執事と館

2/2
前へ
/104ページ
次へ
無論、アンテソープの広大な敷地は、半日やそこら庭師に案内されたからといって、見終えるようなものではない。 その後も、アンは、しばしば庭を散策した。 館の中をうろついて、執事(エヴァンズ)の注意を引きたくなかったせいもある。 エヴァンズさんには、私がおとなしく言うことを聞いていると思わせておかなくちゃ……。 そうしておいて、あとでゆっくりと「館の謎」を探らせてもらうわ。 半ば面白半分ではあったが、アンは、そんな「はかりごと」めいた考えを巡らせていたのだった。 とある昼時のこと。 庭から館へと戻り行く途中、玄関の車寄せに停まる四輪馬車(キャリッジ)に、アンの目が留まった。 お客さま……ではないわね? キャリッジの荷台に積み上げられていく荷物には、どこか見覚えがあった。 あれは、ダチェット伯爵のトランクじゃない? まあ、まさか、またどこかに出かけるというのかしら? つい何日か前、ロンドンから帰ったばかりなのに。 アンの足が、馬車へと向く。 「こんにちは、それって伯爵のお荷物かしら?」 アンの問いかけに、そばかす顔のフットマンが白い歯を見せて笑った。 「はい、メレディス様。旦那様のお荷物です」 その屈託のない笑顔に釣り込まれるようにして、アンがさらに訊ねる。 「伯爵は、どちらかにお出かけになるの?」 「これからロンドンへお発ちになります。メレディス様」 ごく素直にアンに応じ、フットマンは、新たなトランクへと手を伸ばした。 アンは、自分が仕事の邪魔をしていることに気づく。 フットマンへと短く礼を述べ、慌ててその場を離れた。 玄関ホールへと足を踏み入れた途端、アンは、執事とばったり鉢合わせた。 今のを……見られていたかしら?  なぜかひどくドギマギした。 けれどアンは、自分にこう言い聞かせる。 いやね、どうして? 私ったら。 別に、何も「悪いこと」はしていないでしょう? そして、執事の目をまっすぐに見ると、アンは言った。 「エヴァンズさん、伯爵がロンドンへお発ちと聞きましたわ? つい先日お戻りになったばかりですのに……」 「さようでございます、メレディス様。旦那様は、御多忙でいらっしゃいますので」 ごく慇懃に、そして表情も変えず、エヴァンズはこう返した。 「あの……エヴァンズさん。もしかして伯爵は、私をここに連れてくるために、わざわざ……」 たしかダチェット伯は、ロンドンのチェルシーに、立派なタウンハウスをお持ちのはず。 こんなにすぐ出向く用事があるのならば、ずっとロンドンに滞在していれば良かったはずよ? なのに、領地(ここ)へ戻ってきた。 もしかして、ただ私を連れ帰るためだけに、そうしたの? 「気にしないでくれ、ミス・メレディス」 オーガストの声がホールに響いた。 「もともと、僕は一度、ここに戻るつもりだったのだ」 そう言いながら馬車へと向かっていくオーガストに、執事が、帽子と手袋を差し出す。 滑るように優雅に、オーガストが馬車へと乗り込んだ。 そして、扉を閉めに近づいた執事に向かい、「後は頼む」と言い置くと、御者へ出発の合図を出す。 アンが、ひとことも挟む間もなく、オーガストを乗せたキャリッジは、車寄せのスロープを軽やかに駆け下りていった。
/104ページ

最初のコメントを投稿しよう!

107人が本棚に入れています
本棚に追加