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* * *
「相楽さん!」
「あっ、佐谷さん」
待ち合わせに選んだ場所で虎太郎と二人で待っていると、人の流れの中からこちらへ歩いてくる佐谷さんを見つけお互い手を上げて合図した。バスターミナルや駅前の商業ビルを避けて少し離れた場所に決めたのは、人混みの中へ虎太郎を連れて行くのを避けるのが目的だ。加えて、駅の中では目印も分かりにくく落ち合うにもお互いを見つけるまでに時間がかかってしまう。『どこでも大丈夫です』と返信をくれた佐谷さんにお礼を伝えてこちらで勝手に決めてしまったが、言葉通りに彼は文句一つも言わずに駅からここまで来てくれた。
「すみません、急に会う予定を作ってしまって。近くだと聞いたら会いに行きたくて仕方なくなってしまって」
「いえ、そんな……。家族の方に頼まれた買い物は良かったんですか?」
「ああ、良いんですよあれは。父が帰ってくるまでまだ少しありますし、だいたいタレ以外の注文の方が多い買い物なんて」
「タレ以外の注文?」
「あ、いえ、こっちの話です。ところで相楽さん、その子はもしかして、以前に聞いたことがあった……」
「あっ、そうです」
くるりと丸く尻尾を立て、佐谷さんのことをじっと見上げていた虎太郎の隣に膝を折り、彼の頭をそっと撫でた。
「実家で飼っている虎太郎です。佐谷さんに紹介したくて一緒に連れて来てしまいました」
「ああ、やっぱり」
佐谷さんと動物の交流シーンなんてものを見るのは初めてだ。彼も僕と同じように虎太郎と同じ目線の高さに合わせると、まるで小さな子どもに話しかける時のような優しい声色で目尻を下げて自己紹介をした。
「はじめまして、佐谷真琴です。よろしく、虎太郎」
「ワンッ!」
「相楽さん、これ、俺も撫でても平気ですか?」
「大丈夫ですよ。虎太郎は人懐っこい性格なので怒ったりもしません」
「それなら、失礼して……」
大きな掌で顎の下から頬全体を包み込むと、虎太郎の顔をもふもふと撫でて首を指の腹でくすぐった。虎太郎はというと、僕の手と違うひと回り大きな手が気持ち良いのか、丸い目を糸のように細くさせてフンフンと鼻息を荒くさせる。
「気に入っているみたいですね」
「そうですか?」
「佐谷さんの手って気持ち良いですからね」
「えっ……あの、それってどういう」
「あ……っ、え、えっと、……い、行きましょうかそろそろ。ここじゃなくて、どこか一緒に散歩でも」
「あっ、ちょっと、相楽さん!」
危ないところだったと、自分の発言のうっかりさに当然ながら慌ててしまった。どちらかの部屋で他に誰もいない二人きりであればともかく、今は屋外に居て、隣には虎太郎も居て、しかもここは僕の地元なのだから怪しい行動は慎まなければいけない。
(それに……)
ちらり、と気付かれないように佐谷さんを見た。
普段外を出歩く時の佐谷さんといえば、髪をワックスで後ろへ流し、目から額を見せるように作った大人っぽいスタイル。仕事の時もプライベートで出掛ける時も、僕はそれが一番見慣れている。
ところが、今日はどうだろう。実家へ帰省しているからだろうか、髪も流さずジャケットを羽織るでもなく、ロールアップしたパンツにスニーカーというラフな格好で僕の隣を歩いている。特に、前髪が下りた少し幼く見える髪型は、シャワーを浴びた後や目を覚ました直後の朝でないと見ることができないもので――
「相楽さん?」
「……!」
ちらりとだけ見るつもりが、どうやらそのままじっと連続して見てしまっていたらしい。
佐谷さんは首を傾げて『どうしました?』と僕の顔を覗き込んでくる。
「い、いえ……、別に、何も」
「そうですか? 前を向いて歩かないと危ないですよ」
「そ、そうですね。すみません……」
視線を下げて足元を見ると、虎太郎までもが不思議そうな顔をしてこちらを見上げていた。こんな調子で大丈夫なのだろうかと我ながら情けないと思いつつも、こうして佐谷さんの隣を歩けるのはやっぱりどうにも心地良く、近付いても不自然ではないギリギリの距離まで間隔を狭くして歩道を進んだ。
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