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すると、保健室の扉がさっきと同じく、ガラリと音をたてて開いた。
「あら。何よ純原さん、怪我したの?」
保健の先生だった。両手に大量の書類を抱えている。
「まぁまぁ。弓川君が処置したの。勝手に備品を触っちゃダメじゃない」
デスクに書類を置きながら、先生が軽く彼を叱責する。
「すいません。結構大きな怪我だったんで」
私が原因で大智が怒られるのは、愉快じゃなかった。
「先生がいてくれたら、私も先生にお願いしてました」
それを聞いて先生が、こちらに丸くした目を向ける。
「……あら。それも、そうね」そう言いながら、私の右膝と両腕の患部をまじまじと見た。「うん、綺麗にテーピングしてあるわ」
私は丸椅子から立ち上がると、言った。
「弓川、色々ありがとね。……じゃあ先生、失礼します」
膝の痛みが少し引いていることを確かめながら、そのまま保健室を出て行ったのだった。
夕闇が空を覆う頃、体が冷え始めている事に気付きながら、右足を引きずるように校門を出る。
しっかりと走り込んだ後は、冬場と言えどここまで寒さを感じる事は無かった。怪我をしたから、今日あまり体を動かせなかったせいだろう。
「……あ、母さん。実は、部活で怪我しちゃってさ。このまま歩いてバスや電車に乗るの、厳しそうで。……ううん、それほどの大怪我じゃないの」
会社勤めを終えたサラリーマンやOL達が、目の前を行き交っていく。私はそれを眺めながら、母さんに迎えのお願いの電話をしていた。自分の吐く息の白さが、体の冷えをさらに感じさせる気がした。
「うん……うん。ごめんね、助かる」
そう話しながらスマホに当てた耳の反対側から、女子生徒達の明るい話し声が飛び込んできた。なんとはなしに振り返ると、バドミントン部の一団が校門に向かってやってきていて、その中に操の姿を見つけた。向こうも、こちらに気がついている。
「……うん、大丈夫。スタバかどこかで時間つぶしてるから」
私はなぜか慌てて道路側に向き直って、話を続けた。
操達が校門に差し掛かったが、なぜか彼女だけ私のすぐそばで足を止めて、他の部員に何やら声をかけてから手を振っていた。私はその様子を見て見ぬ振りしながら、話を終えた。
「わかった、ありがとう。うん、じゃあね」
電話を切ると、一呼吸置いてから私は操に目をやった。
「お疲れ、楓」
操が屈託なく笑う。
「うん、お疲れ」
なんとなく気恥ずかしくて、私は首にかけたマフラーに口元をうずめた。彼女の視線が、痛々しい下半身に移る。
「え、どうしたの楓。部活で?」
そのまま軽く身を屈めて、まじまじとテーピングされた右膝を見つめた。
「そうなの。なんか今日調子悪くてさ。ちょっと走っただけで息切れして、足がもつれちゃったんだ」
「大丈夫?そんなで帰れるの?」
「うん、今母さんに電話して、迎えに来てもらう事になったから」
「そう……」
眉をしかめながら、操が心配そうに呟く。私は、夜の帳が降り始めた空を見上げながら、澄んだ空気を吸い込んで言った。
「……操は、さ」
「ん?」
「操は、どうして私と仲良くしてくれるの?」
我ながら、情けない質問だ。
「どうして、って……。急だね。昨日のこと、気にしてるの?」
よくよく考えれば、私の噂をしていたのはクラスメイト達であって、操が別段何か言ったわけじゃない。なのに昨日の私は、彼女も一緒になって陰口を言っているかのように感じてしまった。
「最初は、興味本位だったかも。たまたま隣の席になったっていうのもあったけど。……楓は、なんで私とだけ仲良くしてくれるの?」
確かにそうだ。なぜ、私は操とだけ……。
「……最初に話しかけてくれた、からかな」
「そうなの?」
「私、友達は作らないって、決めてたの。それでもいいって」
「うん……。確かに、近づきがたい雰囲気出てたよね」
「操が最初に声をかけてきた時も、私、無愛想だったでしょう。なのにあんたは、何度も話しかけてくれた」
「なんか、気になっちゃって。無愛想ではあったけど、返事がいつも変わってたんだよね」
「変わってた?」
「そう。ある日、純原さんって勉強得意そうだね、って言ったらさ」ふふ、と笑って操は続けた。「『そう見える?大嫌いだよ。でも、国語は好き。昔から』って。なんか、それがおかしくって」
「それのどこが?」
「なんだかさ、思ったの。ああ、この子はきっとすごく素直な人なんだ、って」
私はそれを聞いて、なんだか妙に照れくさくなった。
素直……。大智も、確か似たような事を言っていた。
操から視線を逸らしたまま、答える。
「あんたの方が変わってる。そんな言い方されたのに、そんな風に思うだなんて」
そう言った時、目の前をバイクが横切った。顔をかすめたライトの眩しさが、ますます空が暗くなっていることを物語っている。私はなんとなく、バイクの背中を目で追った。
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