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史奈の家は喫茶店から歩いて十分ほどの場所にあった。
いつもならデート帰りに腕を組んだりしながら、この後の展開に想いを馳せてくぐる玄関も、今の桜子には地獄への門のように重々しく映る。
「お邪魔します」
「どうぞ」
最低限の言葉しか交わさない。二人の間には勝負が始まる前のピリピリとした緊張感が鎮座していた。
史奈の部屋はカーテンからベッドにいたるまで全てピンク色で統一されている。この可愛らしい空間がこれから始まる殺伐とした戦いの戦場となってしまうことに、桜子は一抹の寂しさを覚える。
しかしお互いの信念のため、もはや戦いは避けて通れない。
史奈がテレビ台代わりにしている戸棚の奥からカルタを取り出し、部屋の真ん中にある丸テーブルの上に広げ始めた。
「あ」~「ん」まで、しめて46枚。ひらがな一文字の他には字も、絵も書いていない真っ白なカルタ。元々は自由に字と絵を書き足して、オリジナルのカルタを作るためのセットだったものだが、史奈たちはいつも白いまま使っている。
史奈がカルタを用意してる間に、桜子はケータイの音声アプリを開いておく。
「あ」~「ん」までの46音をあらかじめ自身の声で録音しておき、ランダムに再生するためのアプリだ。
テーブルの端にケータイを置き、あとは再生ボタンを押すだけで、カルタの頭文字を読み上げてくれるという寸法だ。
戦いの準備は整った。
「それじゃ、いくわよ」
「いつでもいいよ」
桜子がアプリの再生ボタンを押す。『め』、とケータイのスピーカーを通すことで無機質に変わった桜子の声が告げる。
刹那、二人は同時に動いた。カルタを上から叩くというより、むしろ横から払うような洗練された動きで、桜子から見てテーブルの中央やや左あたりに置いてあった「め」のカードを目指して手を伸ばした二人だったが、ほんのわずかな差で先に触れたのは史奈の指だった。
「め」のカードは勢いよく吹っ飛び、ベッドの足に当たって床に転がった。
「目がぱっちりしててかわいい」
「……正解」
史奈は無言で「め」のカードを拾い、自身の足元に裏返して置き、次に備えて姿勢を正した。
一瞬のことだった。
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