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ふわふわたまご チキンライス(1)
玄関の鍵を開けて家に入ると、うみは靴を脱ぎながら「ただいま」と家の中に向かって言ってみる。誰もいない家の中からはもちろん誰の返事もなく、うみはリビングまで行くとランドセルをソファに放り投げ、そのまま食卓の上にあるいつもの貼り紙を確認する。
『今日は帰りがおそくなりそうだから、冷蔵庫にあるオムライスあっためて食べて』
「わかった」と声に出して返事をすると、時計の時刻を確認して晩ご飯にはまだ時間が早いかなと思い、リビングのソファに座ってテレビのリモコンを手に取った。
赤色の電源ボタンを押すと、テレビの画面にはちょうど何かのアニメのエンディングが流れていて、クラスの男子達がよく歌っているのを思い出した。
うみはチャンネルをひとつ進めると、それ以降は本の目次を見るようにチャンネルを進めていった。お笑い芸人が何かおかしなことを言って会場が盛り上がり、神妙な面持ちでニュースを読むアナウンサーや、お菓子のコマーシャル。どれもこれもうみが見たいと思うものはなく、うみはそのままテレビの電源を落とした。
うみはランドセルを自分の方へ引き寄せて、中からノートと色鉛筆を取り出した。角を折っておいたページを開いて、さっき公園で描いた車のタイヤの部分をじっと見つめてみる。少しだけ心臓が早くなる気がしたが、タイヤの黒は揺れ動くこともなく、別の世界に連れていかれることもなかった。
ゆっくりとソファに仰向けになり、絵日記を眺めながら公園でかおるの白い腕の先に見た痣を思い出した。黒く塗りつぶされたタイヤと、かおるのそれとが重なって一瞬ぐらっと目の前が揺れ動いたように見えた気がした。うみは絵日記のページを開いたまま自分の顔にかぶせると、一度だけ大きく深呼吸した。ノートと顔の隙間がさっき食べたクリームの甘い香りでいっぱいになって、それからノートの紙の匂いと、色鉛筆の乾いたような匂いとが混ざり合ってうみの体の中に吸い込まれていく。
遠くで犬の鳴き声が聞こえて、公園で見たおじいさんに寄り添う大きな体の犬を思い出した。あまりにも吠えているので、うみはおじいさんに何かあったのではないかと少し心配になったが、それもしばらくするとうみの中に吸い込まれるようにゆっくりと消えていく。
うみはもう一度大きく深呼吸をしてクリームの甘い香りで目の前をいっぱいにすると、ゆっくりと目を閉じた。ふわふわとしたパンをちぎる透き通るようなかおるの指と、細く伸びた真っ白な腕を、タイヤの黒がゆらゆらと少しずつうみの意識と一緒に飲み込んでいった。
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