精神美 ~桜咲く季節の姉弟~

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精神美 ~桜咲く季節の姉弟~

 小さい頃、母はよく僕ら姉弟を団子屋に連れて来てくれた。県立の大きな公園の中にあるこじんまりとしたお店だった。窓からは桜が望めた。    母が買ってくれるのはみたらし団子で、甘ったるいが三人で食べると幸せだった。 「こんな美味しいお団子だと、いけないことしてる人に食べさせたくないわよね」  母は決まってそう言う。そして「だからね」と言葉を紡ぐのだ。 「このお店には魔法がかかっているの――心の綺麗な人しかお店に入れない魔法よ」  だから心の綺麗な大人になってちょうだいね、と最後の一つをぱくっと食べるのだった。 「絢斗(あやと)、起きて」  隣で姉さんの声がして、目が覚めた。どうやら電車に揺られている途中で眠ってしまったらしい。  駅に入ると停車し、ドアが開いた。姉さんについていくように下車し、ホームを歩いて改札を抜ける。一年ぶりの道のりだ。  ――桜の咲き誇る三月の第三日曜日は大切な日である。年に一度、姉弟揃って電車に乗って少しだけ遠出をする。五年前に死んだ母によく連れて行ってもらったあの公園に、もしくはあの団子屋に出掛けるのだ。僕はもう大学生で姉さんは社会人になったけれど、やっぱりこの日は二人で歩く。 「姉さん、仕事は上手くいってるの?」 「まあ、そこそこね。絢斗こそどうなの? 大学は楽しい?」 「まあ。友達もいるし」 「それはよかったわ」  そんな会話をするのはもうお決まりだ。僕は時間の融通が利くけれど、姉さんはそうはいかないから、こんなときでもないとお互いの近況を知れない。  さて、駅から歩くこと十数分。久しぶりの再会に会話を弾ませていると、目的の公園に着いた。桜が満開で淡いピンクのトンネルがとても綺麗だが、あまり人はいない。他の大きな公園は開花時期に合わせてお祭りを開催することが多いが、この公園は何もない。屋台でもあれば賑わうだろうに、ただ桜が綺麗なだけの地味な公園だ。  僕らは歩く。公園に入ってからは一言も交わさない。足音を噛み締めるようにして、桜のじゅうたんを進んでいく。  父は僕が生まれてすぐに死んだので、母は一人で僕らを育ててくれた。そのために昼も夜も関係なく働いて、一緒に遊ぶ時間はほとんどなかった。生きていくのが精一杯で、玩具を買ってもらうお金もなかった。  だからこの日は特別だった。この日だけは母は僕らの傍にいてくれて、お団子を買ってくれる。僕らの手を繋いで、綺麗だねと語りかけてくれる。 ――だからまだ、僕らは母に愛されていると思えていた。    それが五年前までの話。    母は死んだ。まだ若かったけど、それ以上に体を酷使し続けたせいで、病に倒れて死んでいった。  それから、僕と姉さんはそれぞれ違う親戚の家に預けられ、それぞれ高校卒業まで過ごした。  ――そしてグレた。  それぞれ悪い連中とつるむようになって、授業をサボり、喧嘩したり、ときどき犯罪まがいのこともした。  寂しかったのかもしれない。同じ家に住む親戚はみんなよそよそしくて、年の違う姉さんとはなかなか会えないし、何より手を繋いでくれた母がもういないと分かる年齢になってしまった。  だからこそ僕らは毎年欠かさずここに来た。母の面影を、まるで子供のないものねだりのように求めていた。  それからなんとか更生して、僕は大学生に、姉さんは社会人になった。隣を歩く姉さんに、悪かった頃の面影はないけれど、その顔は微妙に晴れない。 「姉さん」  僕は視界に目的の建物が入ってきたから、声を掛けた。  さくら庵、というのがその店の名前だ。暖簾には『みたらし』の文字が印刷されていて、暖かな風に乗って甘い匂いが漂ってくる。よく見るとお客が何人もいた。どうやら今も繁盛しているらしい。  店員は代替わりしたらしく、白い割烹着姿の若い女性がお盆に何本かの団子を載せてお客に運んでいた。相手は小さな子供とその母親らしき女性だった。彼らはそれを受け取ると一緒に串にかぶりついた。美味しいねなんて笑いながら、二つ三つとかぶりついた。 それを見て、僕らは足を止める。  ――このお店には魔法がかかっているの。  母の声が薄ぼんやり聞こえる気がした。  僕らが団子を食べる親子だった時代はもう昔の話になってしまった。美味しいお団子を頬張って笑い合いながらその時間を素直に噛み締められるような、そんな心をどこかに置いてしまったのだ。 「……じゃあ、行こっか」  姉さんが無理に笑ってそう言うので、僕らは店の親子から目を背けるように、桜の道を引き返した。  ごめん、母さん。   僕らは綺麗な心の大人にはなれなかったみたいだ。  そんなことを胸の中で呟くと、目頭が少し熱くなった。 了
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