第1話 バーベキューしようよ

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第1話 バーベキューしようよ

 《監獄都市》には外国人街と呼ばれる場所がある。  新宿と池袋の中間にある、目白(めじろ)雑司ヶ谷(ぞうしがや)の一帯に広がる街で、区画によってコリア街、イラン街、ロシア街、トルコ街、フィリピン街、インド街など細かく分かれている。  街にはさまざまな言語の看板が立ち並び、行き交う人々の目の色や肌の色、服装も色彩豊かだ。まるで外国に飛び込んだのかと錯覚するほど、どこか日本離れした光景が広がっている。  深雪はシロとともに外国人街の雑踏を歩いていた。周囲を歩く外国人は《監獄都市》に収監されている以上、ほとんどがゴーストだ。そのうえ《東京中華街》に近いこともあって《中立地帯》の理屈(ルール)は通用しない。  東アジア系の顔もちらほら見かけるが、おそらく中華系や朝鮮系の人々だろう。おかげで日本人である深雪やシロが歩いていても、さほど不審な目で見られることはなかった。  深雪とシロが雑踏を抜けて向かう先は、リム医師の診療所だ。そこに深雪の親友である帯刀火矛威(たてわきかむい)が入院しており。  深雪はこのところ毎日、火矛威を見舞うためにリム医師の診療所に通っていた。  やがて目的の建物が見えてくる。通りにせり出した看板には《石橋内科診療所》とあるが、元の所有者はいなくなり、今はフィリピン人のリム医師の診療所となっている。  外国人街の診療所だけあって、患者の人種や民族もさまざまだ。おまけに病気の種類も雑多で、風邪や腹痛といったものから、骨折や打撲、火傷など見るからに内科ではない患者もいる。  《監獄都市》は閉ざされた街であるため、医療機関の数が極めて少ない。そのうえ外国人に対応している医者はさらに稀少だ。リム医師は病気や怪我の種類を問わず、診察できる患者はみな受け入れているため、待合室はいつも患者で溢れていた。  深雪がガラス扉を押して中に入ると、待合室のソファには中央アジア出身と思われる顔立ちの若者が二人、ヒジャブを被った女性が三人、ヨーロッパ系の老爺が一人、アフリカ系の親子連れが座っていた。  病院の中には出身国や人種による対立やいざこざ持ち込まない。それが暗黙のルールなのだろう。彼らは静かに診察の順番を待っていた。  深雪とシロは彼らの脇を通り抜けて病室の裏口に出ると、隣のビルへと移動する。普通の商業ビルを入院棟として改装したもので、トイレはもちろん入浴施設や業務用の洗濯機が並んだランドリースペース。ベッドごと搬入できる大型のエレベーターまである。  深雪とシロはビルの階段を上り、二階の廊下を進んでいくと、ある扉の前で立ち止まる。そこは火矛威が入院している病室で、娘の火澄(かすみ)も付き添っているはずだ  深雪が引き戸の取っ手に手をかけると、シロがポツリとつぶやいた。 「ユキ……火澄ちゃん、少し元気になるといいね」 「ああ……そうだな」  《天国系薬物》を売り(さば)いていた元売りたちが《リスト執行》されてから一か月が経とうとしていた。マリアや流星によると、《中立地帯》のストリート=ダストの間で流行っていた薬物は、確実にその量を減らしているという。  ひとまず薬物の拡散を食い止めることには成功し、事件は解決したものの、火矛威の意識はいまだに戻らないままだ。ひどい火傷を負ったところに銃撃を受け、一時は生死も危うい状態だったことを考えると、一命を取り留めただけでも奇跡だ。  リム医師によると火傷はかなり落ち着いてきて、徐々に回復傾向にあるという。しかし、銃撃による内臓の負傷と失血は深刻で、意識を回復するまでには至っていない。今は小康(しょうこう)状態にあるものの、決して予断を許さない状況だ。 (火矛威……どうか助かってくれ……‼)  深雪はそう願わずにはいられない。火矛威とともに《ウロボロス》で過ごした頃から二十年の歳月が経ってしまった。その間、深雪は《冷凍睡眠(コールド・スリープ)》されていたので当時と変わらない姿だが、火矛威は今や三十代の子持ちだ。  それでも深雪は火矛威を今でも親友だと思っている。だから、どうにか助かって欲しい。火矛威の娘、火澄のためにも。  病室の扉を開けると、ベッドに横たわったまま医療機器に繋がれた火矛威と、隣で付き添う火澄の姿が目に入った。火矛威が凶弾に倒れてからというものの、火澄は毎日のように火矛威の見舞いに訪れている。 「火澄ちゃん、どう? 火矛威の様子は……」  深雪が声をかけると、火澄は疲れたような顔を深雪へ向けた。 「雨宮さん、シロちゃんも……今日も来てくれたんですか? すみません、父のために……」  火澄は言葉こそしっかりしているものの、その顔は憔悴(しょうすい)しきっていた。無理もない。父親である火矛威が意識を取り戻すことなく、ずっと病床に()せているのだ。  火澄の気落ちした小さな肩が痛ましく、深雪は何とか力になりたいと思うのだった。 「気にしないで。俺も火矛威のことが心配だし……それより火澄ちゃんこそ毎日ここに来るのは大変だろ? 火矛威は俺が見てるから、少し休んだほうがいいんじゃないか?」 「火澄ちゃん、すごく顔色悪いよ。疲れた顔してる。ねえ、少し休もう?」  火澄の顔色の悪さが気になったのだろう。シロも火澄の身を案じて声をかける。 「ありがとう。でも……いつお父さんが目を覚ますか分からないから……」  火澄はぎこちなく笑うが、その目元には疲労が色濃く浮かんでいた。身体的な疲労よりも精神的な疲労のほうが深刻そうに見える。  火澄の姿に心配を覚えた深雪はシロと顔を見合わせた。 (火澄ちゃん……火矛威が撃たれたのは自分の責任だって思っているのかな……?)  暴走したアニムスに飲み込まれ、《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》となった火矛威を人間に戻したのは火澄だ。火澄の両手にも深雪と同じゴーストを人に戻す力―――《レナトゥス》が宿っている。  それが何故なのか。どうして火澄に深雪と酷似(こくじ)したアニムスが宿っているのか、詳しい理由は分からない。  深雪は、その件についてまだ火澄から話を聞けていない。火矛威が撃たれてからの火澄の衝撃と動揺はひどく、落ち着いて話をできる状態ではなかったからだ。  火矛威が目覚めたらその時に――そう思っているうちに一か月が経ってしまった。 (……分からないことはまだある)  それは火澄の両親のことだ。深雪はずっと火澄の両親は火矛威と真澄だと思っていた。ところが火澄の母親は《レッド=ドラゴン》の首領である紅神獄(ホン・シェンユイ)であり、父親は《アラハバキ》の総組長である轟虎郎治(とどろきころうじ)の息子、鶴治(かくじ)だという。  それが本当なら、火澄はこの《監獄都市》で最もあってはならない二人の間にできた子供だということになる。もしも火澄の素性が(おおやけ)になれば、《監獄都市》の秩序を揺るがすほどの大事件に発展してしまうだろう。 (《Ciel(シエル)》の元売りたちも、それを利用しようとして火澄ちゃんの身を狙った。これからも火澄ちゃんは狙われるかもしれない。火矛威が昏睡(こんすい)状態に陥っている今、俺達が代わりに火澄ちゃんを守らないと……‼)  火矛威は言った。真澄は生きていると。深雪に助けてやって欲しいと。  それを信じて深雪はエニグマに伝言を頼んだのだが、まだ返事はない。真澄は深雪に助けを求められる状況ではないのか、それとも火矛威と違って真澄は深雪を許していないのか。その真意は分からない。  今はただ真澄から何らかの返答があることを信じて待つのみだ。 (とにかく今は火澄ちゃんを休ませないと……)  そう判断した深雪は火澄に声をかける。 「火澄ちゃん、お昼は?」 「あ……まだです。そういえば、もうそんな時間……」  火澄はよほど思い詰めていたのか、深雪に言われてはじめて時間に気づいたようだ。やはり、このままでは良くない。火矛威が心配なのは分かるが、これでは火澄まで倒れてしまう。  深雪は前屈みになり、火澄と目線の高さを合わせて言った。 「火矛威は俺が見てるから、シロと何か食べてきなよ」 「でも……」 「もし火矛威が目を覚ましたらすぐ火澄ちゃんに知らせるから。食欲がないかもしれないけど、こういう時こそしっかり食べて体力つけないと……ね?」 「行こう、火澄ちゃん」  シロも深雪の意を察したのか、火澄に声をかける。少しでも火澄を病室から離して、ゆっくりさせてあげたかった。火澄はなおも迷っているようだが、シロに「行こ!」と手を引かれてようやく立ち上がる。 「あの……すみません。父のこと、よろしくお願いします」  火澄は深雪に向かって丁寧に頭を下げると、シロと連れ立って病室を出て行った。 (外に出ることで少しでも気が紛れるといいんだけど……)  深雪はそう思いつつ火澄が座っていた丸椅子に腰かけると、相変わらず目を覚まさない火矛威の顔を覗きこむ。 「火矛威……早く目を覚ませよ。火澄ちゃん、お前が意識を取り戻すのを、あんなに待ち望んでいるんだぞ」  深雪は小さく火矛威に語りかけるが、火矛威はぴくりとも反応がない。 「………」  こうして火矛威と病室で二人きりになると、深雪はやるせない気持ちに襲われる。火矛威が撃たれる直前、確かに言葉を交わすことができた。取り留めのない会話だったが、確かに互いの思いが通じ合ったのだ。  それなのに深雪は火矛威が撃たれるのを阻止することができなかった。あの時のことを思い出すと、今でも忸怩(じくじ)たる思いに(さいな)まれる。 (火澄ちゃんもきっと、俺と同じ思いで火矛威を見つめていたんだろうな……)  火澄をこのまま放っては置けない。とても気分転換をするような気にはなれないだろうが、それでも息抜きは必要だ。 (何かいい方法は無いかな?)  深雪は思い悩むものの、消毒液の匂いが漂う病室は酸素マスクや心電図の発する定期的な機械音が、ただ淡々と響くだけだった。
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