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第5話 宴のはじまり
最初にやって来たのは俊哉と花凛だ。事務所の玄関のほうから二人の声が聞こえてくる。
「おおーい、深雪ー!」
「こんにちはー!」
「俊哉! 花凛もようこそ!」
深雪が屋上の手すりから身を乗り出すと、事務所の前に俊哉と花凛の姿が見えた。俊哉は肩から大きなクーラーボックスを斜めがけにして、花凛はこちらに向かって手を振っている。
「そっちに上がっていいか?」
「ああ、玄関を入ってすぐ階段があるから!」
「りょーかい!」
「花凛、こっちから迎えに行こうか?」
「ううん、大丈夫……ありがとう!」
そう答える声は、深雪の記憶にあるものより快活だ。俊哉から花凛の体調は回復してると聞いていたが、こうして元気な姿を目にすると、やはり嬉しい。
しばらくして屋上にやってきた俊哉と花凛は、バーベキューコンロを見て感嘆の声を上げる。
「わあ、すごーい! もしかして手作り?」
「ほんとだ、スゲーな!」
俊哉はスタジャンとチノパン。花凛はロング丈のニットカーディガンにロングスカートという格好だ。
「いらっしゃい、二人とも」
「いらっしゃーい!」
俊哉や花凛とは初対面のシロも、笑顔で二人を出迎えてくれる。こういう時、人見知りしないシロの性格はとても助かる。
さっそくオリヴィエが俊哉と花凛に声をかけた。二人はオリヴィエの孤児院で育ったため、親代わりのような存在なのだ。
「花凛、俊哉、久しぶりですね。元気にしていましたか?」
「はい、神父さま」
「花凛、アニムスが無くなって、ずっと調子がいいんだ」
俊哉の言う通り、花凛は表情も明るくて顔色もいい。屋上まで階段を上がって来たところを見ると、思った以上に元気なのだろう。花凛もおっとりとした瞳を細め、心から嬉しそうに微笑んだ。
「深雪のおかげだよー。あのままアニムスの暴走に呑まれていたら、あたしはきっと今頃……」
「ホント、どれだけ感謝してもしきれないよ」
ゴーストだった花凛を人間に戻したのは深雪だ。アニムスの暴走から花凛を救うためには《レナトゥス》を使うしかなかった。当時はただ無我夢中だったから、改まってお礼を言われるのは何だか気恥ずかしくて、深雪は慌てて両手を振る。
「お……大袈裟だよ二人とも。それより今日は楽しんでいって!」
「……うん!」
花凛と俊哉の仲の良さは相変わらずだ。深雪は花凛が人間に戻ってしまったら二人の関係が壊れてしまうのではと心配していたが、杞憂だったようだ。
「そうそう。これ、うちの店の肉なんだけど、店長に頼んで融通してもらったんだ」
俊哉からクーラーボックスを受け取ると、深雪はテーブルの上に乗せた。ずしりと重たいクーラーボックスを開けると、中には氷とともに牛肉の塊がいくつも詰め込まれていた。色や質感が違うから、それぞれ部位が違うのだろう。全部で四、五キロほどある。
中でも目を引くのが、鮮やかな霜降り肉だ。この街では滅多に拝めない超高級肉。他のメンバーも肉が気になるのか、クーラーボックスの周りに集まってきた。
「うわあ、美味しそーだね!」とシロが目を輝かせると、「お、霜降りか。すげーな」と流星も感嘆の声を上げる。
「こんなにたくさん、よく手に入ったな」
《監獄都市》では霜降り肉など金を出したとしても、なかなか手に入らない。手に入るのは加工品か調理済みの肉ばかり―――それなのに。
深雪が驚いていると、俊哉は得意げに笑う。
「うちの店、この街が首都だった時からあるらしくて、独自のルートがあるんだ。ここに来る直前に捌いてもらった新鮮で良い肉なんだぜ!」
「ありがとう、助かるよ!」
深雪たちはいくつかの塊にカットされた牛肉を、さらに薄く切り分けていく。俊哉は肉屋でバイトしているだけあって手際がいい。そうしてバーベキューのメインである肉の用意もできた。
最後に到着したのが《ニーズヘッグ》のメンバーだ。やってきたのは頭の亜希をはじめとする銀賀、静紅。薬物売買の運び屋を誘い出す時に協力してくれた青年たち。そしてゴン、タクミ、エリのちびっ子三人組みも一緒だ。
「こんにちは」
「こんちゃース!」
亜希と銀賀が順に東雲探偵事務所のメンバーに会釈をすると、シロが嬉しそうに両手を振った。
「亜希! みんなもいらっしゃーい!」
亜希はにこりと笑い、銀賀も「よっ」と片手を上げる。シロはかつて《ニーズヘッグ》の一員だったこともあって、彼らへの思い入れが強い。彼女がバーベキューを楽しみにしていたのは、昔の仲間が来てくれるのもあるだろう。
深雪はさっそく《ニーズヘッグ》のメンバーに声をかける。
「亜希、銀賀と静紅も……みんな来てくれてありがとう」
「こちらこそ、こんな会をわざわざ開いてもらって感謝しかないよ。ありがとう」
亜希は穏やかに答えた。バーベキューを喜んでもらえるか心配だったが、亜希の表情を見る限り、ひとまず成功と言えるだろう。
亜希は思ったことを顔に出さない思慮深さはあるが、楽しさや喜びといった感謝ははっきりと表に出す。亜希に冷淡なイメージが無いのはそのためだ。
「もう、亜希ってば堅苦しーい! シロたち頑張って用意したんだ。みんなで楽しもうよ!」
シロは唇を尖らせたものの、にぱっと笑顔になる。その笑顔に釣られて亜希も声を立てて笑った。
「はは、そうだね。シロもありがと」
亜希に頭を撫でられてシロも嬉しそうだ。仲睦まじい二人の姿から、《ニーズヘッグ》で亜希とシロは兄と妹のような関係だったのだろう。
「それにしても……ここまで本格的だとは思わなかったわ」
そう言って、静紅は眼鏡のフレームを押し上げつつ屋上を見渡す。いつもはクールな彼女も、深雪たちがこれだけ大がかりな準備を成し遂げたことに驚きを隠せないようだ。
「俺らが知らん顔もけっこーいるな」
銀賀はそう言って海や花凛に視線を向ける。はじめて見る女の子たちが、どうやら気になるようだ。すると静紅がすかさず銀賀の脇腹を小突く。
「銀賀、鼻の下伸びてるわよ」
「う、うっせーぞ静紅! そんなんじゃねーよ!」
銀賀は静紅に反論するものの、その顏はモヒカンに髪色と同じくらいピンク色に染まっていた。深雪は知らなかったが、銀賀は女の子の前では赤面してしまう癖があるらしい。
ちなみに亜希や銀賀、静紅もいつもとは違う服装だ。
亜希は灰色や紺色のパーカーを愛用しているが、今日は鮮やかな水色のパーカーを羽織っている。
いつもはレザーに棘やスタッズのついた服を着ている銀賀も、今日はかなり抑えめだ。
タートルネックやペンシルスカートなどタイトなファッションを好む静紅も、スウェットパンツの上にシャツとデニム地のジャケットで、カジュアルな服を選んでいる。
深雪たちが服装に気を遣ったように、亜希たちも配慮したのだろう。
次に深雪は俊哉や花凛、海を《ニーズヘッグ》のメンバーに紹介する。
「ロングスカートの子は花凛。その隣が俊哉だ。それから琴原さんは、うちの事務所で働いてる。今回のバーベキューもいろいろ手伝ってくれたんだ」
「こんにちはー」
「楽しんでいってくださいね」
花凛と海が順に会釈をすると、銀賀は「お、おお……よろしく……」と真っ赤になってしまった。
「……バーカ」
静紅の反応は妙に冷ややかだ。銀賀は意外と純情で、《ニーズヘッグ》以外の女性に慣れていないのだろう。そんな銀賀に静紅が冷淡なのは、銀賀の目が他の女の子に向くのが気に食わないから―――と想像してしまうのは深雪の考え過ぎだろうか。
そんなやり取りをしていると、ちびっ子三人組は歓声を上げながらバーベキューコンロの周りに集まってくる。
「おおーっ!」
「すげえ!」
「これでお肉焼くの!?」
「うん、そうだよ!」
ちびっ子たちは元気いっぱいで、ここが《死刑執行人》の事務所であることなどお構いなしだ。興奮してぴょんぴょん飛び跳ねる後ろで、亜希がさっそく注意を飛ばす。
「こーらチビ達、騒ぎすぎるなよ」
「はーい‼」
これで参加者はほとんど揃った。ただ唯一、火澄の姿だけがない。深雪は気忙しく、腕の端末で時間を確認する。
(火澄ちゃん……遅いな。こっちに来るときは連絡するって言ってたけど……)
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