12人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
農夫、デミトリ・ペトゥホフの証言
東の山にお日様が見えたら、顔を洗って一仕事じゃ。
物心ついた時から、毎日何も変わりゃせん。
とは言うものの、前の夜は誕生日だからと豪勢な鍋で祝ってくれての。あのケチな婆さんがじゃ。
どっちの生まれた日だか忘れてしもうたが、細かいことはええ。
たらふく食べたおかげで、朝から力が有り余っとったわ。
最近は雨も少ないので、水撒きも丁寧にやって。
生えはじめた雑草も、一本一本、丹念に抜いていった。
うちの畑には、カブを植えておる。
甘くて大きい自慢のカブじゃ。町に持って行けば大人気じゃと、村長も言っておった。
春カブの収穫には、あと半月くらいかのう。
そう、普通はまだ育ちきっておらん。
なのにじゃ。
あんな葉っぱは、今まで生きてきて初めて見た。
ひと房が、ワシの背丈ほどもあっての。薄青い茎も、婆さんの腕より太かった。
畑の端っこに、デカいカブのお化けが育っておったんじゃよ。
誓ってもいい、この日までそんなもんは見かけておらん。いきなり現れて、さすがに腰を抜かしたよ。
これもカブだと言うなら、国一番の大カブに間違いない。
古今東西、これに勝てるカブはないかもしれん。葉っぱだけでも、十分にそう期待できた。
しかしな、若いの。
ワシはもう、金とか名誉にはとんと興味が無くなってしまった。
お前さんも、年を食えば分かる。
この村で静かに暮らせたら、それでええんじゃ。
大カブを目当てに人が集まり、畑を踏み荒らされ、見知らぬ男たちが家へ押しかけて来ては敵わん。
金に汚いセルゲイ辺りが気づいたら、このカブで一儲けしようとくだらん知恵を絞ることじゃろう。
ワシはな、さっさとカブを食べることにしたんじゃ。誰かに見つかる前に取って食っちまおう、と。
何日分のご馳走になるのか、実に胸が躍った。
神のカブ、そう思うじゃろ?
これは普通なら人が口にする機会など無い、巨神の食べ物じゃろう。金は要らんが、その味には興味津々じゃったよ。
一際太い中央の茎を、こう、両手でガッシリ掴んでの。力いっぱい、真横へと引っ張った。
弓のように茎がしなって、振り飛ばされるかと思ったよ。
だからって、ワシもまだまだ現役じゃ。ロクに働いとらん若いもんには負けん。
もちろん、神の御業じゃろうが、カブ如きに屈するものか。
腹に力を込めて、朝の畑に一声吠えた。おりゃあぁっ!
これで大抵のカブはイチコロじゃ。
ところがな、抜けんのだ。びくともせん。
そうなっては仕方あるまい。
もう一度、おらぁっ! 三度、こんクソがあっ!
林の鳥たちが、ワシの気勢に驚いて逃げていきおった。
だが、やっぱり抜けん。
大声を聞き付けた婆さんが、慌てて駆けてきて、ワシの隣に並んだ。
一人でダメなら二人。
抜けんかあっ! おらぁっ!
年寄り二人では、神カブは微動たりせんかった。
ならばよし。何度でも引っ張るまで。
飼い犬まで寄ってきたらしく、わんわんと後ろから応援してくれる。
ニャアだとかチュウだとか、鳴き声はどんどん増えていった。
どこぞから集まった動物たちも、ワシの奮闘を見守ってたんじゃろう。
ひょっとしたら、抜くのを一緒に手伝ってくれてたのかもしれんな。
額から汗を噴き、腕には青筋を立ててカブの葉を引く。
気合いを入れ過ぎて頭はくらくらするし、鼻血も出そうな勢いじゃ。
それでも力は決して緩めん。
カブに負けては、ペトゥホフ一族の名折れじゃ。
太陽が山際から離れて、日差しが首の裏を温め始めても、ワシらの格闘は続いた。
それ、もう一回! おんどりゃあっ!
カブの悲鳴が聞こえるようじゃった。もう許して、放っておいて、とな。
ワシが許すわけなかろう。
幾度でも、何時間でも、全力でカブを引いたよ。
どうなったかは、お前さんも知っとるじゃろ。
頭に血が上ったワシは、気を失ってしまった。ふっと火が消えたみたいに真っ暗になってな。
目が覚めた時には、家のベッドで寝ておった。隣には婆さんもいて、煩いいびきを立てとったよ。
飛び起きて畑へ走ると、もう辺りはすっかり夜だったんじゃ。
あのカブは影も形も消えておって、大きな穴だけが残されとった。
寝てる間に誰かが抜いて、盗っていきよったんかのう。
盗まれたのはいい。いや、よくはないか。泥棒は感心せん。
だけども、それより味じゃ。
一口でいいから、あのカブを食べてみたかった。
返す返す、残念じゃよ。
最初のコメントを投稿しよう!