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ひとりの時間色鉛筆(4)
父親の陸雄が事故にあったのは、うみが小学校の入学式を迎える一か月前のことだった。いつも帰りの遅い陸雄は、その日チームの仕事が行き詰っていたこともあってリフレッシュの為にと仕事を早々と切り上げ会社を後にした。そして、うみの入学祝を何もしてあげていないのを思い出し、ケーキでも買おうかと向かった先で事故にあった。
葬儀で陸雄の同僚にその話を聞かされた照美は人目も憚らずおんおんと泣き崩れ、陸雄の同僚も「おいしいケーキのお店を電話で聞かれ、会社から距離のあるお店を私が勧めたせいです」と同じく泣き崩れていた。
そんなふたりを目の前にして、うみは一体何が起きたのかも分からず祖母に手を強く握られ、その痛みに手を振り放すこともできずにただじっと我慢するしかなかったのだった。
外はすっかり静寂に包まれて、昼間には聞こえなかった線路を走る電車の軽快なリズムが囁くようにうみの耳元へ流れてくる。お風呂上がりのシャンプーの甘い匂いがうみは大好きで、枕元からする桃の香りにうっとりしながら電車の囁きを聞いていると自然と眠りにつくことができた。
「明日は終業式なのよね? お昼ご飯作っておくからちゃんと食べなさいよ」
台所で洗い物をしている照美に言われて「うん」とだけ答えると、枕に顔をうずめて漏れないように大きく溜息をついた。うみは枕元にあるランドセルの中からノートを取り出すと、仰向けになって途中まで描かれたページをただじっと眺めた。
うみは一度だけ絵日記に描いた不思議な夢を見たことがあった。それはほかのどんな夢よりもはっきりとしていて、風の音や日の暖かさまで感じるほどに鮮明なものだった。夢の中では照美がいて、陸雄がいて、三人でずっと手を繋いだまま限りなく広がる大きな海の世界を眺めていた。目が覚めるとその夢はぽかりと頭の中から消えてしまったのだが、そのぬくもりだけはしっかりと手のひらに残したまま何度もうみを苦しめた。
うみはしばらくノートを眺めた後、そのままノートを覆いかぶせ、もう一度大きく息を吐き出した。遠くで走る電車の音がうみの耳元で一定のリズムをとってゆっくりと消えていった。
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