干渉を受け付けない閉鎖的な社会を性善説で捉えれば子供がひどい目に遭う。ニュースになる虐待事件なんて氷山の一角です。また親の干渉ってのは暴力に限りません。子供に働かせる、幼い子供に結婚させる……。私たち日本人にはぴんとこないかもしれないけど、児童労働、児童婚はいまも存在する問題なんです。親に子供を好き勝手に扱わせない。子供を家庭に閉じ込めておかない、外との接点を持たせる。勉強の得意な子も苦手な子も、決まった時間一律机に向かわせる。生きるための、他人に騙されないための知恵を身に着けさせる。学校ってのはそういうとこだと。
たとえコロナがどんなに脅威であったとしても、学校の門だけは閉ざしてはならなかった。私はそう思います。先生方の負担にはなっても、せめて自由登校というかたちにすべきだったと。
結局私はなにもできなかった。そういうことです。
もし世の中の流れに逆らえないのであれば、せめて私はみんなの不安に寄り添うべきだった。コロナはこわくない、じゃなくて、無理しなくていいんだよって呼びかけるべきだった。みんなの不安や壊れてしまった社会はすぐには元どおりに戻らない。かといって中学生としての私たちの時間には限りがある。だからあせってしまった。急いて事を仕損じてしまった。
私はなにもできなかったけど、なにかができるなんて思ってはいけなかったのかもしれない。
……おごりがありました。……自分の力を過信してました」
その声が徐々に震えてく。言葉が途切れがちになり、洟をすする音が、いまの彼女の思いを代弁する言葉にならない言葉のように混じる。いまや彼女は生徒会長ではなかった。その肩書きの剥がれた1人の生徒であり、尊敬も支持も捨て去って、丸裸をさらした1人の少女だった。
「私はみなさんの判断を受け入れます。参加してくれたみなさん、大屋先生、ありがとうございました」
ミコちゃんが直角に近い角度でおじぎする。頭を垂れすぎて前へ倒れてしまいそうな姿勢であるが、彼女の軸は揺るがない。
ミコちゃんは美しかった。
美しいからこそ強く、強いからこそ美しい。しかし弱さをさらけ出した彼女もまた美しかった。こんなときにあっても、彼女の強さは少しも損なわれていなかった。
彼女が踵を返す。
「榊っ!」
ミコちゃんが観覧席を振り返る。
「どう? 楽しめた?」
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