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◇ ◇ ◇
仕事ではない日にここへ来るのは、前回に続いて二回目だ。
一度目は相楽さん自ら俺を誘い、二度目の今日は俺から相楽さんに連絡して部屋の中へ入れてもらった。
完全なプライベートで過ごす二人きりの時間の為に。体を重ねるのは心を重ねるという意味合いでもある。
「ん……っ、ん」
ベッドの上で交わすキスはいつもよりゆったりと、そして長く、舌先を触れ合わせながら息が止まらないように注意を払う。
「さ、さたにさん……」
「ん? どうしました、相楽さん?」
眼鏡をかけていない潤んだ瞳は、熱っぽくこちらを見つめていた。リップ音を立てて再び口付ければ、混ざった唾液が唇を濡らしてテーブルランプの光をそこへ招かせる。
「今日はこのまま、ここで抱いても良いですか?」
「良いって、どういう」
「ほら、ここには、あの……」
とろけた頬を支えるように掌で包んで、同意を得る為にじっと目を見つめた。しかしそれと同時に、一つ気がかりなことがあってその部分には目を伏せる。
本棚の上に飾られた全ての写真は、寝室へ入った際に先にそっと伏せておいた。自分の母親に、恋人に抱かれている姿を見られるのはイヤだろう。声を聞かれてしまうのは致し方ないが、せめて視覚的な意味では彼へ配慮してあげたい。素直にそう思った上での行動だった。
相楽さんはどう思っているのだろう。キスは抵抗なく受けてくれたが、それ以上のことは? 服を脱がされて、脚を開かされる。その体に俺を受け入れて揺さぶられながら喘ぐことは、この部屋でこのまま進めても構わないことなのだろうか。
「ありがとうございます、佐谷さん」
俺が言葉を言いあぐねていると、先に相楽さんが沈黙を破り自分の意思を伝えてきた。
「僕のこと、気遣ってくれているんですよね。ここには僕の、母の写真があるから」
「……それは」
「でも、今日は、とても」
頬にある俺の手に自分の手を重ね、伏せた目元に相楽さんが睫毛で影をつくる。
「佐谷さんに触って欲しくて、今朝からずっと待っていたんです」
「相楽さん……」
「だから、眠くなるまでずっと、ずっと、傍に居て欲しいです。……真琴さんに、抱いてもらいたいんです」
「……っ!」
真琴さんと呼ばれた声で迷いは一瞬で消えてなくなった。
彼にここまで言わせて俺が何もしないのは過ちだ。向けてくれている気持ちに応えるのは、愛情を示す方法の一つだ。
「分かりました、でしたら……」
肩を抱き、そのままベッドへ押し倒して彼の体を組み敷いた。
「今日はうんと、優しくしますね」
「……はい、真琴さん」
二人で朝まで一緒に居よう、樹月―――
重ねた唇は離すことなく、寝間着のボタンを一つ一つ外して彼の肌を撫でていく。ベッドの上で裸になるまでは、そう時間はかからなかった。その後は何度も何度も名前を呼びながら好きなところを繰り返し触り、体を繋げて彼の中へ精液を出すと、耳元で愛を囁く行為を彼が満足するまで二度三度と続けた。
* * *
トーストされた二枚の食パンにバターを塗ると、それぞれを用意した皿の上に乗せて食卓の中央に先に置いた。相楽さんから預かった卵は目玉焼きにする為にフライパンへ落として蒸し焼きに。フタをしてしばらく待つと、火の通った白身と半熟の黄身が姿を現し、焼き加減を見る為に隣に立つ相楽さんの耳へ声をかける。
「どうですかこれ、こんなものですか?」
「そうですね。良いと思います。佐谷さんは、目玉焼きには何をかけて食べますか?」
「俺は塩ですね。あとはコショウを少し。相楽さんは?」
「僕は普段はお醤油を。でも、塩もシンプルで美味しそうですね。せっかくなので試してみたいです」
「では、今日は二つとも塩で頂きましょう」
添えられている野菜は相楽さんが同時進行で用意してくれたものだ。ちぎったレタスにトマトが二つ。一人だとこんな風にまともに朝食を作ることがないから、二人で迎える朝がより特別なものだと感じるのは当然のことだ。
「コーヒーはここに置きますね」
「ありがとうございます。では、いただきます」
「いただきます」
相楽さんと向かい合って食べる二人で作った朝食。座っているのは、普段なら打ち合わせで使っているキッチンの傍にあるテーブルだ。
この場所がこんな使い方をすることになるともなかなか想像していなかった。いや、考えたことが一度もなかったかと聞かれると肯定はできないが、想像と言うよりそれは妄想に近いもので『有り得ないこと』だと首を左右に振っていた。
だからこそ、目の前で朝食を食べている相楽さんを見ていることが、今もまるで夢のような幻に思え、確かめるように何度もちらちらと見てしまう。そんなことをしていると、視線に気付いた相楽さんがトーストをかじったタイミングで顔を上げこちらをじっと見返してきた。
もぐもぐと動く口が静かになってから、首を傾げて質問を投げられる。
「どうしました、佐谷さん?」
「えっ、いや、あの」
「もしかして少し焼き過ぎていましたか? バターをもう少し塗れば多少は柔らかくなると思いますが」
「い、いえ、違うんです。なんかあの、まだちょっと信じられなくて」
「信じられない?」
「俺がここにこうして居ることです。この場所に座る時はいつも『相楽さん』ではありつつも『相楽先生』として向かい合っていたので。夢を見ているのではないかと思って、どうにも不思議な気持ちで」
「夢ではありませんよ」
相楽さんの手がこちらへ伸びてきて、俺の口元に付いたパン屑を拭ってにこりと微笑んだ。パン屑を拭われるなんて、まるで小学生のようだ。思わず手からトーストが落ちてしまう。
「これは現実ですよ、佐谷さん」
「あ、あの」
「こうして一緒に朝食を食べているのも、同じベッドで眠ったのも、全部夢ではない本当のことです」
「相楽さん……」
「トースト一枚で足りますか? 物足りないようでしたらもう一枚焼くので、遠慮なく言ってくださいね」
「は、はい。ありがとう、ございます」
フォークを使ってトマトを口にする相楽さんは、いつにも増して表情が柔らかく綺麗だと思った。俺はそんな相楽さんに見惚れてしまい、トーストをかじるまでに時間がかかって表面はすっかり冷めてしまっていた。
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