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ヒメユリ〈3〉
「なんでこんな勝手なことすんですか!」
続いて声を荒くしたのは1年後輩の副会長だ。変声期前の高い声だけに迫力はないが、忠犬のようにミコちゃんに従っていた西原くんが事ここに至りとうとうぶち切れてしまった。
「ごめん」とミコちゃんは言った。「勝手に職員会議に乗り込んだことは謝る」
「いやいやいや! 美琴さん自分の意見がどんだけ世の中とズレてるかわかってんですか? 勝手に学校再開求める署名はじめたりとかさ、あれ結局10人分も集まんなかったんでしょ? その時点でフツー気づくでしょ」
「世論とズレてるのは認めるよ。でもそれが正しいとは限んないじゃん」
「そういうことじゃなくて! あんたの意見が生徒会の総意なんて思われたら困んの!」
「私は長期的な利益を考えてやってんの。いまの時点での世論なんて関係ない。たとえば9月入学とか一律留年とかどう考えたって非現実的じゃん。だったらいまから挽回するしかない」
「佐々木さん! この人になんか言ってやってくださいよ。それとも佐々木さんも同じ意見なんすか? まさかそんなことないですよね? 頼んますよ」
ミコちゃんは……。そう言いだして、やはりわたしは言葉に詰まる。
「理瀬いいよ。この件は私ひとりで引き受ける」
「だから生徒会長にそういうことされんのが困んだって! それとも会長やめる気?」
「必要ならそれも構わないよ」
西原くんは涙を浮かべながらため息をついた。「ねえ美琴さん、幻滅させないでくださいよ。俺はあんたのこともっと理性的な人だと思ってたよ。尊敬もしてた。なのになんでみんなと一緒に我慢できないわけ? 部活もいろんなイベントも中止になったけどさ、みんな涙呑みながらも事態を受け入れたんですよ。学校再開でさえ慎重論が根強い中での見切り発車なんです。その上文化祭とか合唱コンクールとかできるわけないでしょ? あんたがやってんのはみんなの傷に塩塗る行為だよ!」
「我慢して? そしたらウイルスに勝てるの?」
「勝てるかどうかじゃない。防ぐんです。命を守るためですよ。そんなの当たり前じゃないすか」
「君に命より大切なものはないわけ?」
「は?」
ナニコノヒトアタマオカシイノ?
とでも言うように西原くんが露骨に顔を顰めた。はたから見てるわたしもこの問いかけにはただぽかんとするしかない。
「たしかに命は大切だよね。でも私は」ミコちゃんが10センチ以上は背の低い彼をキッと見返す。「健康なのに無菌室で生きていたいとは思わない」
「……。ウイルスが終息するまでの辛抱じゃないですか」
「残念だけどウイルスが終息することはないよ。人類が根絶した感染症は天然痘だけだから。ワクチンができれば多少は事態が収束するってだけの話」
2人が沈黙した。教室半分ほどの広さの生徒会室が緊迫した静寂に包まれた。ここにいるのはわたしたち3人だけ。書記や会計といったメンツがほかに3人いるが、幸いにして不在だ。いや、幸いというべきなのか。この、折りたたみ式の長机とパイプ椅子、壁際に数台のデスクとパソコンが並ぶだけの味気ない空間で、つまらない事務作業をそれでもみんなで和気あいあいとやってきた。そうした時間はもう二度と戻らないのだとわたしは察した。
この期に及んでわたしはなにも言えない。役立たず、と内心自分をなじる。
「俺もう美琴さんには付いてけません」
「ごめん。私には君を説得する力がなかった」
「説得? それなら全校生徒相手にすべきでは?」
西原くんは心底軽蔑したようにミコちゃんを睨み、カバンを手にして出口に足を向ける。
「西原っ」とミコちゃんが呼び止める。「いいよ私が出てく」
「マジやめる気なんすか?」
「もしそうなったら次の会長が決まるまで君に代理を務めてもらうから。異存はないでしょ?」
「……」
ミコちゃんはそのまま退室した。
ウイルスによってわたしたちは、わたしたちの社会は分断された。時間も人間も空間も、至る所で。ソーシャルディスタンスという言葉がにわかに流行りだしたが、絆の分断もまた、こうした社会的要請の当然の帰結なのかもしれない。
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