農夫、デミトリ・ペトゥホフの証言

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農夫、デミトリ・ペトゥホフの証言

 東の山にお日様が見えたら、顔を洗って一仕事じゃ。  物心ついた時から、毎日何も変わりゃせん。  とは言うものの、前の夜は誕生日だからと豪勢な鍋で祝ってくれての。あのケチな婆さんがじゃ。  どっちの生まれた日だか忘れてしもうたが、細かいことはええ。  たらふく食べたおかげで、朝から力が有り余っとったわ。  最近は雨も少ないので、水撒きも丁寧にやって。  生えはじめた雑草も、一本一本、丹念に抜いていった。  うちの畑には、カブを植えておる。  甘くて大きい自慢のカブじゃ。町に持って行けば大人気じゃと、村長も言っておった。  春カブの収穫には、あと半月くらいかのう。  そう、普通はまだ育ちきっておらん。  なのにじゃ。  あんな葉っぱは、今まで生きてきて初めて見た。  ひと房が、ワシの背丈ほどもあっての。薄青い茎も、婆さんの腕より太かった。  畑の端っこに、デカいカブのお化けが育っておったんじゃよ。  誓ってもいい、この日までそんなもんは見かけておらん。いきなり現れて、さすがに腰を抜かしたよ。  これもカブだと言うなら、国一番の大カブに間違いない。  古今東西、これに勝てるカブはないかもしれん。葉っぱだけでも、十分にそう期待できた。  しかしな、若いの。  ワシはもう、金とか名誉にはとんと興味が無くなってしまった。  お前さんも、年を食えば分かる。  この村で静かに暮らせたら、それでええんじゃ。  大カブを目当てに人が集まり、畑を踏み荒らされ、見知らぬ男たちが家へ押しかけて来ては敵わん。  金に汚いセルゲイ辺りが気づいたら、このカブで一儲けしようとくだらん知恵を絞ることじゃろう。  ワシはな、さっさとカブを食べることにしたんじゃ。誰かに見つかる前に取って食っちまおう、と。  何日分のご馳走になるのか、実に胸が躍った。  神のカブ、そう思うじゃろ?  これは普通なら人が口にする機会など無い、巨神の食べ物じゃろう。金は要らんが、その味には興味津々じゃったよ。  一際太い中央の茎を、こう、両手でガッシリ掴んでの。力いっぱい、真横へと引っ張った。  弓のように茎がしなって、振り飛ばされるかと思ったよ。  だからって、ワシもまだまだ現役じゃ。ロクに働いとらん若いもんには負けん。  もちろん、神の御業じゃろうが、カブ如きに屈するものか。  腹に力を込めて、朝の畑に一声吠えた。おりゃあぁっ!  これで大抵のカブはイチコロじゃ。  ところがな、抜けんのだ。びくともせん。  そうなっては仕方あるまい。  もう一度、おらぁっ! 三度(みたび)、こんクソがあっ!  林の鳥たちが、ワシの気勢に驚いて逃げていきおった。  だが、やっぱり抜けん。  大声を聞き付けた婆さんが、慌てて駆けてきて、ワシの隣に並んだ。  一人でダメなら二人。  抜けんかあっ! おらぁっ!  年寄り二人では、神カブは微動たりせんかった。  ならばよし。何度でも引っ張るまで。  飼い犬まで寄ってきたらしく、わんわんと後ろから応援してくれる。  ニャアだとかチュウだとか、鳴き声はどんどん増えていった。  どこぞから集まった動物たちも、ワシの奮闘を見守ってたんじゃろう。  ひょっとしたら、抜くのを一緒に手伝ってくれてたのかもしれんな。  額から汗を噴き、腕には青筋を立ててカブの葉を引く。  気合いを入れ過ぎて頭はくらくらするし、鼻血も出そうな勢いじゃ。  それでも力は決して緩めん。  カブに負けては、ペトゥホフ一族の名折れじゃ。  太陽が山際から離れて、日差しが首の裏を温め始めても、ワシらの格闘は続いた。  それ、もう一回! おんどりゃあっ!  カブの悲鳴が聞こえるようじゃった。もう許して、放っておいて、とな。  ワシが許すわけなかろう。  幾度でも、何時間でも、全力でカブを引いたよ。  どうなったかは、お前さんも知っとるじゃろ。  頭に血が上ったワシは、気を失ってしまった。ふっと火が消えたみたいに真っ暗になってな。  目が覚めた時には、家のベッドで寝ておった。隣には婆さんもいて、(うるさ)いいびきを立てとったよ。  飛び起きて畑へ走ると、もう辺りはすっかり夜だったんじゃ。  あのカブは影も形も消えておって、大きな穴だけが残されとった。  寝てる間に誰かが抜いて、盗っていきよったんかのう。  盗まれたのはいい。いや、よくはないか。泥棒は感心せん。  だけども、それより味じゃ。  一口でいいから、あのカブを食べてみたかった。  返す返す、残念じゃよ。
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