51人が本棚に入れています
本棚に追加
「レイト、今すぐ戻りなさい」
「お、おう……?」
ディアンが回り込んでレイトに近づこうとした時、ビルの手がディアンの顔を横殴りする勢いで迫ってきた。ディアンは顔の横でビルの手首を掴み、瞬時に阻止する。
ビルは薄く口を開き、不気味な笑みを浮かべていた。
「あれぇ? ビンタさせてくれるって言ったよね?」
「はあ? そんなこと……」
言ったかもしれない。
宿屋の食堂で、レイトがマスターに狙われている話をビルから聞いていた時だったか…………思い出した。よくわからないが何かがビルの癪に障ったようで、ビンタさせろと言われたのだ。さっさと話を進めようと適当に流した結果、してもいいみたいな言い方をした気がする。
ビルは反対の手でレイトの手を強く握っている。あれでは逃げられまい。
ディアンは掴んでいた手を広げて、ビルの手首を解放した。間をおいて、自由になった手がディアンの頬を勢いよく叩く。静かな部屋に、バチンと音が響いた。
ディアンが黙って打たれている異様な光景に、驚愕するレイト。
「……ディアン?」
戸惑いながらもディアンの身を案じてビルの前に出ようとするが、掴まれた手が拘束されて動きが制限されてしまう。
ビルはディアンを見据え、目を細めてムフフと笑った。
「スッキリした〜。すごくいい気分~♪」
クルリと方向転換し、進んでいた方を向いた。歩き出す前に顔だけ振り返り、もう一度ディアンを見る。
「約束はちゃんと守るから安心してよ。だからディーくんも邪魔しないでね?」
ビルは一層笑みを深めると、ディアンの反応を待たず正面に向き直り、レイトの手を強引に引いて歩き出した。
ディアンの様子をうかがおうと、恐る恐る後方へ顔を向けるレイト。振り返りざま、地面に散らかっている物が視界に入り、足元へ視線が移った。
「っ!?」
凄惨な有様に息を呑み、咄嗟に顔を背ける。気を紛らわそうと、目の前にあるビルの背中を一点に見つめた。
ビルは歩きながら振り返り、レイトの顔を覗き込む。
「嬉しいなぁ。レイくんから握り返してくれるなんて」
驚いた拍子に手に力が入ったのが伝わってしまったらしい。
「……そんなんじゃねーよ」
「顔が険しいのはツンデレだから?」
「違うって言ってん…うおっ」
ビルが急に立ち止まったせいで、反応が遅れてビルの背中にぶつかるレイト。ビルはいつもの薄ら笑いのままレイトを見ている。
「ここから一歩も動かないでね。下手すると身体の一部が消えちゃうから」
強引に繋がれていた手が解放され、ビルが離れていく。ディアンに言われた通り、戻るなら今がチャンスだが、ビルの警告がその思考を抑制する。
ふと足元へ視線を落とすと、白い光を帯びた魔法陣が描かれていた。よく見ると模様のそこかしこに黒っぽい液状の何かが染みており、レイトはその中心に立たされている。ビルは陣のすぐそばにしゃがみ込み、人差し指で陣に模様を描き加えていた。
描き加えている分も、同じく白い光。この魔法陣はビルが用意したものなのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!