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悦子が死に場所を捜して、安斎と同伴した温泉地を三百万を頼りに転々としている内に、とうとうバブルが弾けた。
平成三年の事。
経済の実態にまるで則さない、夢、まぼろしは、日本銀行の金融政策を皮切りに遂に、露と消えたのだ。それは安斎裕也が仕上げの一転がしをする寸前の事。安斎が隣県の地主から買い上げたゴルフ場建設予定地は、買い手のリゾート開発会社の倒産により宙に浮いた。銀行の融資を受けニ十億近くで買った土地はただの田舎の無人の集落に逆戻りしたのだ。
安斎の会社も連鎖倒産。
そして忽然と安斎は姿を消した。
安斎の破産を悦子は旅館にあったスポーツ紙で知る。記事は、生き馬の目を抜く不動産業界の中で華やかに駆け回った、やり手の青年実業家の末路をスキャンダラスに取り上げていた。安斎の所在不明の中、べべの店も閉店を余儀なくされる。店は安斎の名義のままだったのだ。
そして──。
安斎裕也、今村悦子、べべ、三人の激動のバブルのシナリオは、安斎の死でピリオドを打つ。姿を消して暫くして、安斎は岸壁から車ごと海にダイブした。突然の彼の死を知り、取る物も取り敢えず安斎の元に駆け付けた悦子とべべはそれまでの経緯が無かったように、手を取り合って泣いた。この悲しみを共有出来るのはこの世に二人だけというように……。
一頻り泣くと、それは徐々に肩を揺らす泣き笑いに変わって行った。二人は存分に泣いて笑った。
──何故、二人はそんな泣き笑いをしたのか。
その理由は安斎が女と二人で死んだからである。相手の女は事務所の隅っこで電話番をしていた、影の薄いあの若い女だった。安斎と手に手をとって死んだ女の指にはエメラルドが輝いていた。その事を知った二人の女は狐に化かされたようにお互いを見合い、後は、泣きながら笑うしかなかったのだ。
安斎らしいと言えば安斎らしい幕引きに拍子抜けしたベベは、今までのわだかまりが消えて、他人と思えなくなった悦子の肩を抱き寄せた。悦子はずっと近づき難かったベベに抱き寄せられて、その温もりに堪えきれず再び嗚咽を漏らした。そして肩を震わせながらある事を打ち明ける。
それは──。
「私……お腹の中に安斎社長の赤ちゃんがいるんです」
一瞬、悦子の肩を抱くべべの手にギュッと力が入る。その一瞬の後、べべは小さく、しかしはっきりとした口調でこう言った。
「お願い。生んでちょうだい。──馬鹿な弟の子供を……生んで」
end
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