前編

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「なに、とはひでぇな。大智でいいって、いつも言ってるじゃないか」  それを聞いて大きくため息をつくと、私は踵を返し、再び歩き出した。 「お、おいおい、挨拶もなしかよ」  大智が慌てて追いかけてくる。 「なんで下の名前で呼ばなきゃいけないの」  得意のAIウォークでスピードを上げ、彼を引き離しながら答える。 「なんで、って……みんなそう呼んでるから」  さも当然、といった様子だ。  確かに、男女問わずみんなから、弓川が大智と呼ばれていることは私も知っていた。 「私もそう呼んだら、こうして声かけてくるのやめてくれる?」  我ながらひどい言い草をする。 「なんでそうなるんだよ、無茶苦茶だ」  彼は全然堪えもせず、笑った。こういう人だと分かってるから、私もあんな言い方をしたのだ。 「大智ってさ……」 「お、早速呼んでくれた」  私は、もう一度大きくため息をついた。 「……なんで、私にそんな話しかけてくるの?」 「ははは。なんで、なんで、ばっかりだな純原」私のスピードに追いつき、隣を歩きながら大智はまた笑った。「迷惑か?」 「ありがたがってるように見える?」 「でも、無視はしないじゃん」 「人間だもん」 「みつを」  私は、三度目のため息をついた。内心ではこの会話を楽しみながら。 「……学校の中では、あんまり話しかけないでほしい」  とは言え、操に見られたら、どう勘違いされるかわかったもんじゃない。 「同じ部活なのに?それは、学校の外で会ってくれるって意味だな」 「バカ」  ついに、私も笑ってしまう。 「やっと、笑った。純原の笑顔はレアだからラッキーだ」  女子にしては背が高めなはずの私だったが、大智の肩を越すのがやっとだということが、近くにいるとわかる。 「うるさい」  校門に着く頃、雪はますます勢いを増していた。  これは、久しぶりに積もるかもしれない。  私は、なぜか自分が少しワクワクしているのがわかった。 「おはよー、楓」  教室に入ると、私に挨拶をしてくる唯一のクラスメイト……いや、唯一の女子、結城操が声をかけてきた。 「おはよ」  大智に先に教室へ入らせてから、少し遅れて教室へ来たのが功を奏したようだ。 「来週の体育、耐寒マラソンらしいよ」  操がさも迷惑そうに告げてくる。 「そうなんだ。42.195キロ?」  私はカバンを下ろしながら、余裕の表情で言った。 「まさか。死んじゃうよ、そんなに走ったら」  特に運動神経が秀でているわけではなかったけど、持久走なら得意だった。私の我慢強さは、なぜか陸上部で花開いたというわけだ。 「女子なら、楓が一番だろうね」  羨ましそうというよりは、半分呆れたように言う。 「それしか取り柄がないからね」 「また、そんなこと言う」  操が、怒った表情で二の腕を突っついてきた。 「本当だよ。けど、本気出したら男子にだって負けないけどね」  カバンから教科書を取り出しながら、私は澄まし顔をした。 「それは無理じゃない?大智だって、すっごく早いし」 「あいつは短距離だもん。スタミナ勝負なら負けない」  私はムッとして言った。  その時だった。 「あいつ、だってさ」  私はハッとして振り返ると、瀬奈さんの取り巻きが2人、話を立ち聞きしていたのに気付く。 「大智をあいつ呼ばわりするなんて、随分仲良いのね?」 「私も大智のこと、そんな風に呼んでみたいわぁ」  そう言われて、胸の奥があっという間にどす黒い気持ちになるのがわかった。  私は無言のまま、空になったカバンを机の脇に掛けた。  うらやましいの?とでも言い返してやれれば、どんなにか楽になれるか。 「くだらないこと言ってんじゃないよ」そう思っていたら、意外な人物が助け舟を出してくれた。「朝からみっともないね」  声の主は、瀬奈明日香だった。 「お、おはよう明日香」 「は、早かったね今日は」  取り巻き達がたじろぐ。 「私が早かったら、なんか問題でもあんの?」  相変わらず、辛辣だ。  くわばらくわばら、と唱えながら、私は黙ったまま机の中に教科書を入れた。 「そんなわけないじゃん!……今日も、髪綺麗だね。……あはは」  気持ちの悪い愛想笑顔を浮かべながら、取り巻きの1人がご機嫌を取ろうとする。 「んなことない、普通だよ」お世辞を一蹴すると、瀬奈さんはこちらを見て言った。「純原さんのがよっぽど綺麗じゃん」  まさか話を振られると思っていなかった私は、驚いて飛び上がりそうになる。 「あ、あはは……」  取り巻きとさほど変わらない、気持ちの悪い愛想笑いを浮かべてしまった自分が、とても情けない。
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