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ジプソフィルの花言葉
優菜さんから連絡を受けた私は、会社を早退し伊村邸に向かった。深入りする必要があったかは分からない……が、思わずそうしていた。
「優菜さん。霞さんが目を覚ましたというのは本当ですか?」
そう──シモンの絵画修復と同時に報告を受けたのは、霞さんの長き眠りからの目覚め。
「はい。一昨日……」
「でも、急にどうして……」
「実は、あの絵の修復を終えてから叔母の部屋に飾ったのです。すると月を浴びた絵から光が……それが叔母を包んだのです」
一枚の絵となった絵画はその夜、月明かりでより強く輝いたという。光は霞さんの元に流れその身を包んだ。
そして間も無く霞さんは目を覚ましたそうだ。
「何か後遺症は?」
「幾分意識の混濁があるようですが、お医者様は大丈夫だろうと。ただ、筋力の回復に時間が必要だろうと」
十年も眠っていたなら当然の話だと思った。
「一つ聞いて良いですか?」
「何でしょうか?」
「余計なことかもしれませんが、先代の御当主は何と……?」
「祖父のことですね?確かに叔母様がああなった原因の一旦はありますが、今は猛省して隠居を……お祖父様も悪気があった訳ではないのです」
「いえ……そうではなくて……」
意識が戻ったなら霞さんをシモンと会わせても大丈夫なのかを聞きたかったのだが……。
「それは大丈夫です。お祖父様もお父様も好きにさせると仰っていましたので」
霞さんが目覚めたのは一昨日。報せを受けた家族は全員集い今後のことを話し合ったという。過ぎてしまった霞さんの十年を考えれば、そして本人の自由にさせるべきと結論を出した。
「石川様には色々とお世話になりました」
「いや……私は何も……」
「あなたがあの絵をお持ち下さらなかったら、恐らく叔母様は目覚めませんでした。本当にありがとうございました」
優菜さんに頭を下げられたが正直シモンに踊らされた気分だ。そうだ!シモンに知らせてやらないと……。
だが、問題があった。
「すみません。あの後シモンに電話したんですが、連絡が取れなくて……」
「まぁ。それは困りましたね……。では、調べて貰いましょう。秋山」
優菜さんが何か告げると、執事の秋山さんは一礼しそそくさと部屋を立ち去る。
「石川様をここまで巻き込んでしまいましたので、このお礼はいつか。それと御迷惑でなければシモン様と御連絡が取れた際には御報告を」
「お礼はともかく、連絡はお願いします」
気ままな旅行が随分な大事になったものだ、と私は苦笑いをして帰路に就いた。
これで私の役目は終わり……と思っていたのだが──。
「それで……どうなったの?」
アパートに来た佳奈美は霞さんとシモンのその後を気にしていた。
「うん。まぁ……簡単に言えばハッピーエンドかな?」
「そう……ってちゃんと説明してよ。祐介、フランスに行ったんでしょ?」
そう……私はあの後、伊村家に頼まれてフランスまで行くことになった。
シモンの所在は直ぐに見付かったのだが、ここでも不思議な出来事が起こっていたのだ。
「実はさ……シモン、霞さんと同じ状態だったんだよ」
「……どういうこと?」
「霞さんが連れ帰られた数日後、シモンは交通事故に遭ったそうだ」
シモンは日本へ向かおうとしたその日に居眠り運転の車にはねられたという。その後、意識が戻らなかったのだ。
健在だという両親の家で点滴を受け昏睡状態だったと聞いた時には自分の耳を疑った。
「じゃあ、祐介が会ったのは……」
「死んでないから幽霊ではないんだろう。で、霞さんがシモンに触れた途端目覚めたんだってさ」
シモンは何も覚えていなかったらしい。それでも切っ掛けになった私に会いたかったらしく、伊村家の計らいでフランスにて再会することになった。
シモンは私が会った姿よりも幾分歳を重ねていた。顔も窶れていたものの、血色は良く健康そうに見えた。
「それから少し話をしたよ。出会った蚤の市は良く絵を売り出していた場所なんだって」
「それで……シモンさんと霞さんは日本で暮らすの?」
「向こうで暮らすって。何でも『悲劇の画家』として友人が吹聴したら絵が売れたとかで、向こうで頑張ると言っていた。霞さんも一緒にシモンの両親の家で暮らすそうだ」
「そう……良かった」
佳奈美は嬉しそうに微笑んだ。
「それで佳奈美……シモンがお礼に絵を描かせて欲しいんだって。だから頼んできた」
「何を?」
「佳奈美の絵をだよ。写真のデータを置いてきたから、連絡があったら一緒に取りに行こう」
「本当に?約束よ!」
「ああ、約束だ」
私の不思議な出来事はこうして終わった。
シモンから受け取った佳奈美の絵は、私の部屋に飾られている。何故かカスミソウも描かれているが……。
「しかし……何でカスミソウ?霞さんじゃないのに」
「知らないの、祐介?」
「何を?」
「カスミソウの花言葉よ。日本では幸福、清らかな心……そしてフランスでは」
「……?」
佳奈美は気恥ずかしそうに微笑む。
「──永遠の愛」
あの幻想的なジプソフィルの光はもう無い。でも、この絵は私と佳奈美の宝物となった。
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