第五部/担当編集×小説家⑬<1>

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◇ ◇ ◇ 父、母、姉、弟。実家へ帰れば煩いくらいに俺に話しかけてきて、ただ普通にテレビを観ている間でも必ず隣に誰かが居る、生まれ育った場所がここにはある。 「あら、綺麗なルリマツリね。どうしたの?」 届いたメッセージを表示させ添付されていた数枚の写真に目を遣っていると、端末を覗き込んできた母が興味津々とばかりに声を弾ませた。斜め左には読みかけの小説を開いている父が居る。読んでいるジャンルは、最近新刊として発売されたばかりの推理モノだ。 「ひと目見て分かるんだ。凄いな」 「それはそうよ。なんと言っても、お花は私の得意分野だもの」 「確かに、それもそうか」 「どこかへ行って撮ってきたの?」 「いや、相楽さんが送ってくれたんだ。実家の庭でお父さんが育てているらしくて」 「相楽さんって、あの眼鏡をかけた優しい美人のこと?」 「えっ! 眼鏡をかけた美人って何それ真琴ッ?」 一人が話し出せばまた別の一人が話し出す。その一人が話し出せば、またそこに残りの人間が更に加わり話が大きくなる。うちでのお決まりの展開と言えば確かにそうだが、久々に目の前にすると良く言えば賑やか、悪く言えば落ち着きがないといった具合で、心穏やかに会話ができる機会というものがそもそもここにはほとんどない。 今この場に加わっているのは、母、姉、弟の理玖の合計四人だ。姉は大人しく足にネイルを塗っていたのだから、そのまま黙っていれば良いものを。 「美人って、理玖なにか知ってるの?」 「知ってるも何も、この前インターハイの日に会ったけど」 「まじでッ? 真琴やっと新しい彼女できたの?」 「まあ。真琴、お付き合いしている人がいるの?」 「えっ、マコ兄あの人、女なの? 俺てっきり男だとばかり思っ」 「あーもう! うるさいって! 全く相変わらずだなうちの家はっ」 父以外の全員が入れ代わり立ち代わり発言権を求めて手を挙げてくる。 当の本人が何も言わない内に話は勝手に脚色され、気付いた頃には事実とは大きく異なる方向に転んでいるのがうちでのやかましいパターンだ。 「相楽さんは俺が担当している作家だよ。理玖に会わせたのは、バスケに興味があるからと取材も兼ねて試合を観に誘っただけだ。ちなみに相楽さんは女じゃなく男で、美人というのは紛れもない事実だ!」 平然と嘘をついてやった。 いや、美人に関しては否定のしようもない事実であるが。 この人たちにはこれくらいのことをして丁度良い。 「なんだ、男か。興奮して損した」 「損って菜々、お前……」 「でも、本当に綺麗な人だったよ。最後にお菓子もくれたし」 「あら、そうなの? それは今度御礼を言わなくちゃ。でも、理玖がそう言うのならよっぽどの人なんでしょうね。私も会ってみたいわ」 「うちに連れてくる予定とかないの?」 「何で相楽さんをうちに連れて来なければいけないんだよ」 美人と聞くと話が長い。特に、姉に関してはいつもそうだ。 学生時代に俺に彼女ができたとどこからともなく情報を仕入れてくると、うちに連れて来いだなんだとしつこいくらいに食い付いてきては『可愛い子が見たい』『美人に会いたい』とやたら人の恋愛事情に首を突っ込もうとしてくる。そのくせ、自分のこととなれば『関係ない!』と言って話そうとはせずに秘密を貫こうとするのだ。 勝手な生き物だ。と、姉のことは常々そう思っている。 その点、理玖については姉に比べると質問も大人しいし無遠慮にプライベートに入ってくることもない。何より、小さい頃から手をかけているから弟としての可愛さは一入だ。 家族がわいわい話をしているのを尻目にちらりと横を見ると、タイミング良く顔を上げた父と目が合ってにこりと穏やかに微笑まれた。 父は元から静かな人で必要以上に会話はしない。長年都内の格式高いホテルで働いているので常識やマナーは十分に心得ている人だが、この家族の中でこれだけ心穏やかに読書ができるというのもなかなかの精神の持ち主だ。 やはり父は只者ではないと、纏う雰囲気から察してリスペクトが尽きない。 「ねえ、ところでさっきのお花。ルリマツリの他には何を送ってくれたの?」 「ああ。確か、白っぽい花も一緒にあったような……」 相楽さんが送ってくれた写真に興味があるのは、母の仕事がフラワーデザインの講師という立場を務めているからだ。近くに小さな店も持っているが、そこは今は姉が店長となって経営している。二人とも花に携わる仕事をしている為、名前や育て方に関しても知識が広くそして深い。 「あら、これはトルコキキョウね。綺麗に花を咲かせている」 「ガーデニングの知識がなかったお父さんが、イチから勉強して育てているらしいよ。元々は亡くなったお母さんが手入れをしていたそうだけど」 「お母さま……そうなの?」 「あー……うん、まあ。七年前に病気でとは聞いているけれど、俺も詳しいことは何とも」 「真琴ってば、担当なのに詳しいことも知らないの?」 「担当だって知らないことくらい山程あるっての!」 いちいちツッコミを入れてくる姉の言葉を適当にかわし、表示させていた端末の画面を落として勝手に見られないようにポケットに入れた。 ソファから立ち上がるとこちらを目で追ってきて、どこに行くのかと行き先を聞かれる。 「トイレだよ。流石についてくるなよ」 「何で成人男子のトイレについていかなきゃいけないのよ。さっさと行ってらっしゃい」 「あ、そうだ理玖。相楽さんがまた良ければ今度会いたいって言ってたぞ。どうやら理玖に興味があるらしい」 「えっ、俺に? なんで?」 「さあ……。理由は会った時に自分で聞いてみたらどうだ?」 理玖くんにまた会って話をしてみたいです。 昨日急遽相楽さんに会いに行った時に歩きながら言われた言葉を思い返した。俺がまた家族の話をしたからだろうか。理玖と会った日のことを思い出し、話し方がとても可愛らしかった、顔つきが俺によく似ていたと楽しそうに話をしていたのが印象的だ。 (俺と二人で居るのに、理玖のことばかり話していたな……) 心の中で呟き、直後にハッと気が付いた。 いやいや俺は何を言っているんだ。弟相手に嫉妬するなんて、これでは器が小さ過ぎるというものだ。 相楽さんは別に他意があって言っているのではない。 理玖のことを純粋に気に入り、理玖に興味があって『会いたい』と言っているのだ。それは恋愛とは全く違うものなのだから。 「参ったな、こういうのは……」 昨日会ったばかりなのに、またすぐに会いたいという気持ちが育ってしまう。居ても立ってもいられなくなり、ポケットに入れた端末を再び手に取ると、受信したメッセージから返信を開いて指先で文字を打ち込んだ。 『明日、夜から会いに行ってもいいですか?』 送信ボタンを押して、ひとまず用を足す為にトイレのドアを開けた。 少し経つとメッセージの受信を知らせる為に端末が震え、返ってきた文面を確認する。 『もちろんです。楽しみに待っていますね』 一行で綴られた相楽さんからのメッセージに胸が高鳴ったのが分かった。 指先が熱く、一気に気持ちが明るくなる。 明日、相楽さんに会うことができる。 実家からマンションへ帰ることはせず、そのまま直接相楽さんの部屋へ行くことにした。もちろん家族には言わないままだ。相楽さんが言っていた通り、俺たちのことはまだしばらく俺たちだけの重要機密事項。 関係はまだ、始まったばかりなのだ。
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