第三章 芸術祭といえば秋、なら実りと収穫でしょ!

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 わたしの息が一瞬止まった。  あのお茶会に賛同したのだから、今回も賛同してくれるだろうと甘く見ていた。  彼女はわたしから視線を外して、また紅茶に手を運んだ。  周りの落胆がわたしにも伝わる。  ここでわたしも落胆したら、誰もが完全に諦めてしまう。  どうにか気持ちを立て直して、アクィエルに理由を聞いた。 「どうして断るのですか? そこまでジョセフィーヌを嫌うのですか?」  動揺が声によって伝わらないように気をつける。  最後の可能性を閉じてしまわないように。  アクィエルは紅茶を味わい、テーブルに置いた。 「本当に経済のためだけにわたくしの領土と交流を持ちたいですの?」  今度はこちらが言葉の真意を探る。  一体彼女はわたしにどう答えてもらいたいのか。 「もちろん、それ以外にも。ゼヌニムはもっと素晴らしいものがーー」 「わたくしたちはこの前、ユリナナさんの悩みを聞きましたね」  わたしの発言を遮って話し始めた。 「彼女は叶わぬ恋をしている。貴女は彼女に約束したはずです、恋を実らせると。涙を流す彼女に愛情を持って、今を変えると、そう約束しましたね」 「ええ、確かにしました」 「ならなぜ経済のお話しかしませんの? どうしてめんどくさい考えしかしない重鎮たちを相手にするような説得をしますの? 人の気持ちの垣根を取り去ろうと貴女はしてますのに、どうしてわたくしに理論詰めで先の決まったゲームのように淡々と事を進めようとしますの? あまりわたくしを馬鹿にしないでください。貴女がそんな生半可な気持ちで改革をしようとするのなら絶対に失敗するのがわたくしにだってわかります」  アクィエルの拒絶の言葉がわたしを襲った。  アクィエルの普段とは違う雰囲気に言葉を返せない。  わたしは彼女を甘く見ていたのだ。  これまで連勝続きだったので、驕り高ぶっていたのだ。 「ええ、貴女の言う通りよ。それでもわたくしはやらないといけない」  なんとか絞り出したのがその言葉だけだった。  アクィエルは何かを企んだような顔をしていた。   「でも、わたくしが協力すればそれでもどうにかなるかもしれませんわね」 「それは協力してくーー」 「マリアさんが条件をのんでくれましたらね」  言葉を被せながら、わたしに交換条件を突きつけてきた。  予想外の展開に誰もが目を離せなくなっているだろう。  わたしも動揺をなるべく見せないようにするのが限界だ。  この要求はのまないと先へと進まない。 「どんな条件ですか?」  わたしの目とアクィエルの目がぶつかった。  お互いの責任と意地がぶつかり、熱量を増していく。 「跪きなさい、マリア・ジョセフィーヌさん」  その声は大して大きくないのに誰の耳にも聞こえたのだろう。  遠い席にいるはずのメルオープとカオディの抗議の声が聞こえた。  そして拍手喝采するゼヌニム領の生徒たち。  激昂するわたしの側近とそれを賞賛するアクィエルの側近たち。 「鎮まりない!」  わたしの声が大聖堂全体に広がった。  少しずつ全体が静まり返り、わたしの感情が暴走しないように細心の注意を払って、今の言葉の意味を聞き返した。 「アクィエルさん、わたくしに今なんと仰いました?」 「あら、聞こえなかったかしら。跪くように言ったのよ」  アクィエルが意地悪する子供のような顔でそう言った。  だがこれは子供の遊びで済む問題ではない。  わたしがここで屈する態度を取れば、完全に上下が決まってしまう。  未来永劫、わたしはゼヌニムに自領を明け渡した愚か者として名を連ねるだろう。 「そんなこと……できるわけないでしょ。次期当主になるわたくしが他人に従う姿を見せるなんて」 「ならいいですわ。今回の話は無かったことにしますから」  アクィエルが目を離して、立ち上がろうとした。 「ま、待ちなさい! いえ、待ってください」  わたしの中から怒りと焦りの篭った言葉が絞り出てきた。  アクィエルはつまらなそうな顔をしながら、もう一度席に座りなおした。 「するのか、しないのか早く決めてくださいまし」  ここでわたしが頭を下げることは完全に間違っている。  一つの領土を取り戻すためにそこまでするべきなのか、とわたしの中の何かが囁く。  しかし、もしここで頭を下げなければわたしは多夫としてこの身を永遠に捧げないといけない。  どちらに進んでも地獄が待っている。  ……せっかく死ぬ運命から逃れるためにここまで頑張ったのに、これじゃ死んだのと一緒じゃない。  頭の中で一生懸命この場を打開する策を考えるが全くまとまらない。  まさかアクィエルにここまで弄ばれるなんて思っていなかった、自分の驕りが招いた結果だ。  だがヨハネの思い通りにだけはしてはいけない。  わたしの天敵であるヨハネにわたしの領土を好きにさせてはいけない。  フッと息を吐いた。
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