ひとりの時間色鉛筆(3)

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ひとりの時間色鉛筆(3)

 都内の会社で事務員として働いていた照美は、育児に加え母親が入退院を繰り返していたこともあって、一度は会社を退職したのだったが、「いつでも戻ってきていいんだよ」という当時の社長の言葉に助けられ仕事には困らずにすんだ。 「うみが小学校にあがって落ち着いたら、また働こうと思うの」  そう話しているのを子供ながらにうみは覚えている。  深夜によくリビングでお酒を飲みながら話す照美と陸雄の会話を、うみは隣の寝室からよく聞いていた。寝る時にはいつも右側に陸雄がいて、左側には照美がいて、二人の言葉が海の世界を泳ぐお魚みたいに何度もうみの上を飛び越えたり、時々うみの上に落っこちてきたりしていたのにいつの間にかそれはうみの上を泳ぐこともなくなって、うみに落っこちてくることもなくなった。  電機メーカーの会社に勤務していた陸雄はいつも帰りが遅く、うみが眠りについてから帰ってくることも少なくなかった。大手のメーカー企業と比べると小規模の会社ではあったが、それがまた陸雄のやりがいでもあった。  うみがちょうど幼稚園に入った頃に、商品開発の研究チームでリーダーとして任命された陸雄は、元来真面目な性格につけ正義感の強いこともあり、ますます仕事に力を入れていった。そんな陸雄の性格に惹かれて結婚した照美だったが、うみが生まれてからもその持ち前の真面目で正義感に溢れるそれが家庭へ向かないことに少しずつ不満を募らせていくようになり、そのことが原因でよく照美と口論になることもあった。  スーツの上着を椅子の背もたれに乱雑に掛けると、照美は冷蔵庫の中を覗き込みながらうみに話しかける。 「昨日の残り物の煮物があるから、それとあと簡単なものでもいい?」  違うものがいい。と言っても結局変わらないのを知っているうみは、「大丈夫」とだけ言うとテーブルの上に散らばった色鉛筆を元あったのと同じように順番にケースに直していく。 「うみもうすぐ夏休みでしょ? 宿題とかないの?」  煮物の入った器にサランラップをかけ、照美はそれを電子レンジの中へ入れた。  いつからだろう。うみはぼんやりと考えていた。照美の顔がうまく思い出せない時がある。思い出そうとしても浮かんでくるのは、照美の背中や戸棚の貼り紙に食卓の貼り紙。リビングにある陸雄の写真だけは変わらずこちらを見て微笑んでいる。 「うみ聞いてるの?」 「ごめんなさい。夏休みの作文と算数……んん、あと漢字」 「早めに終わらせないとあとが大変よ」 「わかってる」  うみは自分の言葉が照美の背中にこつん、とぶつかる音が聞こえた気がした。
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