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ヒメユリ〈6〉
はぁ。何度目だろう、またまた大きなため息がもれる。このところ食事はあまり喉を通らず、顔色もすぐれない。鏡に映る顔は休校期間中のそれよりよっぽど憂鬱に見えた。それでもわたしは後ろ髪を左右二か所で縛る。小柄で童顔だから二つ結びが似合うとよく言われるが、制服を着ていなければ小学生のようだ。
「しずかちゃんみたいでかわいいね」
出会ったときのミコちゃんにそう言われたのを思い出す。あの日はたまたま二つ結びにしてただけだったが、それ以来わたしはこの髪型を貫いてきた。
……きょうはやめとこ。
後ろ髪にくくりつけた左右のゴムを解く。う~ん。やっぱりまとまりをなくした髪は横へ広がってしまいいただけない。
ミコちゃんのやわらかく艶のある髪がうらやましい。
結局わたしは高い位置でポニーテールにした。ちょっとした戦闘モード。少しは大人っぽく見えるだろうか。
「なげーよ」とカーテン越しに低くかすれた声が届いた。
「ごめん」とわたしはカーテンを開けた。「もう行くね」
「なにイメチェン?」康ちゃんが目を丸くする。
まあね、と小さくわたしは返す。「顔ちゃんと剃りなよ」
康ちゃんは答えず洗面台に向かう。男子とてオシャレには気を使う年頃なのだ(クスッ)。
2学年上の彼はここ1、2年ほどでよくも悪くも男らしくなった。濁声になっただけでなく、ヒゲが生え、髪は硬くなり、背はあまり伸びないものの筋肉質になった。妹の前ではおくびにも出さないが、きっと女の人のハダカにも興味があるのだろう。最近では初カノもできたようだ。
わたしはマスクを着けるとカバンを携え玄関へ向かう。両親はすでに仕事に出かけている。行ってきますと言うことはめったになかった。
「リリー」と洗面所から声が飛んできた。「がんばれよ。……いやがんばれってのもヘンかもしんないけど」
「ミコちゃんなら大丈夫だよ。こんくらいでめげる人じゃないから。わたしはできることをするだけ」
「そ」
そうだ。滅入ってなんていられない。
初夏の陽射しが降り注ぐ。湿気は多いものの晴れてるのはささやかな救いだ。
ミコちゃん、覚えてるかな? わたしたちがはじめて話したときのことを。
2年前のいまごろの時季だった。登校してくると立哨の先生と一緒に数人の生徒が立っていた。よくある『あいさつ運動』らしい。「おはよーございまーす」とひときわ背の高い女子が声をかけてきた。なかば儀礼的にあいさつを返すと彼女はどういうわけかわたしに近寄ってきた。
「失礼ですけど、あなた1年生?」
「はいそうですけど……」
「元気なさそうだけど大丈夫? いじめられたりしてない?」
「いえそんなことないです」
「そう。ちなみに私も1年だから。2組の榊美琴」
しずかちゃんみたいでかわいいねと言われたのはこのときだが、実態としてはしょげてるのび太のように見えたのだろう。当時、わたしはいじめられてはいなかったものの、クラスに友達らしい友達はいなかった。
翌日、彼女はやはり校門の前に立っていた。今度は傘を差し、たった1人で。おはよーと彼女はフランクに声をかけてきた。
「雨の日までやらなくてもいいんじゃない?」
「でもあいさつ週間だから」
そんな馬鹿が付くほど実直な彼女の前をただ通り過ぎることもできず、わたしはその横に並んだ。
始業時刻が近づきその場から引き上げるころには靴やスカートがすっかり濡れてしまっていた。
昇降口で傘を閉じると、ミコちゃんはニコニコとわたしを見つめる。
「ねえ理瀬ちゃん部活入ってる?」
「ううん」
「じゃ、放課後生徒会室ね。3階だから」
こうしてわたしはまんまと生徒会に引きずり込まれた。
生徒会活動は想像してた内容とぜんぜん違っていた。会長が絶大な権力を握ってるわけではないし、校則違反を取り締まるわけでもない。各部活動への予算の分配、文化祭などイベントの企画、各種委員会の資料作成といった裏方の地味な仕事ばかりだ。ほっとする半面、これらの仕事は役員ひとりひとりの義務感だけで回していて、しかし内申点以外に得られるものはないというのが実情だ。合唱や吹奏楽といった興味ある部活に入りたい。そう言えばここを抜けることはできたかもしれない。
2年になりミコちゃんが生徒会長選に立候補した。悪しき伝統と前例踏襲主義をぶっ壊す。そう言ってのけ彼女は当選した。まず彼女は校則に関し校長に直談判を申し入れた。なぜソックスは白しかだめなのか、汚れが目立たない黒でもいいじゃないか、と。結果これは認められ彼女は賞賛を浴びた。続いて中間テストの廃止。これは却下。さらには置き勉の許可、体育祭における組み体操の廃止を求め、これらは認められた。
たしかに生徒会活動はマンガやアニメで描かれるようなそれとは違っていた。けれどミコちゃんその人はマンガやアニメから飛び出したようなキャラだった。美しいからこそ強く、強いからこそ美しい。彼女のまるで『不協和音』を地でゆくような言動に冷や冷やしながらも、わたしは彼女のそばを離れたいと思わなかった。そればかりか、片時も彼女のそばを離れたくないと思うようになっていた。
彼女のことを考えるだけでため息が出てしまう。夜はなかなか寝付けず、一方で朝を待ち侘びていたように早起きしてしまう。彼女と一緒にいられる楽しさと喜び、しかし四六時中一緒にいられるわけではないさびしさとつらさが共存する日々……。
これって恋?
まさか、ね。だって相手女の子だし。
でもこれがたんなる友達への思慕なら、胸をじわじわと真綿でしめつけられるようなこの心の痛みはなんなんだろう。
わたしは生まれてはじめて抱く感情に戸惑い、またそれが同性へ向いている事実に思い悩んだ。
「どした?」
気づくとわたしは、自転車に跨がるミコちゃんの制服の袖を掴んでいた。
「理瀬?」
「きです」
「ん?」
「……」
言い直す勇気は残ってなかった。
ミコちゃんは自転車を降りると陽の傾いた空を見上げこう言った。「理瀬とは、友達でいたいな」
それが告白の返事だと気づくのにコンマ何秒か、かかった。それから渇いたスポンジに水が染み入るようにゆっくりその言葉を受け入れた。泣きたい気持ちが湧いてこないのがふしぎだった。
「……ありがとう。わたしたち、年取っておばあちゃんになるまで友達でいようね」
「おう」
ミコちゃんは綺麗な前歯を見せながら親指を立てた。
友達でいよう。それは自分に対して立てた誓いでもあった。わたしは振られたが、振られ幅は最小限で済んだのだ。あれから半年あまり、わたしたちは気まずくなることもなくむしろ蜜月のような友人関係を続けてきた。もちろん、これからもわたしはミコちゃんを友達と思っていたい。たとえ彼女がわたしに対しそう思わなくなっても……。
校門の前までやってくると、ちょうど自転車に乗ったミコちゃんが現れた。もちろんここで会わなくても教室へ行けば彼女と会うことになるのだが、きょうここでいきなり出くわしたのはささやかな奇跡のように思えた。
「おはよ。お、イメチェン?」
髪型の変化を真っ先に指摘されたのが嬉しく、また同時にさびしさに近い感情がこみ上げてくる。
「まあね」ポニテに手を当てながらわたしは言った。
放課後、参加者が体育館の入口に列を作った。ミコちゃんを除くわたしたち生徒会のスタッフが体温計を額に当て、通過した者に『投票用紙』を配り入場を促す。用意された観覧席は200ほど。もちろんその間隔は1,5人分程度空けられている。参加は任意。それでも席が8割方埋まるほどの人数が集まった。
そして観覧席に向き合うかたちで5脚の椅子が並んでいる。座るのは向かって左端が坪井先生、その隣が2年の男子生徒。中央がミコちゃん、つまりここが『被告人席』である。その隣がマスクを着けた謎の男性、そして右端がわたしだ。
司会の西原くんがマイクで呼びかける。
「みなさま、このたびはお集まりいただきましてありがとうございます。これより臨時の生徒総会を開催いたします。まず注意事項です。写真および動画の撮影、録音、また今回の総会の内容をSNSなどで発信する行為は禁止とさせていただきます。今回の議事は一点、生徒会長である榊美琴の会長としての適否です。総会の終了後、みなさまには会長の信任・不信任のどちらかを選び投票していただきます。なお、今回の総会は感染症予防のため全校生徒の参加を求めていません。そのため生徒会規約で定義する総会と異なりその決議に強制力はないことをご了承ください。
ただし、今回の投票で不信任票が半数を超えた場合、榊がみずから会長を退くとの意思表示を得ています。
ではみなさん、ご起立願います」
こうして、ミコちゃんに対する審判がはじまる。
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