チョコレートケーキの日

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チョコレートケーキの日

甘い卯月 家に帰ったら夕飯の前にケーキが出てきた。 つまりそういう事だ。 六月(むつき)は何も言わない。 わざと俺を恥ずかしがらせて楽しんでいる。性格の悪いヤツだな。 俺は平静を装った。 「ああ、ケーキなんだ」 「うん」 「チョコレートケーキなんだ」 「安かったから」 嘘つき。 俺の好物だからだろう。 なんだかんだ毎年チョコレートケーキじゃないか。 六月は何も言わない。 『誕生日おめでとう』 なんて言わない。だから俺も何事もないようにケーキを食べ始める。 『誕生日なんて忘れてたなぁ。ははは』 とでも言うように食べるだけ。 本当はもうすぐ誕生日だということは先週くらいから意識していた。 嘘だ。 先月くらいから意識していた。 だって自分の誕生日ってなんだかんだ嬉しいじゃないか。 特にケーキを用意してくれるような奴がいると、余計に嬉しいじゃないか。 「夕飯の前にケーキなんだね?」 俺の問いに六月は当たり前のように答える。 「そうだよ。夕飯はお前が作るんだもの」 やっぱりな。 知ってたよ。 甘やかされるのも好きだが、甘やかすのも好きだ。 三月(みつき) の誕生日プレゼントに何をあげようか? 俺は自分のギガ(通信料)を守るため会社のパソコンで、良さげなプレゼントを探していた。 本当はアウディ(高級車)を2台くらいあげたいけど、家は駐車場に空きがないからそれはやめておこう。 じゃあ何がいいかな? 三月も以前は洋服とか靴が好きでよく買っていた。今はあまり買ってない。 恐らくお金がないからだろうな。 前はお互い実家に住んでいたから家賃がかからない分、多少は贅沢が出来た。 2人だけで暮らしはじめてからはそうもいかなくなった。 家賃も光熱費もWi-Fi代もアリエールやトップバリューのインスタントコーヒーを買う金も自分達で捻出しなければならない。 三月も色々我慢してるのかな? あの生意気でちょっと顔がいいだけの特に取り柄もないクソガキが、いつの間にかそんなに大人になっていた。 だから余計に甘やかしたくなる。 「え、三月さん3月生まれじゃないんですか?」 柏木さんが驚いた。 俺はその言葉を生まれてから170回は聞いている。 「はい」 「そんな紛らわしい名前を名乗らないでください。いいかげんにして下さい。」 何故か怒られた。 「別に自分で名付けたわけじゃないですよ」 「そりゃそうだよね」 所長が何気なく会話に入ってきたが柏木さんは気にも留めていないようだ。 「誕生月でもないのになんで三月って名前なんです?」 「母方の祖父と父方の祖母の名前から取ったんです。祖父は三郎で祖母が月子だったんですよ」 柏木さんがいぶかしい顔をした。 「孫が生まれるとなぜか自分の名前から1文字つけたがるっていう謎の風習が昔はあったんですよ」 「血で血を洗う骨肉の争いだね」 所長が大げさに言った。 柏木さんはやはり納得がいかないようだった。 「変な話ですね」 確かにその通りだ。 仕事帰りにショッピングしたくなったら、イオンに行くしかない。 なぜならここは田舎だから、イオンしかないのだ。 いや、イオンがあるだけ幸せだ。もっと田舎にはイオンが存在しないのだから。 イオンの存在しない世界?そんなの信じられない、信じたくない。 そんなことを考えていたら、友達に会った。 「六月じゃん」 同級生の荒木だった。 パリッとしたスーツを着て、頭が良さそうなメガネをかけている。そして勝ち組の証であるスタバのフラペチーノを右手に掲げていた。 「久しぶりじゃん。元気なの?」 「ほどほど」 「ほどほどって」 荒木は苦笑いした。そしてフラペチーノをちゅるちゅると飲んだ。美味しそうだ、ちょっと羨ましい。 「最近冷たいな、かのこも会いたがってたよ。また家でサムギョプサルパーティーでもしようぜ」 かのこはお菓子ではなく荒木の奥様の名前である。かのこさんも同じ学校出身で俺たちよりひとつ先輩だ。 「じゃあ俺はサンチェを買っていくよ。お前は肉を沢山用意しといて」 荒木はまた苦笑いした。 「連絡するよ。お前もしろよ」 友達の少ない俺にとってはそんな風に言ってくれる人がいるのはありがたかった。でも最近は積極的に会う事を避けていたのも事実だ。 「そういえばお前まだあいつと暮らしてるの?」 「うん」 「そっか」 じゃあなと言って荒木は消えて行った。 荒木は三月の事をあれこれ言わない。そういう友達がいるのはありがたい。 友達か。 昔はそういう気の置けない『友達』がもうひとりいた。でも今は『友達』じゃなくなっている。 そいつのプレゼントでも買いに行くか。 そう思ったのに、俺の足は何故かスタバに向かっていた。とりあえずフラペチーノが飲みたい。 家に帰ると甘い匂いがした。 シンクにフラペチーノの容器が転がっている。ついでに居間には六月がごろりと転がっていた。 「おかえり」 「うん。スタバ行ったの?」 「お土産あるよ」 妙に優しいな。 スタバの紙袋が2つ、ちゃぶ台の上に置かれていた。 「コーヒーと甘いもの」 「お、いいね」 紙袋を漁ってみると、コーヒーとスコーンが入っていた。 「こっちは何?」 尋ねると六月は柔らかく微笑んだ。たまに見せるこういう自然な笑顔を見ると、この人は俺より年上だったと思いだす。そしてちょっと腹が立つけど、精神的にも俺よりずっと大人なのだと痛感する。 「開けてみ」 お洒落な紙袋にはシックなステンレスのボトルが入っていた。シンプルだけどさりげなく人魚のお姉さんのロゴが入っているところがスタバっぽい。 これはつまり誕生日プレゼントなんだろう。 「よければ使って」 「ありがと」 仰向きで寝転がり、膝を立ててこちらを見る涼やかな目元。 「他に欲しい物ある?」 「いや、別に」 六月は少しだけ眉を上げた。怒っているわけじゃなくて『そう?』というニュアンスだった。 フラペチーノのせいなのか少し甘い雰囲気。 こういう風に穏やかで柔らかな六月といるととても落ち着く。でも同時にすごくいやらしい気持ちにもなる。 俺はじっと目の前の六月を見つめた。 Tシャツから伸びた、ほど良い太さの長い腕。まっすぐで割と長い脚。意外と白い足の甲。薄情そうな唇。 やっぱりいやらしいな。 いつの間にか俺はふらふらとかがんで薄い唇に口づけていた。
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