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暗闇おばけ(1)
いつもより高揚した教室で、うみはいつもよりできるだけ目立たないように下を向いて、ただ時間が過ぎるのをじっと待っていた。
「うみちゃん夏休み予定ある?」
上履きの汚れの染みを数えていたところに不意に声を掛けられ、驚いて顔を上げると、さっきまでクラスの男の子たちに囲まれていた田葉菜かおるが、机の上に両手をついてうみの顔を覗き込んでいた。夏休みどこか遊びに誘われるのではないかと思いうみは少し期待したが、すぐにそうではないことを思い出した。
去年の終業式の日もかおるは同じようにうみの机に両手をついて、夏休み予定ある? と聞くとうみの返事を待たずに言った。
「パパとママがね、小学校初めての夏休みだからって家族で旅行に行くの。うみちゃんは行ったことある?」
夏休みの予定か旅行へ行ったことあるのか、どちらの質問に先に答えるべきなのかうみはその時少し考えて、結局どちらの答えも相手はたいして気にしていないのではないかと思ったところで、男の子たちに呼ばれてかおるはまた円の中心へと戻っていったのだった。
「うみちゃん聞いてる? 夏休みどこか行くの?」
かおるの顔が目の前まで近づいていたことに驚いて、うみは咄嗟に椅子ごと後ろにさがった。
「ま、まだ決まってないから分からない」
咄嗟に答えると、また聞かせてね。と言って踵を返し、今年もまた円の中心へと戻っていった。
かおるの髪の毛はいつも綺麗にまっすぐ伸びていて、教室の窓から差し込む日差しが髪の毛をきらきらと光らせ、かおるが動くと一緒にるんるんと踊り出す。白く伸びた手足は動かすたびに優美にうつし、うみは時々どきりとさせられた。そんなかおるにうみは、どこか自分と違う世界を感じて自ら声を掛けることはほとんどなかった。
教室の中は誰が喋っているのか分からないくらい騒然としていて、黒板に何かのアニメのキャラクターを描いている者や、机の間を縫うように走り回っている者もいた。
うみは右の頬を机の上につけ、微かな冷たさを頬に感じながら、窓の外に見える暑さで揺れ動く世界を見つめていた。そっと目を瞑ると遠くでセミの鳴く声が、夜の電車の囁く音みたいにうみの耳元にそっと近づいてくる。頬から少しずつ熱を奪っていく机が心地よくなると、周りから聞こえる大勢の言葉の輪郭も少しずつぼやけていった。
また一人の時間が来る──。
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