*彷徨*

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*彷徨*

87214097-1e31-4f26-99b1-bcc43002c85a(イラストは勇魚さんからお借りしました。) 僕の耳には僕の意志とは全く関係なく人の思念が流れ込んでくる。 あたまの中に侵入してきたそれはざわざわと騒ぎだす。混沌とした人ごみの中で、僕は酷い人いきれに軀を包みこまれたまま、その路地にしゃがみ込むしか術はないのだ。 * * * ヒトは意識的か無意識かは別にして、常に何かを思い考えている生き物だ。 ―――ひとには本音と建前が存在する。 自分の意志で口にする言の葉に宿る本質が、その言葉を口にしたヒトの意識下の中のほんの僅かな一滴に過ぎないことを思い知らされたのはいつだっただろう。 僕のこの体質は生れつきのもの。 物心ついた時には既にそうだったので、多分そうだと思っている。 この体質のせいで、幼い頃から相手の心の奥底の口には出さないその本音がわかってしまう。   ―――あの子はどこかオカシイ……。 わけもわからないまま、無意識とはいえその秘めた感情を口に出してしまう幼い僕。 僕の頭に流れてきたヒトの思念の瞬間的な感情が、相手に対して思っている全ての感情ではことを幼い僕は知らなかったし、他人と違うだなんて思ってもみなかった。 そんな僕のことを、周りの大人は最初は不は思議なものをみるような目で見ていた。 それがやがて、興味本位から、腫れ物を触るような態度になっていき、最後には化け物を見るような物に変化した。 相手が心で思ったことをそのまま口してしまう僕は、大人にとって都合が悪い存在だったのだ。 発せられた言葉と流れてくる思念が同じ時、人はそれを強く本気で思っているということを意味する。 ―――オマエナンカイナクナレバイイ 自分を否定する強い気持ちをぶつけられ、酷く傷ついた僕が人間不信になるのは必然で、勝手にヒトの思念が頭に流れ込んで来ることを止められないことは僕の心を酷く疲れさせた。 ヒトと向き合えばその分傷つけられる。だから一人でいる方が気楽だったし、小学校に上がる前には他人と関わることをやめ、自分自身を護っていた。 そんな僕のことを当たり前だけど、両親はとても心配した。 二人とも我が子の僕を愛してくれているのはわかっていた。その愛情は本物だということも、痛い程―――。   でも。 心配し憂いている気持ちの隙間に潜んでいる、“なんでうちの子ばかり――――”そんな想いに、向けられた両親からの愛情を素直に受け止められられずにいた僕は、その気持ちに蓋をして。 ―――僕はイラナイ子なんた。   そんな風に自分の内に閉じ籠って。 僕に対してどうしたらいいか両親は戸惑い、そのせいで夫婦中もギクシャクしていった。 ―――ゴメンナサイ。コメンナサイ。 全ては僕のせい。 そう思えば悲しくなって、ますます自分の殻に閉じ籠るしか僕は術を持たなかったのだ。   * * *   環境がいい場所へと思った両親によって、山奥の山間部で神社の宮司をしていた母方の祖父の元へ預けられた。 小学校に上がってすぐのことだ。だから両親と住んでいた町にあった小学校に入学してすぐにこちらの小学校へ転校した。   その時には既に僕は酷く無口で笑わない子どもだった。 田舎で伸び伸びと暮らせば、気持ちが健康になるんじゃないか――――両親はそう思ったに違いない。 でも、幼い僕はそんな風には思えずに。やっぱり僕がイラナイ子なんだ。だから両親に捨てられたんだ、なんて。そんな風に思って泣きじゃくって暮らす毎日だったけれど、田舎暮らしは僕に合っていたようだった。   田舎で通った小学校は、隣町の学校の分校で、一年生から六年生まで十二人しか生徒がいない小さな学校の生徒たちは、伸び伸びとして気持ちに嘘がなかった。   嫌なものは嫌。 好きなものは好き。   気持ちに裏表の少ない子ども達との学校生活は、ヒトの気持ちの裏ばかり気になるようになっていた僕の気持ちをどんどん軽くしていった。   祖父との暮らしも楽しかった。 祖父もまた学校の子ども達と同じように裏表が少なく、人情に厚く、真っ直ぐなヒトだったから。   ダメなことをした時は思いきり叱ってくれる。良いことをした時は全力で誉めてくれる。   そんな祖父がニカっと笑えば、日だまりのように気持ちがポカポカした。 それは、種類は違えど祖父の持つ不思議な力だった。   その笑顔と深い思いやりで、祖父には神社に相談事しに来る相手の哀しみをそっとくみ取って癒す事が出来た。 祖父の笑顔を見れば心が安心し、そしてなぜだか祖父の思念が僕に流れ込んでくることは無かった。 僕の力を笑い飛ばし、頭をポンポンしてくれたのも祖父だった。 だから両親は僕のことを祖父に預けたんだと、今は確信している。 祖父が僕のことを心配し可愛がってくる言葉は素直に信じることが出来た僕。 祖父の愛情にくるまれた僕の子ども時代は案外幸せだったんじゃないかな。 でも。人は寿命には勝てない。   僕のこの体質のただ一人の理解者で、保護者であった大好きな祖父は先月亡くなり、まだ未成年である僕は、街に住む両親の元へ戻り一緒に暮らすことになったのだ。 * * *   《お前は夢喰い蝶みたいなやつだなぁ》 それは祖父と暮らし始めたばかりの頃に言われた言葉だった。   祖父によれば、その蝶は現実にこの世に存在しているわけではないらしい。 悪夢にひっそりと寄り添いその夢を食べる蝶は、ひとの悪意が好物で祖父は稀にその姿を見ることがあるといっていた。 ―――僕は悪意なんか好きじゃない。   そんな蝶に似ているなんてちょっと嫌だな、そう思った。そう言ったら祖父が僕にヘッドホンをくれた。   《言葉が聞こえなければ、外の世界の邪魔な音は僕の耳には届かないだろう?》   そう言って、あの日だまりのような笑顔で笑った祖父。 僕がそんな力があることには何か意味がある筈で、それを呪いにするか、福音にするかはお前が決めることだ―――とも。   貰って以来、僕はいつもそのヘッドホンを肌身離さず持ち歩いた。 裏表が少ない村の中でもその悪意や思念は皆無では無い。僕にとってはそれは呪いで、音楽は外の世界から心を護るのに随分役に経った。 ヘッドフォンからは、祖父が好きだった70年代の洋楽。気楽に行こうぜ―――そう甘く陽気な歌声が流れている。   この曲を祖父は良く鼻唄で歌っていた様子を思いだせば、祖父がすぐそばにいる気がした。祖父が好きなその曲を聞くたびに僕の心に祖父の笑顔の力を感じて、なんだか強くなれるような気した。   * * * ―――コノ マチ ハ ヒト ガ オオスギ ル   村を出て両親の待つ家へと向かった僕が、生まれた場所であるはずのこの街で最初に感じたのはそれだった。   電車が駅へ着き、ホームへ降り立った僕の頭の中に入り込んできたのは、たくさんの悪意や善意が混沌と混じりあったひとの思念の集合体。   田舎のそれとは比べものにはならないぐらいの質量のそれは、ヘッドホンから聴こえてくる音楽なんかじゃ足りないぐらいの騒音で、僕はパニックに陥って、絶えず流れ込んで来るそれに頭がおかしくなりそうだった。   ―――ダレカタスケテ…。   混沌としたそれから逃れたくて、僕は街の中を静寂を求めて闇雲に走りだした。 田舎の村とは違い大きすぎる街の中では走っても、走っても、頭に流れ込んでくるそれから逃げることは叶わない。   ―――消えろ!消えてくれっ! 走り続けた僕の頭の中のノイズは更に大きくなっていき、息も切れて肺も限界で。疲れ果てた僕は、もう走れない―――と思わずビルの隙間の路地にしゃがみ混みギュッと目を閉じた。 そうすることで、自分に襲い掛かるその驚異から逃れられないことは知っていたけれど、自分の身を護る方法を知らない僕は、膝を抱え込み躯を小さくすることしか出来なかった。 呪文のように“消えろ”――――そう唱えつづける。 頭を染めていく黒い雑音に飲み込まれ、僕は意識を手放した。 * * * ―――なんだろう?   いったいどれぐらいそうしていたんだろう。   意識を手放した僕のその剥き出しになっていた首筋に羽根のような軽やかさを感じて意識が覚醒していく。 その感触は、黒で塗り潰された心にほんの少し灯りを灯して。 僕はしんどい頭をちょっと上げると、その不思議な気配をそっとうかがった。   ふわぁり。ふわぁり。   重さを感じさせない透明な羽ばたきが目の前を優しく通り過ぎていくのが見えたような―――そんな気がした僕は顔を上げる。   見間違いなんかじゃ、……ない。   僕の目の前で微弱な羽ばたきが、辺りの景色を優しく震わせていた。 透過した光の加減で虹色に重なりあった場所が輝きを増していくさまに、キラキラと辺りを明るく照らすその動きに心が震える。 その薄くぼやけた輪郭の正体は蝶だった。とても薄い羽根のむこう側が透けてみえている。   ―――綺麗だ。 そう思った。   どこから来たのだろう。   一匹だった淡彩のそれは、次第に数が増えていき、僕の回りに集まって来て。 その軽やかさに触れたくて、思わず手をそっと伸ばした。触れようとすれば、ふわりと逃げてしまう蝶達になかなか触れることは叶わず、その動きに翻弄され、蝶と戯れるのに夢中になる。   《そんなに、嫌うな。―――――夢喰い蝶は悪い蝶じゃない》   急に頭のなかに聞こえた祖父の声。 “夢喰い蝶は人の悪意を綺麗なものに変えてくれる”そう言った祖父。 ならば。もしかしてこの綺麗な蝶達は―――…。 《人の思念。心のなかの口にしない気持ちは悪い気持ちだけじゃないだろう。相手を思いやる気持ちだって溢れているじゃ筈だよ》   蝶達と戯れ気がつけば、頭の中のモヤモヤは綺麗に消えて。気持ちが軽くなり、ヘッドフォンから流れる洋楽の音が耳に心地いい。 ヘッドフォンの音楽越しに聞こえてくるその思念に、今まで感じることのなかった温かい気持ちがたくさんたくさん混じっているのを感じて、僕は何だか泣きたくなった。 * * * 押し潰されそうな気持ちを抱えたまま彷徨っていた僕は、キラキラした蝶達の羽ばたきに導かれるまま歩き始める。   足も躯も凄く軽い。 そう、まるで蝶の羽根が背中に生えたみたいに―――。 そして、気がついた時には僕は自宅の傍の公園にいた。   ツ ラ カッ タ ラ 、マタ コ コ ニ オ イデ   僕のこころに…そう語りかけるようにキラキラと羽ばたいた蝶達の姿は、そのまま大気に溶けていくように儚く消えてしまったけれど、蝶達が運んで来てくれた温かい気持ちは僕の頭の中を充たして、前向きな気持ちを僕に与えてくれた。   僕もこの力と上手く付き合っていけるかな。   蝶達のように。 祖父のように。 僕には音楽もあるし、夢食い蝶だっているじゃないか。   流れてくる思念が悪いものだけじゃないと知った今そんな風に思った。 玄関までたどり着いた時、 《駅まで迎えに行った方が良かったかしら――――今度はもう離さない。おかえりなさいって抱き締めよう》 母さんの気持ちが頭の中に流れて込んできて。 いつだって両親は僕のことを愛してくれていたのだ。 僕の気持ちに余裕がなくて素直に受け取れなかった。ヒトと違うことが怖くて、優しい気持ちに目を向けることが出来なかった。それはすぐそばにいつもあったのに――――。 ―――あぁ、僕は淋しかったんだ。 それに気づいた時、ずっと彷徨っていた僕の心は少しだけ軽くなって。 「ただいま」 この街で生きていく。僕は玄関のドアを開けた。 彷徨っていた僕は、やっと帰る場所を見つけたのだ。 2017.06.10(Sat)*fin*    
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