真っ赤なドア(1)

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真っ赤なドア(1)

 脱いだ靴を丁寧に揃えて、田葉菜かおるはパンが落ちないように両手でしっかりと袋を抱えてゆっくりと立ち上がった。 「ママただいま」  片方の手でパンの入った袋を抱えながら、もう片方の手でリビングの扉を開けると、キッチンの方から母親の春華(はるか)が小走りでかおるに駆け寄ってきた。 「かおるえらい。おつかいちゃんとできたじゃない。すごいすごい。でもちょっと遅いから心配になって迎えに行こうと思ってたのよ」  春華はかおるの前にしゃがみ込むと、かおるをかるく抱きしめた。 「途中の公園でね、同じクラスのうみちゃんに会ったの。わたしの分の半分こして食べたから少し遅くなっちゃった。ごめんなさい」 「よかったじゃない。友達もこの近くに住んでるのね。ほら、先に手を洗ってらっしゃい」  そう言って春華は立ち上がり、かおるに回れ右をさせると、背中を軽くぽんと押した。  うみの住む公営住宅から少し離れたところにかおるの家はあった。小さな庭のある二階建ての一軒家に母親の春華と、父親の文秋(ふみあき)と三人で暮らしている。専業主婦である春華は、かおるが帰ってくると時々こうして二人のお気に入りのパンをオレンジジュースと一緒に食べた。  いつもは二人で一緒に買いに行くのだったが、今日に限ってかおるはひとりでおつかいに行きたいと言い出した。夏休みの宿題の作文にひとりでおつかいに行ったことを書きたいのだと懇願するかおるに、夏休みは明日からでしょ? と言ってはみたものの、ねぇねぇと腕を掴んで見上げる我が子の姿に結局負けてしまった。  車のたくさん通るところは歩かない。  信号が青でも右左。  知らない人にはついていかない。  寄り道はしない。  この四つを守ること。  これら五つの約束を交わし、春華はおつかいに行くことを許した。うみとパンを食べて帰ったことで寄り道はしないという約束は守られなかったが、無事に帰ってきた安堵と、見事おつかいをやってのけた娘に、上機嫌でオレンジジュースを注ぐ春華の鼻歌にのってかおるとの約束もどこかへ消えてしまっていた。
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