ヒメユリ〈7〉(総会編1)

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ヒメユリ〈7〉(総会編1)

 裁判の作法に(なら)ってか、西原くんの指示により一同礼を交わした。もちろん定例の総会でこのようなことはなく、体育館内は異質な緊張感に包まれた。 「最初に、このたびの総会開催のきっかけとなりました生徒会長解任要求に関わる意見書を生徒代表に朗読してもらいます。2年3組川内さん、お願いします」  名前を呼ばれた女子生徒が、はいと声を響かせ観覧席の最前列から立ち上がる。  観覧席とミコちゃんの席の中間にスタンドに載ったマイクが置かれている。彼女はミコちゃんと対峙するようにその場に歩み出るとマイクの位置を調整した。 「生徒会長、榊美琴様。このたびの新型コロナウイルス感染症に関してのあなたの言動に私たちは失望しています」女子生徒は両手で広げた紙に目を落とし、冒頭陳述のように意見書を読み上げる。内容はすでにわかりきってることだ。彼女はミコちゃんの過去の実績は称えつつ今回の言動を「反社会的であり人命軽視もはなはだしい」「私たち生徒の代表者であることを恥ずかしく思う」と強い言葉で非難した。「以上の理由から、たいへん残念ではありますが、榊さんの生徒会長解任を強く求めます」  正義は自分たちにあると宣言するように、彼女は末尾の言葉を高らかに言い切った。 「では榊さん、ただいまの意見に対しあなたがどのように考えるか述べてください」  ミコちゃんは起立しマイクの前に進む。 「批判は重く受け止めます。私の言動はたしかに昨今の社会的要請に反するものであり、これによってみなさんに不信感を与えたことはお詫びします。こうなってしまった以上、私の進退につきましてはこの場に集まったみなさんの投票にゆだねます。みずからの意思で会長を退く考えはありません」  彼女もまた、末尾の言葉を強調するように毅然と述べた。 「続きまして、生徒会長側陳述人から意見の陳述をお願いしたいと思います。またご参加のみなさんから意見がある場合はその都度挙手願います。では最初に坪井先生、お願いします」 「その前に私からいいですか」観覧席の後方に立っている大屋先生の手が挙がった。彼女は観覧席の合間を進み、ミコちゃんに近づく。「榊さん、マスクしたら?」  大屋先生が着席したミコちゃんと数メートルの間隔を置いて対峙する。 「あなたいつもマスクしてないけど、いまもしてないってどういうつもり?」  ミコちゃんがスッと立ち上がる。「マスクしたら顔が見えないじゃないですか」 「顔が見えない?」 「私たちは会話するとき相手の表情を見るはずです。マスクをするということは相手に見せるべき自分の表情をカットするということです。つまりその分だけコミュニケーションに支障をきたします」 「人がしゃべれば唾が飛ぶ。それを防ぐのがいまはいちばんだいじってことがわからないの? それにあなたTPOって言葉知ってる? あなたたちが制服を着て学校に来るのと同じで、この場にふさわしい恰好ってあるでしょう。それともここがどういう場で自分がどれだけ追い詰められてるかわかってないの?」 「それを言うならなおさら私はマスクしないほうがいいと思います。だって私この裁判の主役ですから。マスクを着けて舞台に上がる役者はいないでしょう?」 「よっぽど自分の顔に自信があるのね……」 「先生だってマスクはずしたほうが魅力的ですよ。クールビューティーって評判なんだし」  2人が睨み合うさなか、「そろそろ僕からいいですか」と坪井先生の声が上がる。  坪井先生は30代前半で大屋先生と同年代である。背は高めで体格はよく、『たいそうのおにいさん』のようなさわやかさを備えている。普段はTシャツやジャージなどラフな恰好をしてることが多いが、いまはまさにTPOを考慮してか黒のスーツをビシッと着こなしている。しかし暑そうな様子はなく、東京のオフィス街を颯爽と歩いていそうなビジネスマンに見えた。 「大屋先生、まさかあなたが検察官みたいに榊を追及する側に回るとは思いませんでしたよ。先生は榊の担任だし、いくら彼女とけんかしようとせめてこの場では中立でいてくれると思ったんですが」 「それは誤解です。私は彼女に晩節を汚してほしくないんです。任期は来月までなのにこんなことで辞任に追い込まれるなんて」 「こんなこと?」 「こんなことでしょう。榊さんは向こう見ずに行動を起こすことはあるけど、その行動力がいろんなことを変えてきたのは事実だし生徒の支持も集めてきた。だからここで自分の過ちを認めて謝罪すればいまからでも結果は変えられると私は思ってます」 「あんた榊のことナメすぎ!」坪井先生はいきなり一喝した。「コイツがどういう覚悟でこの場に来たのかわかります? 議論する場を与えてもらえるのなら私は喜んで裁判にかけられる魔女になろうって言ったんです。その結果打ち首にされようが釜茹でにされようが構わないと」  そこまで言ってません! とミコちゃんの声が飛ぶ。 「要は反省する気なんてさらっさらないわけです。僕だって去年苦労しましたよ、校則変えろだの中間テストなくせだの言ってくるし。そんなに嫌だ嫌だ言うなら欅坂行って紅白出ろやって話です。榊の担任なんて二度と引き受けたくないと思ったし今年貧乏クジを掴まされた大屋先生には心底同情しますよ。ただね、僕だってこんなことでコイツにやめてほしくないんです。だって彼女の言ってること、まちがってますか? 榊がやめずに済むためには勝つしかないんです、この人民裁判に」 「……わかりました。では私は降ります。現担任として役に立てないのは残念だけど」  大屋先生は背を向け、まっすぐ後方の出口へ向かう。 「先生っ」とミコちゃんが呼ぶ。「行かないで。私、先生に見届けてほしい」  大屋先生が振り返る。「あなたが負けるのを?」 「……。みんながそれを望むなら、そういうことです」 「まだ負けるとは決まってないじゃないですか」坪井先生が言う。「僕ら最強の弁護団が付いてますから。大屋先生が言ったようにいまからでも結果は変えられるんです」 「……しょうがないね」  大屋先生がおもむろにマスクをはずす。その表情は子供のお遊戯を不安そうに、それでも微笑みながら見守る母親のようになっていた。
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