第二章 騎士祭までに噂なんて吹き飛ばしちゃえ!

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 わたしの名はセルラン。  マリアさまを守護する騎士である。  過去に魔物が大発生した時に騎士団の遠征で称号を頂いてからは、マリアさまの護衛隊長として誰もが認めるようになった。  マリアさまの身の危険は多い。  裏では暗殺者がやってきたり、毒や罠もあったりしたこともあったがわたしはその全ての知識を頭に入れているので返り討ちにしている。  そんなわたしはマリアさまのお側を離れて、洞窟の調査へと来ている。 「あの狐に格の違いを見せねばならんな」  ネツキというシュティレンツの貴族がマリアさまを挑発してくるので、このトライードで殺してしまいたかった。  だがマリアさまの前で人の死に目を見せるにはまだ早過ぎる。  その理性がなんとか自分の殺意を押し込んでくれた。  だがそれでも昨日のことを思い出すだけで顔が強張るのがわかる。 「セルランさまもマリア姫のためならばそのように激情を出すのですね」 「……すまない。ここにいる者ならわたしが冷静さを失っても役目を果たしてくれるだろう。もし万が一わたしが怒りで我を忘れたら止めてくれ」  ジョセフィーヌ領から派遣された騎士の一人に指摘され少しずつ冷静さを取り戻す。  年齢は全員がわたしより年上だが、身分と実績からこちらを敬う姿勢をとってくれる。  だが経験という面ではまだまだわたしも浅いので、横柄な態度を取るつもりはない。 「いえいえ、あのネツキという男には我々も一発魔法でもお見舞いしたいくらいですよ」 「全くだ。話を聞いているだけでムカムカしてくる」  全員が同じ思いを持っているのを感じて、少しばかり負の感情が収まっていく。 「全員の忠義心には心が休まされるな」 「それを言うならセルランさまこそマリア姫へ幼少の頃から忠義を誓っていたではありませんか」  わたしは確かに幼少の頃よりマリアさまに騎士の誓いを立てた。  天才と言われた父上のように、シルヴィを守る騎士になりたかったからだ。  そのために姉上の嫌がらせも父の厳しい特訓にも耐え抜いた。 「そういえばまだセルランさまは婚姻なさらないのですか?」 「そうだな。そろそろ相手を探さねばならないと思っているが、どうにもマリアさまのことを考えるとそっちにばかり気を取られてしまう」 「はは、最近は特に精力的に動いていらっしゃいますものね。マリア姫が落ち着くまで、婚姻は先になりそうですな」 「まったくだ」  わたしが同意して肩を竦め、マリアさまの顔が浮かんでくる。  少し前はウィリアノスさまとの婚姻が決まって浮き足だっていたマリアさまだったが、昔のようにそれ以外にも注意が向くようになっていた。  それは嬉しいはずなのにどこか胸がキツくなる。 「それにしてもこの洞窟はやけに道が分かれておりますね」 「大方この洞窟に入った魔物が増やしたのだろう。穴もまだ新しい。古い道を進んでいけば問題なく辿り着くはずだ」  そこで大きな悲鳴が聞こえてくる。  全員が警戒心を強めて、腰に付けているトライードに手を伸ばしている。 「今の悲鳴はもっと奥のほうですね」 「セルランさま、どうしますか?」  どうせネツキの部下が魔物に襲われているのだろうから助ける必要はないのだが、見殺しにするのは夢見も悪く、多少でも恩を売って自分の愚かしさを見返すキッカケにしてやればいい。 「大口を叩いても実力までは隠せないからな。しょうがない、助けてやるぞ」  駆け足で進んでいき、声が聞こえた方向へ向かっていく。  幸い魔物が作った道ではないので、特に時間ロスにはならないだろう。  大広間へ出たのであたりを見渡すと、一人の男が分かれ道で壁に横たわっていた。 「大丈夫か!」  わたしが駆け寄り男の体を支えようとしたが、それよりも早く切羽詰まった顔でこちらに頼み込んでくる。 「ネツキさまが、ネツキさまがこの先で魔物と戦っている! 助けてください!」  どうやらシュティレンツの騎士では対処しきれない魔物がいるようだ。  こうなることは予測できたが、実際に起きてしまうと笑いすら起きない。  わたしは全員に目を配って、気を引き締めるよう伝えた。  もちろん優秀な騎士たちなので、目配せする間も無く戦士の顔になっていた。 「全員、いつでも魔力を込めれるようにしておくように!」  すぐに返事が返ってきたので、心構えを正してわたしが先頭で向かう。  通路を進んでいった先には小部屋となっており、人間どころか魔物すらいない。 「どういうことだ?」  全員が警戒しながら周りの探索を始めたが、何もない部屋だった。  他の騎士たちも不審がりながらも部屋を調べるが特に何かがいた形跡もない。  その時後ろから声が聞こえてきた。 「ふぉっふぉっふぉ、まさかこんな単純な手に引っかかってくれるとは」  声の方を振り返ると通路にはネツキがいた。  どうしてこいつがいるのか、と考えている間にネツキは壁に手を当てるとカチッと壁が凹んだ。  自分の直感を信じてすぐにネツキに向かって走り出してトライードを手に持つ。 「貴様ぁ! 何をする気だ!」  そして時間差もなく、床が下に開きわたしたちは空中に身を投げ出された。  ギリギリのところでわたしだけは通路の床を片手だけ掴むことができた。  しかしそれをネツキは許さない。  自分の手を足で踏み付けて体重を乗せてくる。 「流石に勘が鋭いですね。だがいつまで持ちますかな」 「うぐっ、おまえこんなことをして分かっているのか! 弁明の余地もない反逆行為だぞ!」 「我々にはヨハネさまがいます。貴方もあの方に付けば望むものがいくらでも手に入るのに、それを裏切ったのです」  姉の名前を聞いて少なからず動揺が襲う。  自分が一番相手したくない人物の名前であり、魔物以上に恐ろしいと思わせる知略とカリスマ性には父上も御することができなかった。 「マリアさまが欲しいのならヨハネさまの陣営に入りなさい。あの方の愛する弟の願いでしたらマリアさまを殺さずにいてくれるかもしれません。仲間に入るのならここで命を助けてあげますよ」  その言葉にさらに心臓が脈打つ。  主人を自分のものにしたいなどと分相応な願いであり、一笑に付すような話だ。  いつものように毅然とこう返せばいい、戯言を抜かすな、わたしはマリアさまをお守りするただの騎士だと。  だが喉から声が出ない。  しかしそれでも騎士の矜持が、体が、声の代わりに答えた。  床から手を離して、重力に従って下層へと落ちていった。 「答えることもなく落ちていきましたか」  ネツキの失望に近い声を最後にそれ以上は聞こえなくなった。
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