ダーリング

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 何かを人と取り合う。 「取り合う」という行為はいつ如何なる時でもものだ。今村悦子は六十年の人生で一度きり、勝ち目のない取り合いをした経験がある。それは日に数分遅れるアナログ時計くらいに世の中によくある話で、悦子はある男をある女と取り合ったのだ。  ──それは、もう三十年も前の事。  時代は昭和の末から平成初期に至るほんの数年間に、徒花(あだばな)のように咲いたバブル期という時代で、その頃は「歓楽街で石を投げれば不動産屋に当たる」と言っても過言でない程に、日本は不動産景気に沸いていた。    宅建(宅地建物取引業)の資格を持つ個人や、町の小さな不動産屋、中堅、大手まで、ここぞ大金を掴むチャンスと殺気立って、血で血を洗うような攻防を続けていたのである。  土地は署名と捺印で右から左へ転がって、転がせば転がす程に大きくなる雪だるまのように地価は高騰し、煽り立てるバブル狂騒曲に人々は俄舞台の上で踊りまくった。しかし舞台をお膳立てして、先導していた筈の指揮者が突然タクトを下ろして演奏をピタリと止め、らがやんやと登った舞台の梯子を勢い外したのだ。  そして、あっけなくバブルは弾けた。
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