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世界はカレーパスタ
最初はついばむような口づけ。そして柔らかく唇に噛みつきながらどんどんと深くキスをする。
六月の長い指が俺の背中をするりとなぜた。
俺は六月の黒い髪に触れた。
「シャワー行く」
六月は何も答えなかった。さっきまでのキスが嘘のように、まるで興味が無さそうにしていた。
ひどく優しかったり、急に冷たく見えたり。以前はそういう所が俺を戸惑わせた。
でも今はこの人の本質を知っている。こいつはただ変わり者なだけ。謎めいた策士などではない。
多分だけど。
そしてなんだかんだこの男は俺のことが好きなのだ。
多分だけど。
シャワーから出て俺の部屋に行くと、当たり前のように六月が布団の側に座っていた。
それから俺たちは当たり前のように抱きしめあった。
当たり前のように服を脱がせあい、当たり前のように深いキスをして、当たり前のようにぴったりとくっついた。
一緒に暮らしたら、ドキドキする気持ちががなくなってマンネリになってしまうのが正直心配だった。
だからといって常にドキドキしてるのも疲れるだろう。
今はほどよく落ち着いて、時々ドキドキして、いいなあと思う。
「おはようございます」
「おはよう。今日も出勤ご苦労様」
朝イチだと言うのに、堀米さんは相変わらずいつからいるのかわからないくらいリラックスしてデスクの前にいた。
一体何時に出勤してるんだろう。
それにしても出勤しただけで褒めてくれるなんて、なんて素晴らしい上司なんだ。大好きだ。
「なんか眠そうだね。コーヒー飲んで元気を出しな」
「はい」
昨晩あった眠そうな理由を話せるわけもなく、コーヒーをもらいに給湯室へと行った。
堀米さんは三月の話にはなんとなく敏感だ。どうリアクションしていいかわからないと言う感じだろうか。
すごくいい人だし、大好きだけど、違う人間だからわかり合えない部分はあるのだ。
頭では理解はしているけど、時々それが残念な時もある。
まあ、いいか。
コーヒーを片手に戻ると、リラックスしている堀米さんに言った。
「堀米さんも出勤ご苦労様です」
「いいね。優しい子だね」
褒められたら悪い気はしない。むしろ気分がいい。
甘やかされるのは気分がいい。
俺ももっともっとあのクソガキを甘やかしてやろう。
『夕飯作っとくよ。何がいい?』
その連絡が来た時、終わったなと思った。
世界が終わる。
食事に関して言えば別に当番制じゃないのでいつも適当だ。
作りたい奴が作る。作ってあれば適当に食べる。どちらも作りたくなければ、コンビニに行く。
そんな感じだから六月だって夕飯を作ることはある。
例えば素麺とか、つけ麺とか、ソースを混ぜるだけのパスタとか、極々シンプルで無駄のないコンパクトな夕飯を作ることはある。
あるけどさ。
『何がいい?』って、そんなことを言うわけがない。
つまりこれは世界が滅亡する予兆でしかない。
終わった。
こんなことならいい車に買い替えておけば良かった。あとパスポートは10年ではなく5年にしておけばよかった。
「所長、柏木さん。今までありがとうございました」
「え、急に何?」
「どうしたんですか?」
2人とも呑気に昼ごはんなんぞを食べている。
ああ、もう世界が終わるのに。いやそんなこと、知らない方が幸せか。
それは冗談としても、六月に何があったんだろう。
怖いな。
『カレーとか?』
一応そんな風に返事をしておいた。
「あ、良かった」
三月は帰ってくるなり、ただいまより先にそんな事を言った。
「何が?」
「世界が終わらなくて良かった」
「どういうことだ?」
答えもせずに部屋に荷物を置きに行った。
俺は茹でたパスタをザルにあげた。
「ところで急にどうしたの?」
「何が?」
「夕飯は何がいいか、なんて今まで聞いたことないじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
三月はちょっとニヤニヤしてる。ムカつくな。
報復してやろう。
「お前をもっと甘やかさなきゃなと思って」
「は?」
「お前をもっと甘やかさなきゃなと思って」
大事なので2回繰り返すと、生意気なガキは黙った。
口元が照れてる。
ざまみろ。
「ところでさ、結局カレーじゃないわけ?」
「へ?」
「夕飯カレーが良いって言ったのに」
ごまかすように文句を言うと、六月は答える。
「パスタにレトルトカレーをかければ、カレーパスタになる」
「へえ、うまそう」
「うん」
「それで、カレーは?」
俺の問いに六月は当たり前のように答える。
「ないよ。お前が買いに行くんだもの」
やっぱりな。
知ってたよ。
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