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「なに、とはひでぇな。大智でいいって、いつも言ってるじゃないか」
それを聞いて大きくため息をつくと、私は踵を返し、再び歩き出した。
「お、おいおい、挨拶もなしかよ」
大智が慌てて追いかけてくる。
「なんで下の名前で呼ばなきゃいけないの」
得意のAIウォークでスピードを上げ、彼を引き離しながら答える。
「なんで、って……みんなそう呼んでるから」
さも当然、といった様子だ。
確かに、男女問わずみんなから、弓川が大智と呼ばれていることは私も知っていた。
「私もそう呼んだら、こうして声かけてくるのやめてくれる?」
我ながらひどい言い草をする。
「なんでそうなるんだよ、無茶苦茶だ」
彼は全然堪えもせず、笑った。こういう人だと分かってるから、私もあんな言い方をしたのだ。
「大智ってさ……」
「お、早速呼んでくれた」
私は、もう一度大きくため息をついた。
「……なんで、私にそんな話しかけてくるの?」
「ははは。なんで、なんで、ばっかりだな純原」私のスピードに追いつき、隣を歩きながら大智はまた笑った。「迷惑か?」
「ありがたがってるように見える?」
「でも、無視はしないじゃん」
「人間だもん」
「みつを」
私は、三度目のため息をついた。内心ではこの会話を楽しみながら。
「……学校の中では、あんまり話しかけないでほしい」
とは言え、操に見られたら、どう勘違いされるかわかったもんじゃない。
「同じ部活なのに?それは、学校の外で会ってくれるって意味だな」
「バカ」
ついに、私も笑ってしまう。
「やっと、笑った。純原の笑顔はレアだからラッキーだ」
女子にしては背が高めなはずの私だったが、大智の肩を越すのがやっとだということが、近くにいるとわかる。
「うるさい」
校門に着く頃、雪はますます勢いを増していた。
これは、久しぶりに積もるかもしれない。
私は、なぜか自分が少しワクワクしているのがわかった。
「おはよー、楓」
教室に入ると、私に挨拶をしてくる唯一のクラスメイト……いや、唯一の女子、結城操が声をかけてきた。
「おはよ」
大智に先に教室へ入らせてから、少し遅れて教室へ来たのが功を奏したようだ。
「来週の体育、耐寒マラソンらしいよ」
操がさも迷惑そうに告げてくる。
「そうなんだ。42.195キロ?」
私はカバンを下ろしながら、余裕の表情で言った。
「まさか。死んじゃうよ、そんなに走ったら」
特に運動神経が秀でているわけではなかったけど、持久走なら得意だった。私の我慢強さは、なぜか陸上部で花開いたというわけだ。
「女子なら、楓が一番だろうね」
羨ましそうというよりは、半分呆れたように言う。
「それしか取り柄がないからね」
「また、そんなこと言う」
操が、怒った表情で二の腕を突っついてきた。
「本当だよ。けど、本気出したら男子にだって負けないけどね」
カバンから教科書を取り出しながら、私は澄まし顔をした。
「それは無理じゃない?大智だって、すっごく早いし」
「あいつは短距離だもん。スタミナ勝負なら負けない」
私はムッとして言った。
その時だった。
「あいつ、だってさ」
私はハッとして振り返ると、瀬奈さんの取り巻きが2人、話を立ち聞きしていたのに気付く。
「大智をあいつ呼ばわりするなんて、随分仲良いのね?」
「私も大智のこと、そんな風に呼んでみたいわぁ」
そう言われて、胸の奥があっという間にどす黒い気持ちになるのがわかった。
私は無言のまま、空になったカバンを机の脇に掛けた。
うらやましいの?とでも言い返してやれれば、どんなにか楽になれるか。
「くだらないこと言ってんじゃないよ」そう思っていたら、意外な人物が助け舟を出してくれた。「朝からみっともないね」
声の主は、瀬奈明日香だった。
「お、おはよう明日香」
「は、早かったね今日は」
取り巻き達がたじろぐ。
「私が早かったら、なんか問題でもあんの?」
相変わらず、辛辣だ。
くわばらくわばら、と唱えながら、私は黙ったまま机の中に教科書を入れた。
「そんなわけないじゃん!……今日も、髪綺麗だね。……あはは」
気持ちの悪い愛想笑顔を浮かべながら、取り巻きの1人がご機嫌を取ろうとする。
「んなことない、普通だよ」お世辞を一蹴すると、瀬奈さんはこちらを見て言った。「純原さんのがよっぽど綺麗じゃん」
まさか話を振られると思っていなかった私は、驚いて飛び上がりそうになる。
「あ、あはは……」
取り巻きとさほど変わらない、気持ちの悪い愛想笑いを浮かべてしまった自分が、とても情けない。
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