第二章 騎士祭までに噂なんて吹き飛ばしちゃえ!

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 そこで一人の男がヨハネに進言した。 「ヨハネさま、些かやり過ぎでございます」  クロートがヨハネに対して申し立てをしていた。  誰もがヨハネの雰囲気に飲まれている状況でクロートだけはいつもと変わらない態度で接している。 「貴方のその髪……、あなたがクロートとかいう文官ですね」 「左様でございます。姫さまは今はまだ発展途上です。それ以上はおやめください」  クロートは丁寧にヨハネにお願いをした。  ヨハネは多少クロートに興味を持っているようで、クロートの顔から体まで至る所を見ていた。 「ねえ、貴方もわたしの文官になりませんか?」  この場にいる誰もが息を飲んだ。  まさかヨハネが指名してましてや中級貴族のクロートを選ぶなどと考えない。  しかしクロートはきっぱりと言った。 「大変魅力的なお話ですが辞退させていただきます」 「そう、残念。貴方なんでしょ? 最近マリアさまが色々精力的に活動できている裏の立役者は?」 「どうやら勘違いされている様子。わたしはお手伝いをしているだけで、やることを決めて実行しているのは全てマリアさまです」 「ふーん、しらを切るんだ。まあいいけど。明日が楽しみね。マリアさまー」  ヨハネが再度わたしに聞いてきた。  先ほどまでの怒りは消えているがわたしの恐怖が消えたわけではない。  ビクッと体を震わせて、恐る恐る顔を見た。 「明日頑張ってね。もし失敗したら多夫らしいけど、ウィリアノスさまは知っているのかな? 」  わたしは体の芯まで冷たくなる。  何度も考えないようにしていたのに、このタイミングで言われるのはヨハネが今効果的だと思ったからだ。  弱った心にさらに塩を塗って、完全な勝利を目指すつもりだ。 「うふふ、そんな顔をしないでよ。もうマリアさまは可愛んだから」  ヨハネはまるで子供をあやすようにわたしの頭を撫でる。  その時、ヨハネの動きが止まった。  それは不十分な観察だった。  よく周りを見てみると全員の動きが止まっており、わたしだけが動けている。  このような不思議なことを起こすのは一つしか思い当たらない。 「ギャフ!」  鳴き声が聞こえてきたので、その声の主人を探した。  するとテーブルの上に小さな狼が乗っていた。 「あなた、もしかしてシュティレンツで声を出した水の神の眷属?」 「ギャフン」  狼は自信満々に胸を張っていた。  見るからに悪戯が好きそうで、お父さまの方へ向かっていって髪の毛を食べている。  ……やめてあげて、最近気にしているから。  髪の毛に飽きたのかわたしの下まで来たと思ったら、ヨハネの顔を見に来たようだ。  自身の尻尾をヨハネの顔につけるとまるで炭でも塗っているのか、顔が一瞬で真っ黒になっていた。 「ぎゃふふふ」  狼は自分でしたことがよっぽど面白かったのか腹を抱えて倒れている。 「ぷっーー」  わたしも堪らず息を漏らしてしまった。  ヨハネのこんな無様な姿なんて一度も見たことがない。  さっきまでの恐怖が嘘のように晴れていって、ヨハネの顔を何度も見て笑った。 「ギャフ!」  狼はわたしの肩に飛び乗った。  そしてわたしの顔を舐めてから顔を凝視してくる。 「元気付けてくれてありがとう」 「ギャフ!」 「え……」  狼はわたしの頭に尻尾を乗せた。  もしかしてわたしの顔も黒くするつもりなのかと思ったがそうではない。  淡い光が尻尾から出てきて、わたしの頭に吸い込まれていった。  頭がものすごくスーッとしていき。  これまでの計画が線と線で繋がっていき、今ならものすごくいい案を提案できそう。 「ありがとう」  わたしは狼に口づけをした。  意味をわかっているのかどうか分からないが嬉しそうな顔をしている。  そしてわたしの肩から降りて、わたしの方へ向く。 「そっちに行けってこと?」 「ギャフ!」  わたしは狼が進む方向へ行き、すぐに狼はこちらを見て笑っている。  瞬時に何かいたずらをすることに勘付いた。  しかしもう手遅れだった。  背中から吸付けられるように吹き飛ばされた。 「きゃあああ!」  風が吹いているわけでもないのに、まるで体を操っているかのように元いた場所へ引き戻された。  元のヨハネが頭を撫でていた位置に戻って、狼の方をみると腹を抱えて笑っていた。  魔鉱石をいたずらで落としてきたことを思い出した。  ……あのいたずら狼!  わたしが声を出そうとする前にヨハネの口が動き始める。 「あらっ、どうかしましたの? 」  どうやらヨハネの顔にいたずらしたことは時が戻ったことで無かったことになったようだ。  わたしが先ほどの怯えが消えていたことに少なからず驚いていた。  そしてわたしもその手を払い除けた。 「いい加減にすることね、ヨハネ・フォアデルへ」  わたしの頭は今すっきりとしている。  ここで自分の運命に負けるつもりはない。  死にたくないから足掻いてみせたのに、それを考えが足りないと非難されるつもりはない。  わたしは次期当主だ。  ヨハネなんかに負けているようではそれこそわたしには相応しくない。  もう負けるつもりはない。 「明日の会談が楽しみです。せいぜいまた策を弄してください。わたくしは真っ向から立ち向かいますので」 「あらあらすごい威勢ね。もう少しで完全に折れるところだったのに」 「わたくしは貴女なんかに負けるつもりも自分を犠牲にするつもりもありません。ゴーステフラートはしっかり返してもらいます。マリア・ジョセフィーヌはたとえ誰が相手でも負けません!」  わたしは扇子を取り出して広げた。  その扇子を相手に向けて宣言する。 「勝負よヨハネ。本物のジョセフィーヌを見せてあげます。どんな妨害でもかかってきなさい!」 「うふふ、いいわ。やっと面白くなってきたじゃない。ならもう本気でいくわね。貴女が座るはずだった椅子はわたしが取りにいくわ」  ヨハネは狂気に満ちた目で見返してくるがわたしも眼力を強めて睨み返した。  今日この日、わたしとヨハネの運命の日となった。  壮絶な戦いの幕開けであることを今のわたしには想像できなかった。
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